異なる二人
管理区の前にあるベンチに腰を下ろしたアオに、ソラは缶珈琲を差し出した。
「はい」
「ありがとう」
右隣に座ったソラは、やっと会えた相手を前に上機嫌だった。
家族という概念が崩壊した世界で、アオとソラは数少ない「家族」だった。一つの受精卵が二つに分かれ、それがそのまま育ってしまった一卵性双生児。
一緒に生まれて一緒に育ち、一緒に選別された。片方は上層区へ、片方は下層区へ。結果が出た時に二人は驚いたが、その決定は覆ることはなく、それぞれ別の扉をくぐった。それから八年。ソラがいつまでもフリーの情報屋でいたのは、アオに会うためでもあった。
「いつか管理区に来るかなって思って、待ってたんだ。こんなに早く会えると思ってなかった」
「待ってたって……。普段何してるの?」
「んー? 別に何も。小遣い稼ぎに情報屋とかしてるけど」
「あ、そう……」
缶珈琲を持ったまま、アオは歯切れ悪く返す。その様子を見て、ソラは首を傾げた。
「どうしたんだよ」
「まさかあんな強引に引きずり出されるとは思わなかったから」
「だってさ、次にいつ会えるかわからねぇだろ? そう思ったらつい。アオは俺に会いたくなかった?」
「別にそんなことはないよ」
曖昧な返事をするアオに、ソラは気を悪くした様子もなく微笑んだ。
「管理区で何してたんだ?」
「政策の適用だよ。僕達は毎日シミュレーションを行って、良い政策が出たとハレルヤに判断されたら、それを下層区に適用するんだ」
「へぇ。じゃあアオのが選ばれたのか。凄いじゃん。俺、てっきり当番制かと思った」
「そんなわけないだろ。より良い世界を作るために……」
「下らない政策ばっかりだから」
ソラが悪気なく言った言葉にアオが驚いた表情を浮かべる。
「下らないって何だよ」
「あ、ごめん。でも変な政策多いだろ。精肉工場が停止したせいで、チャーシュー小さいしさ」
「ちゃーしゅー?」
「ラーメンの具材。食い物なんだけど、知ってるか?」
問いに対してアオは首を左右に振る。
「知らない。そんな料理、下層区が食べてるなんてデータないよ」
「あぁ、無許可だからな。でもオメガブロックはラーメン激戦区だし、年に一度は大会もあるし、結構人気なんだぜ」
「それに肉を使うの?」
「別にそれだけじゃねぇよ。俺達、基本的に外食だからさ。肉も小麦もたーくさん使うわけ。なのに停止するから、大変だったよ」
精肉業を停止したのは、アオだった。
小麦の消費量を上げるためのシミュレーションをベータブロックで実施したところ、何故か人口に対して過剰なまでの精肉が行われていた。無駄だと即座に判断したアオはそれを切り捨てて、結果としてその政策が選ばれた。
「支給されている食事は?」
「あんなブロック片食えるかよ。管理区にいた時ならとにかく、下層区には美味いもの沢山あるのによ。……ってか飲まねぇの、珈琲」
ソラの問いに対して、アオは言いにくそうに口ごもる。
「飲み方知らない」
「マジかよ。じゃあ今も管理区にいた時みてぇに、プラスチックの容器に入った、まっずいスムージー飲んでんのか?」
「後は高緯度水とか」
「固形食料にスムージー、おまけに高緯度水? 結構だな。栄養抜群、バランスもいい。何しろ上層区の連中の食い物ってだけで意味がある」
アオの手から缶を取り上げたソラは、飲み口の開閉装置を慣れた手つきで外し、再び相手へと返す。
「傾けて飲むんだよ。スムージーと一緒だ」
言われた通りに缶を傾け、液体を口の中に入れたアオは、未知の味に目を見開き、思わずそれを地面に吐き出した。黒い液体が黒い地面に吸い込まれる。
「勿体ねぇな」
「な、何これ……」
「カフェイン飲料だよ。大昔からある飲み物で、眠い時に飲むと目が覚める」
「苦い……」
泣きそうな顔をするアオを見て、ソラは愉快そうに笑う。
「お子様だなー。下層区じゃ珈琲飲めないのは子供って言われるんだぜ。ミルクたーっぷり入れてお砂糖まぶしたのじゃないと飲めないようなのはな」
「何てもの飲んでるんだよ。理解出来ない」
「うーん、あの不味いスムージーしか飲んでない奴には刺激が強すぎたか」
「まさか下層区では皆これを飲んでるの?」
「皆じゃないけど、まぁポピュラーな飲み物だな。飲めないなら返せよ。片付けてやるから」
仕方のない幼い子供を諭すような言い方に、アオは途端に不機嫌になる。手を伸ばしたソラに背を向けるように体を捻り、そのまま缶の中身を喉に流し込んだ。
苦い液体が舌の上を通って喉を撫で、胃の中へと落下していく。
「おい、そんな一気に飲むと……」
ソラが何か言いかけたが、構わずに全て飲み干したアオは、空になった缶を突き返す。
「飲んだよ」
「……相変わらず負けず嫌いだな」
「下層区が飲める物を僕が飲めないわけがない」
「言うねぇ」
空き缶はソラの手を経由して、ベンチの横のゴミ箱に放り込まれる。
「なぁなぁ、飯食いに行こうぜ」
「まだ食事の時間じゃないし、僕はまだカリキュラムが残ってる」
「腹減ったら食えばいいもんだろ、食事って」
「僕はお前達と違うんだ。欲望のままに動いてたら、上層区にはいられない。僕達には下層区を管理する義務がある」
「その下層区の食い物も知らないのに?」
喉に残る珈琲の味が、アオの口の中に蘇る。何か言い返そうとしたアオに、ソラは人差し指を立てて鼻先に突きつけた。
「お前、自分で下層区に来ること出来ないの?」
「……出来ないことはない。僕達には「自由行動日」が週に一度の頻度で与えられている。その日は何をしても自由なんだ」
「下層区に来るのも?」
アオが頷くと、ソラの顔が輝いた。心底嬉しくて仕方がない、といった表情でアオの手を取り、子供時代のようにそれを自分の頬に寄せる。
「じゃあ来てよ。俺、待ってるから」
「来て、何をするんだよ」
「下層区を見せてやるよ。お前が政策を行うなら、本当の下層区を知っていたほうがいいだろ?」
本当の、という言葉にアオの心が揺れる。上層区で見る下層区はデータ上の数値に過ぎない。政策を行った後に定期的に届く各ステータスを見て、変化があったかどうか見るだけである。今までハレルヤに採用された政策はいくつかあったが、そのうち半分は状況が好転するどころか悪化した。その理由がわからずに悩んだ夜もある。
だが政策が失敗した理由が、自分の知らない下層区にあるとすれば、それを知ることでシミュレーションの精度が飛躍的に上昇するかもしれない。そうすれば下層区をより良い世界にすることが出来る。
「……自由行動日は、二日後だ。僕達は朝九時から行動をする」
「わかった。九時に此処で待ってるから、絶対に来いよ」
ソラは体を前のめりにして声を強くする。アオは少し気圧されながらも、一度だけしっかりと頷いた。
「約束だからな」
「わかってる。でも今日はもう戻らないと。もう一度、あの扉開けてくれる?」
アオは管理区の建物を指さして言った。それに応じてベンチから立ち上がったソラは、機嫌よく口笛を吹きながら扉の方へと向かう。
アオはその背中を見て、子供の頃を思い出した。管理区にいた頃、ソラの背中をいつも追いかけていた。活発で落ち着きがなくて、追いかけていないとすぐに見失いそうで怖かった。だから八年前に互いの未来が分かれた時、アオは下層区に向かうソラの背中から目を逸らしてしまった。
「ソラ」
「何だ?」
「ソラは此処にいて楽しい?」
カードキーを使って扉を開いたソラは、その問いに対して少しだけ不思議そうな顔をしたものの、すぐに笑顔に戻った。
「楽しいよ。お前は?」
開かれた扉の向こうに、上層区に続く扉が重なる。アオはそれを見ながら、小さな声で呟いた。
「考えたこともないな」
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