世界の欠片

 海岸を波が濡らす。どこまでも続く青い水平線に、小さな山のような物が見える。それはまだ人間が六十億人以上もいた頃に住んでいた世界の一部だった。

 皆が「世界の欠片」と呼ぶそれを見ながら、ソラは仕事で昂った脳を冷やすためにぼんやりしていたが、自分の名前を呼ばれると我に返って振り返る。防波堤の上に立ち、こちらを見下ろしているのはスオウだった。


「はい、あんたの分」

「あんがと」


 スオウが差し出した半透明のトレイの上には、香ばしい匂いを発する細長い麺が山盛りになっていた。


「砂糖乗せる?」

「いや、いいよ。ソースだけで甘いし」


 海沿いのエリアでよく売られている「焼きそば」は、比較的若い人間が好んで食べるものだった。甘ったるいソースで麺を焼き、その上に色とりどりの砂糖を掛ける。それを潮風を浴びながら食べることで絶妙な調和が生まれると言われているが、ソラにはいまいち理解が出来なかった。ラーメンの方が多様性があるうえに食べ方に妙な作法も要らない。

 ソラが此処に来るのは、砂浜が好きだからだった。昔、アオとよく一緒に砂場で遊んでいた頃のことを、この場所は心地よく思い出させてくれる。


「そういえば、アーカイブメモリから昔の映像手に入れたんだ」


 スオウはソラの隣に腰を下ろし、自分の焼きそばに砂糖を山ほど掛けながら口を開いた。


「どこかの人間が焼きそば食べてる映像」

「へぇ。どうだった?」

「なんか砂糖じゃないもん大量に掛けてたよ。細長ーいピンク色のもの」

「塩じゃねぇか?」

「塩をあんなに掛けたら、しょっぱくて食べれないよ」


 どこか呆れたように笑いながら、スオウは麺をフォークに巻きつけて口に入れる。砂糖を噛み締める音がソラの耳まで届いた。

 防波堤には他にも多くの人々が腰を下ろし、少し離れた場所で売っている食べ物や飲み物を手に談笑をしている。時々聞こえる金属笛のような音は、人気のボードゲームである「シーク・アンド・ル―」に誰かが興じているためだった。


「あれってさ」


 スオウが同じ音を聞きつけて口を開く。


「何でアナログのままなんだろうね。世の中は殆どがデジタル化してるのに」

「やったことないのかよ。有名だぜ?」

「無いよ。オメガブロックでは一時期禁止されてたせいかもね」


 稀に、上層区の政策により各居住区に対して一部の行為が禁止されることがある。そのため、生まれ育った時期によっては他の居住区で流行していたものなどを知らないことも多い。


「シーク・アンド・ルーは簡単に言えば陣取りゲームだ。五種類のカードと駒を使って、交互に陣取りをしていく」

「よくあるタイプのゲームじゃない」

「まぁな。でもこのゲームの面白いところは、目隠しをして行うことにある」


 カードと駒は種類ごとに形や触感が異なる。基本はどの駒を選ぶか宣言してから盤上に置くが、それが嘘の場合もある。また盤面も同じ触感のものしか置けない場所があり、そこに正しくないものを置いた時には、今のような笛の音がする。

 プレイヤーは互いの嘘を巧妙に見破り、あるいは利用することで自分の陣地を広げ、最後の駒が無くなった時に初めて盤面の状態を見ることが出来る。


「触感と記憶、そして音に頼るゲームだからな。相手が置いた駒を利用して自分の陣地を広げていくことも可能だし、その逆のリスクも存在する。デジタル化出来ないゲームってわけだ」

「詳しいじゃない。得意なの?」

「それなりに。今度持ってこようか」


 何の気なしに言った言葉に、スオウは全力の肯定を返す。いつもは年上然としているのに、不意に見せる子供っぽい仕草がソラは気に入っていた。


「そしたら、とっておきのデータ持ってきてあげる」

「何? 前みたいに、女が裸で踊ってるやつなんか要らねぇからな」


 この島には「アーカイバメモリ」と呼ばれる、昔のデータを寄せ集めたものが存在する。ハレルヤが世界から集め、そして「廃棄」したデータが地下にあるサーバ群に保存されている。そこにアクセス出来る人間は限られており、ソラでも少し難しい。


「昔のデータって、そういうのがたくさんあるんだよね。アダルトなんとか、って呼んでたらしいよ」

「人間が生殖するのに必要だったんだろ。今じゃただの気味悪い映像だ」

「そーお? 結構あれに出てくる女の人ってスタイルいいから、憧れるんだけど」


 焼きそばの器を置いて、スオウは胸の上で両手で弧を描く仕草をした。ソラはそれを見て鼻で笑う。


「くっだらね。とっておきのデータとやらも怪しいもんだな」

「失礼な。それは本当にとっておきなんだから。人工知能のソースコードだよ」


 勿体つけて言ったスオウに、ソラは驚いた表情を返した。口の端にソースをつけたまま、食いつくように問い返す。


「マジで?」

「どこかの国で開発されていた人工知能のソースコード。といっても専門外だからちゃんと読み解けてはないけど、そういうの好きでしょ?」

「言語は? ベースは何? 開発したのは……」


 矢継ぎ早に質問を重ねるソラだったが、それを抑止するように手のひらが突き付けられた。


「だから、ちゃんとは読み解いてないよ。そのデータに書き込まれたコメントみただけ。どのぐらいの性能かもわからないし」

「じゃあ凄い性能のものかもしれないってことだな」

「あんたの前向きさは尊敬に値する。期待外れの代物でも責めたりしないでね」


 ハレルヤによって管理されるこの世界では、人工知能の開発だけが進んでいない。上層区も開発を推奨しないし、下層区でも開発によって得るものがないので、余程の物好き以外は関心すら示さない。

 だが、ソラは独学で人工知能について研究を重ねていた。いつか自分で作れるようになれば、ハレルヤのことを理解出来る。そしてアオと自分の違いが分かる筈だと信じていた。あの時、引き離されてしまったことを、ソラは今でも納得していない。だからこそ、二人の間の決定的な違いを探していた。

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