バスに揺られて

「隣いい?」


 ソラは先頭の席に座っている男に声を掛けた。ぼんやりと窓の外を見ていたその男は、少し遅れて反応すると、小さく頷いてソラのために席を空ける。


 ピンク色の座席に腰を下ろしたソラは、バスのフロントガラスに目を向けた。

 運行は全て人工頭脳により制御されている。そのため乗務員はいない。フロントガラスの下に置かれた大きな筐体が、表面のランプやコードを点滅させながら、バスの動きを操っている。


「……どこまで?」


 隣の男が話しかけて来たので、ソラはそちらに首を曲げる。三十代と思しきその男は、グレーのスーツを着ていた。


 公共機関で隣の人と雑談を交わすことは、下層区では日常風景だった。話しかけるのも、それに応ずるのも人の自由であり、会話が成立しなくても誰も不満を抱いたりはしない。

 ソラは話し好きなので、そういった雑談にはいつも気安く応じることにしていた。


「ガンマのベイドリックスで仕事」

「あぁ、あそこね」


 男はソラが膝の上に抱えている荷物を一瞥する。


「エンジニア。フリーかな?」

「そう。今日は「廃品回収」なんだ」

「それが専門?」

「基本的には何でも。得意なのは「サルベージ」かな。結構勘がいいの、俺」


 白い歯を見せて笑うソラに対し、男は穏やかな笑みで返す。


「それは良い。サルベージだけは技術だけで解決しないことが多いからね」

「お兄さんもエンジニア?」

「元は上層区の下請けだった。途中で「仕様適用率が一パーセント低下したから」という理由で契約破棄されたけどね。それ以降は」


 男は座席の肘掛けを指で叩く。乾いたプラスチックの音が少しだけ鳴った。


「このバスの整備担当だ」

「そういう仕事もあるんだ」


 へぇ、とソラは素直に驚く。下層区の職種は非常に多種多様であり、毎日新しい職業が生まれているとすら言われている。

 上層区はどういうわけか職業というものに無頓着であり、突然工場などを廃止して人々が無職になったとしても、それをフォローすることはない。失業した人間は、揃って肩を竦めるか首を括るかして、自分たちが働いていた場所を去っていく。


 数ある職業の中で、一定の人口を保ち続けるのはソラ達のようなエンジニアだった。所属している企業が上層区の命令で解体されたとしても、技術さえ持っていればすぐに別の仕事にありつける。上層区の政策により目まぐるしく変わるシステムに対応できる人材というのは、下層区の中でも「高等」の部類だった。


「僕も知らなかったんだよ。失業してから君のようにフリーで「廃品回収」をしていてね。そこで倒産した企業の企画書を見つけたんだ。そこにこの仕事のことが書かれていたというわけさ」


 上層区によって作られ、そして解体される企業のサーバやネットワークには、多くの情報が残っている。それを回収して他の企業に売りつけたり、自分で別の物を作り出すことを「廃品回収」と呼んでいた。


 ソラが得意とする「サルベージ」はそれより数段難易度が高いものであり、壊れてしまったサーバや端末から情報を吸い上げることを示す。殆どが不発に終わることが多いが、運よく吸い上げることが出来た場合には「廃品」よりも良い値段で捌ける。

 ただ、これには技術力よりも勘が物を言うため、専門とするエンジニアは少なかった。


「別に仕事をしなくても、あのまずい食べ物とスムージーで我慢すればいいだけなんだけどね。どうせなら好きな仕事をして、好きなものを食べたいじゃないか」

「完全に同意。俺、ラーメンが好き」

「私はステーキが好きでね。この前、牛肉の生産が抑制されたせいで、満足に食べられていないが」

「そのうちまた、生産量が上がるよ。いつだってそうだろ?」


 慰めにもならないことを言うと、男は愉快そうに笑った。

 バスの中の他の乗客も、同じように隣同士で会話をしたり、一人で夢想にふけったりしている。一番奥の座席で窓の外を食い入るように見ている幼い子供は、まだ下層区に来たばかりと思われた。


 下層区に来た子供は、まずその街並みに驚く。今まで過ごしていた閉鎖的で退屈で、だが清潔な場所とは全く異なる世界。半数以上の子供はそれに怯えて、元居た場所に帰りたがって泣くが、それも長くは続かない。一年、あるいは数年先に下層区に来た「先輩」がそれぞれ新入りの子供を迎えに来て、住むべき場所へと誘う。


 最初は戸惑い、泣いていた子供も、下層区を歩くうちに一種の諦めを身に着ける。賑やかで楽しげで、それでいて何処か不自然な街を見て悟る。「順応しなければ生きていけない」と。


「あ、次だ」


 他愛もない話をしているうちに、バスはソラの目的地の近くまで来ていた。何度か来た街は、見覚えのある場所ではあるが、いつもどこかそっけないようにソラには思える。恐らくその理由は、街が放つ匂いのせいだった。


「じゃあな、お兄さん」

「頑張って」


 バスが停まると、ソラは男に別れを告げて下車した。また会うかもしれないし、二度と会わないかもしれない。どちらだとしてもソラは気にしない。

 バス停に降り立つと、ガンマ地区特有の匂いが鼻腔を突いた。口の中が乾くような、目が痺れるような、何よりも塩辛い匂い。視線を上げると、所狭しと立ち並ぶ建物の隙間から、水平線が見えた。

 この小さな島で、ガンマ地区は最も海に面している土地が多い。海岸線を添うように建物が並んでいるため、何処にいても海の匂いがする。


「よーし、今日はさっさと終わらせて海で遊ぼーっと!」


 ソラは気合を入れるために大きな声を出すと、仕事場に向かって歩き出した。

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