着替え
色と音と人が雑多に溢れる世界を見ているうちに、アオは吐き気に襲われた。しかしそれが胃の中のものを外へ押し出す前に、ソラが手を引いて一つの店の中へと飛び込んだ。
「ラス、居るかー?」
店の中は外よりも激しく色の洪水が起きていた。大量の派手な衣類が、壁や天井にまで飾られており、それらが自己主張しながらも店の照明の下で平等にゆらゆらと揺れていた。狭い店の一番奥には鉄骨と鉄板を乱雑に組み合わせたようなカウンターがあり、そこにも衣類が積まれている。その奥からくぐもった声がしたかと思うと、人の手が出て来た。続けて何か掛け声と共に、赤茶色の髪が覗く。数秒かけて衣類の山から這い出て来たのは、二人よりも少し幼い少年だった。
「いらっしゃいませー」
長い髪を一つに束ねた少年は、濃い眉の下の幼さを残すハシバミ色の瞳を瞬かせる。衣類の山を潜るときについでに服を着ましたと言われても信じられるほどに、少年の着ている服はその店のどの服にも似通っていた。
「あれ、ソラが二人いる。値札の付けすぎかな」
「何ブツクサ言ってんだ。客連れて来たんだから、接客しろ」
ソラが軽く少年の額を小突く。額に張り付いていた数字を書いた細い紙が剥がれて床に落ちた。
「えー……、お客さん? 何でソラにそっくりなの?」
「俺と一卵性双生児だからだ」
「いちらんせー?」
少年は意味がわからないのか首を傾げたり、アオとソラを交互に見たりしていたが、やがて割り切ったように両手を叩いた。
「ま、いっか。服買いに来たんでしょ? どういうのがいい?」
「うーん、俺にあまり似ないようにしてくれ」
「ということは地味にすればいいの?」
「インテリっぽく仕上げてくれ。最後に眼鏡つける」
「了解、まっかせて!」
少年は嬉々とした声を上げると、壁に沿って並んだ服の下から踏み台を取り出した。
「夢だったんだよねー、ソラにインテリっぽい服装させるの。同じ顔なら願いがかなったようなもんだよ」
「そんな夢持ってたのかよ。絶対御免だな。……そっちのシャツは?」
「これなら、もっとアイボリーっぽいのがあるよ。ほら、シンプルながらも洗練されたデザイン!」
「おっ、いいじゃん。アオもいいよな?」
急に話を振られたアオは我に返った。
「僕は何でもいいよ。というか、此処はお店なの?」
「服売ってる店だよ。見ればわかるだろ」
「彼は?」
踏み台に乗ってあれこれと物色している少年を指さす。
「ラス……ラスティはここの店主だよ。色んなデザイナーから服を買って、ここで売ってる」
「まだ子供じゃないか」
「だから?」
心底不思議そうに問い返されてアオは言葉を失った。
「此処じゃ珍しいことじゃねぇよ。上層区の指定した企業なんて、いつ潰れるかわからねぇし、俺たちは自分たちの食い扶持稼ぐために仕事を探す。あるいは作るってわけだ」
「そんなことしなくても、配給はされてる筈だよ」
「だから、あんなもん誰も食わないんだって。あ、そうだ。昼飯何がいい?」
明るく尋ねるソラとは反対に、アオは苛立ちを感じ始めていた。下層区の無秩序は上層区のことを無視している。
下層区の住民の労働は、全て上層区により管理されている筈だった。それは必要な労働力を必要な分だけ集めるのに必要な処置であり、そこに含まれない者は働かなくても良いことになっている。勝手に仕事を得て働かれては、政策を完璧に適用出来ない。下層区のために行っていることなのに、肝心の住人がそれを邪魔しているように思えた。
「なぁってば」
「……何でもいいよ。食事は栄養素を取れればいいんだ。経口摂取するのは、顎の筋肉が衰えるのを防ぐためで、理論上は栄養液の注入でも問題ない」
「じゃあラーメンな」
嫌味っぽく返したアオに構わず、ソラは勝手に決定を下す。
「……僕の話聞いてた?」
「聞いてたけど、お前そういえばあのまずいブロックしか食ったことないから説得力ねぇなと思っただけ」
「な……っ」
反論しようとしたアオだったが、突然視界に色とりどりの布が入り込んで来たために言葉を飲み込んだ。背の低い少年はいつの間にか踏み台から降りて、数人分の服を腕に抱えてアオの前に立っていた。
「ねぇねぇ、折角だから数パターン試させてよ。お客さんにはソラと違って、ネイビーとかも似合うと思うんだよね!」
「ピンクもあるのかよ。流石にピンクは合わないだろ」
「甘いなぁ。シャツの下から覗かせるのがオシャレなの。さぁさぁ、試着室にご案内~」
二人に背中を押されて、アオは反論の機会を完全に失った。パーティションと布で出来た小さな部屋に、服と一緒に閉じ込められる。
「着たら見せてね」
「最初は一番上の塊だからなー……って、そうだ」
出入口に掛けられた布を捲って、ソラが顔を突き出す。
「着方わかるか?」
「……わ、わかるよ! それぐらい!」
顔を真っ赤にして言い返したアオに、ソラはやはり笑ってカーテンを閉めた。
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