正しいか否か

 規則。それは全て正しいもので満たされている。

 上層区は規則を守ることが出来る。故に間違えることは無い。


「遅いと思ったら、下層区に行ってたの?」

「静かに」


 全てのカリキュラムが終わり、夕食までの短い時間をアオは復習の時間に当てていた。他の子供達も概ね同じであり、隣に座るアカネもブロンドの髪を掻きながらモニタを見つめている。


 経済学のカリキュラムに遅れて入ってきたアオを咎めた者はいなかった。政策の適用を認められた者が管理区から戻るのが遅れても、誰もその理由を尋ねたりなどしない。何故なら管理区はハレルヤの「居住」する場所であり、この世界の根幹でもある。多少滞在時間が長くても、ハレルヤが政策の処理に時間をかけたとしか思われない。


「無理矢理引っ張り出されたんだ。良い迷惑だよ」

「誰に?」

「……双子の片割れ」


 アカネが驚いた顔でアオを見る。アオはそれに気付かない振りをして、モニタに映る経済変動グラフに視線を注いだ。


「双子だったの?」

「言わなかったかな」

「聞いてないよ。管理区で偶に生まれるらしいね。殆どは片方が死んじゃうか、もう片方に取り込まれちゃうらしいけど」

「そうみたいだね」


 この世界でたった一人の家族は、小さい頃と同じように行動的だった。いつもそうしていたように、アオに抱き着いて喜び、揶揄い、そして笑っていた。

 その姿を見て、アオは嫌というほど思い知らされた。自分と片割れは別の世界に生きている。生まれた細胞は同じでも、歩む場所が違う。


 下層区の空気は色々な匂いが混じっていたし、抱き着いてきたソラの服は絹や木綿ではない、よくわからない素材で出来ていた。缶珈琲は金属のような変な味がしたし、ゴミ箱の中には見たこともないものが沢山入っていた。


 規則正しい上層区の世界とは、何もかもが違いすぎた。

 あの無秩序極まりない世界で「楽しい」というソラが、アオには全く理解出来なかった。


「少し見ただけでわかったよ。下層区の人間は僕達が導かなきゃいけないんだ」

「導く、ねぇ」


 アカネはアオの言葉に鼻白んだように呟く。


「導いてどうするの? 皆、アタシ達みたいに規則正しく生きるわけ?」

「それが正しいだろ? 現に僕達は管理区から出て八年間、ハレルヤに従って正しく成長している」

「本当に?」


 その言葉に、アオは入力装置を弄る手を止めた。首を回し、自分を見つめているアカネの目を見る。薄茶色の目は真っすぐにアオを射抜いていて、それはソラによく似ていた。


「皆が同じことをしているだけだよ」

「だから、皆正しい……」

「私達が正しいなら、下層区は間違っている。本当にそうなのかな? そもそも私達は正しいから此処にいるの?」


 夕食の時間を知らせるチャイムが鳴り、皆一斉に立ち上がる。普段ならアオもそうするはずだったが、アカネが動かなかったために出遅れた。


「行かないの?」

「本当に私達が正しいのなら、どうして政策が失敗するのかしら」


 失敗、という言葉をアカネは何の躊躇いもなく口にした。それは上層区で最も嫌われれる言葉のうちの一つだった。


「あれは不完全なだけだ」

「それを下層区に押し付けている」


 アカネは悲しそうな表情を浮かべると、椅子から立ち上がった。もう部屋には二人しか残っていない。


「正しいか正しくないか決めるのは上層区だけの特権じゃない。下層区の人だって持ってるんだよ」


 その言葉は小さな棘となり、アオの心に突き刺さる。痛い訳でもなければ、くすぐったい訳でもない。ただ何か解消できない気持ちが其処に燻る。

 下層区は上層区より劣っていて、思考能力が低く、導いてやらないと何も出来ない。そう教え込まれて来たのは、アオもアカネも同じはずだった。自分達に差が出るとすれば、「性能」であって「思考」ではない。なのにアカネの思考は上層区にいる人間達とは違っていた。

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