地下鉄
「いーじゃん、いーじゃん」
三十分後、ソラはその出来栄えを見て満足そうに言った。横でベルトやら帽子やらを抱えたラスティも頷いている。その視線の交わる先にいるアオは、くすぐったそうに着ている服の袖やら裾やらを指で引っ張っていた。
「背伸びしてみました感が、またいいな」
「イメージはオメガエリアの映像図書館の司書だよ」
白いシャツに黒いパンツ。紫のネクタイを緩く締めて、同じ色の縁の太い眼鏡を掛けた姿となったアオは、生まれて初めて履くショートブーツで恐る恐る床を踏む。鏡に映る自分が現実なのかを確かめているようだ、とソラは思った。
アオが見ている鏡にかかっていた黒いハンチング帽を手に取り、相手の砂色の髪の上へ乗せる。
「会った連中にいちいち詮索されるの面倒だしな。目元と髪隠しておけば大丈夫だろ。俺たち、雰囲気は似てないし」
「そういう理由だったんだ」
「他に何だと思ってたんだよ。ラス、この帽子も入れていくら?」
「楽しかったから帽子はサービスしてあげる。えーっと」
ハシバミ色の目がアオの頭から爪の先まで見回し、そして値段を口にした。ソラは軽く口笛を吹く。
「やっぱり高いな。ブーツか?」
「うん、それ結構いいの使ってるから。大丈夫?」
「それぐらい払える」
ラスティがカウンターの衣類の山の中から、四角い液晶付きの機械を引っ張り出した。ソラは中指に嵌めた指輪をその表面に滑らせる。一瞬間を置いてから、ソラの個人コードと決済が完了した旨が画面に表示された。
「まいどー。着ていた服はどうする?」
「また後で来て着替えるから、ちょっと預かっててくれ」
「了解」
ラスティは試着室の前に置いたままだった白い服を丁寧に持ち上げると、アオに向かって笑みを向けた。
「じゃあ預かっておくからね」
「あ……、ありがとう……」
「今度はまた別のコーディネート試したいな」
今度、という言葉にアオが反応しかねているのを見ると、ソラは横から適当な言葉で混ぜ返して会話を打ち切った。
店から出ると、昼の時間帯になったためか人通りは少し収まっていた。この辺りにはあまり飲食店がないため、住民たちは別の場所に食事をしに行く。ソラも殆ど此処では食べたことがない。
「ガンマエリアに行こうかなー。何で行く?」
「何って?」
「バスか地下鉄か。どっちでもあまり変わらねぇけど」
「定められた方で行けばいいじゃないか」
理解出来ない、とばかりにアオはそう言った。
「交通ルートには規定を設けているはずだよ」
「知らねぇな。上層区としてはどっちが見たい?」
先ほどから生じている認識の相違について、ソラはアオほどには気に留めていなかった。住んでいる場所も育った環境も異なる以上、多少のズレは仕方がないことだと思っている。また同時に、上層区のルールに下層区の自分が合わせるのもおかしいと感じていた。
ソラの態度にアオは仕方なさそうな表情を見せる。まるで妥協でもするかのように何度か首を動かした後に、渋々といった体で口を開いた。
「なら地下鉄がいい」
「よし、決まり。えーっと、3番駅が近いかな」
道路を挟んで向かい側にある、地下鉄の入口に目を向ける。
使うのは数か月ぶりだが、前に見た時よりもサイケデックな色に塗られて、悪趣味な立体映像がいくつも重なり合っていた。
「前は4番駅があったんだけど、入れなくなっちゃってさ」
「何で?」
「政策で建てられたビルが駅の入口塞いじまったんだよ」
ソラはその時のことを思い出して笑った。どう考えてもそこに建ててはいけないだろう、と皆言っていた。だが上層区の政策に文句をつけるものはおらず、ビルはそのまま建造された。
そしてそのビルは次の政策で放棄されてしまったので、いまや廃墟と化している。
「地下鉄乗るとき、気を付けろよ。線路に落ちる奴がいるんだよ、偶に。大体は子供だけどな」
「落ちるとどうなるの?」
「運が良ければかすり傷。運が悪けりゃ死ぬ」
ソラはアオの表情が少し陰ったのを見て、脅しすぎたかと反省する。上層区に地下鉄があるかどうかは知らないが、少なくとも下層区のような不幸な事故は起きないし、それを想定すらしていないのだろう。それは今までアオが節々で見せた反応で明らかだった。
「怖いなら手繋ごうか?」
ソラは右手を差し出した。
「昔、よく手繋いだだろ?」
「もうしないよ、そんなの」
不機嫌に呟いて、アオは視線を背けた。
「それより早く行こう」
「わかった。向こうに着くまでにラーメンのことしっかり教えてやるからな。覚悟しておけよ」
二人はよく似た足取りで、地下鉄に続く階段に足を掛ける。そしてきらめく光と色に包み込まれるように、地上からその姿をゆっくりと消していった。
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