episode4.違う世界を認めるか諦めるか
休暇日
『本日は休暇日です。規定通りに休養を取り、心身ともに……』
朝のアラームと共に流れて来た音声を、アオはいつもと違う気分で聞いていた。常にアラームよりは数分早く起きるのだが、今日に限っては十五分も前に目が覚めてしまっていた。机の上に置かれた端末に、今流れたのと同じ内容が表示されている。辛抱強く待っていると、音声終了と共に画面が切り替わった。
『手続きを開始します』
画面にはいくつかの選択肢が表示されている。どのようにして休暇を過ごすかを、毎回入力してからでないと、部屋のロックは解除されない。これは計画的に物事を進める上層区の住人として当然の仕組みだった。
アオは一番下にある項目を選択する。いつもならすぐにロックが解除されるが、更に別の画面が展開した。
「へぇ、此処選ぶとこういう動きするんだ」
アオが選んだのは「下層区への視察」だった。誰にでも平等に与えられた項目であるが、選んだ人間は殆どいない。少なくともアオが知る限り、同世代の中にはいなかった。
新しく開いた画面には、下層区に行く場合の注意が長々と書かれている。一応目を通したが、「生き別れの双子に会いに行く」ことは処罰対象にならないようなので、早々にその画面を閉じた。とは言え、その項目があったところで下層区に行くのを中止したかどうかは疑問である。
「他の人に見つかると面倒だな。隠れて行こう」
下層区に行くというのは、どうにも恥ずかしいことのようにアオには感じられた。視察という名目で正当化されるとはいえ、実際にはソラに会いにいくだけである。懐かしくも遠い肉親。そんなものに振り回されているようでは、管理者の道は遠い。
この時代に家族と言う概念はない。遺伝子の類似などはあるが、それは元の遺伝子サンプルが近いことを示すだけで、血縁には成りえない。アオとソラが全く同じ遺伝子構造を持つ双生児であることは、システムの上では非常に稀なことであったが、それ以上でもそれ以下でもない。
しかしそれでも、アオは浮足立つのを止めることが出来なかった。
白い直方体を敷き詰めたような集合住宅を出て、ゴミ一つ落ちていない道へ踏み出す。まだ朝早いためか、掃除用のロボット以外の姿はない。アラームが鳴った以上は皆起きているだろうが、殆どは「シミュレーションの復習」か「統計情報の確認」を選び、机に座っている筈だった。
静かな道を、いつもより大股で歩く。管理区に繋がる道は今までに何度も使っているが、今日はどこか白々しくアオを出迎えるように見えた。傷一つない大きなガラス製の扉を押し開けて、中に一歩入る。
管理区は下層区と上層区を繋ぐ広いホールがある。ホールにはいくつもの端末が並んでおり、下層区の人間が様々な手続きを行うために訪れる。今日はシステムの更新を行っているらしく、似たような恰好をした人々がそれぞれ端末の操作をしていた。
「ったく、面倒だな」
「前に変えたばかりなのに。上層区のやることは非生産的なんだよな」
「現場を知らない人間なんてそんなもんだろ。……あ、おい」
少し年のいった作業員が、若い方の肩を小突いてアオの方を見やる。そして二人そろって慌てて顔を逸らした。アオの着ている白い服に反応しただけだが、その姿は酷く滑稽だった。能力の劣る下層区の人間が、何も知らずに文句を垂れる。それは管理学において幾度となく「悪例」として示されたものだった。
アオは気にせずにホールを横切り、下層区側の扉を開く。少し重い扉を力を込めて外側に開けば、数日前にも嗅いだ奇妙で複雑な臭いが襲い掛かってきた。
「あ、来た」
明るい声が臭いの中を潜るようにしてアオの耳まで届く。建物の前には、同じ顔をした双子の片割れが笑顔で立っていた。その姿を見たアオは、最初に思わず首を傾げた。
「まだ時間には早いよ」
「だって待ちきれなかったからさぁ。それに待ち合わせ時間より早く来るのは礼儀だろ?」
「礼儀?」
そう聞き返したのは、言葉の意味を知らなかったためではない。それが下層区にもあることに驚いたためだった。秩序を持たぬ下層区の人間たちは、最低限の常識しか持たない。アオは今までそう教えられてきたし、イグノールで見る数値もそれを示していると信じていた。
「何だよ」
「別に……」
「ってか、そんな服装で行くつもりか? 自分が上層区の人間だって言ってるようなもんだぜ」
アオの着ている服を見たソラが、からかうように言う。しかしアオ自身はそれが何故いけないのかわからなかった。
「駄目なの?」
「駄目だね」
ソラはあっさり言い切ると、管理区に背中を向けた。
「昨日バイト代入ったから、服見繕ってやるよ」
「服を見繕う?」
「あ、そっか。上層区にはコーディネートとかないもんな」
笑いながらソラは歩き出す。アオは慌ててそのあとを着いて行った。舗装もろくにされていない地面が、白い靴を徐々に浸食していく。几帳面に敷き詰められた床しか知らないアオの足には、下層部の地面は歪みすぎていた。
管理区前の広場を抜けて、大きな通りへと出る。その途端に今度は様々な音がアオに襲い掛かった。道行く人々の話し声、店らしき建物から流れてくる呼び込みの声、至る所に設置されているスピーカーから溢れ出すシステム音声。鼓膜が張り詰めるような感覚に襲われて思わず耳を押さえた。
「ソラ」
縋るように前方を歩くソラの背中を掴む。
「今日は何かあるの?」
「いつも此処はこんなだよ。一番デカイ道だしな」
「一番?」
それに引っ掛かりを覚えて周囲を見回す。薄汚れたフェンスや看板の間に紛れて、道路の名前が書かれた標識が立っていた。「B-01」と刻まれた文字を見てアオの記憶の中にある図面が展開する。
管理区に隣接するベータにおける主要道路の一つ。政策において流通の要となる場所であり、イグノールでも重要施設に付与されるのと同じ記号が割り振られている。だが今目の前に映っているのは、確かに人も物も多いが、あまりに汚い場所だった。いつも画面で見ているのは建築物の輪郭を青や緑のラインで表現したものであり、そこには人や店は数値でしか存在しない。
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