第25話 【最終章/夏 ぬけがらを、抱きしめて】⑤
《夏/臼井 佑介 『ぬけがらをつかむように』》(中)
夕方になり、二人で花火大会に向かった。
河川敷の沿いに、夏祭りの定番の屋台が並ぶ。土手を散策しながら、幸と大会が始まるのを待っていた。幸はふと横目で右側を確認し、立ち止まる。
視線の先には、りんご飴の屋台があった。蕩けるような祭りの提灯のあかりを映し、紅くてらてら光る飴がずらっと並ぶ。その光景は、いくつになっても胸が躍るものだった。
「りんご飴ってさぁ、なんであるんだろうね? これおいしいっていう人いるのかな?」
「っぽさだろ。祭りっぽさ」
おれらの話が聞こえたのか、屋台の店主の老人が冷たくこちらに目をやった。
「ま、あたしは好きなんだけどね」
幸はクスクスと笑い、りんご飴を一つ注文した。
「好きなら悪口言うなよ、ひやひやしただろ」
おれがぼやくのを尻目に、幸は小さな口をいっぱいに開け、芯のりんごに届くようにかぶりつく。頬が緩むのを見て、おれは「カロリー高そうだな」と嫌味を言いながら笑った。
「……知らん」
幸は後ろめたさをどこか感じたように目を伏せるが、次の瞬間にはもう元の満足そうな顔に戻っていた。
気づくと、潤に対し幸として接してしまっていた。幸と話すぎこちなさが徐々になくなっていく。昔の幸といたころのような気持ちになり、思わず楽しんでしまっている瞬間すらあった。しかもそれは、友人の自殺の事件が起きる前の幸がベースになっている。
文句や不満はもちろん言うけれど、ふざけ合い、笑いあえた頃の幸なのだ。
もし、潤がおれの前で幸として接してくれたら……。
絶対に抱いてはいけない願望までもが、頭を過ってしまった。
強い誘惑を振り払うための最後の砦が、幸と約束した写真撮影だった。
幸を本物の幸として撮影してしまったら、生きていた頃のあいつの存在がおれの中で消えてしまう。
「あれ、もしかして佑介先輩!?」
名前を呼ばれ、何事かと振り返る。
人ごみの向こうに、写真部の後輩・岡村と東がいた。二人はこちらに向かって手を振っている。
まずい。潤が女装して歩いていることに気づかれたら、どういう風に見られるだろう。
おれは幸にそっと声をかけ、土手から川べりへと降りる階段を指さした。
「あそこから降りて走れ。理由は後で説明する」
「ん? 迷子になるよ、佑介!」
「いいから走れ!」
怪訝そうにする幸に叫ぶも遅く、岡村たちが人波を強引にかき分け、おれたちの元にやってきた。
「佑介先輩ってイギリス行ってたんじゃないんですかぁ?」
岡村が再会した喜びと、疑問が混ざった複雑な心境を一切隠さずに話しかけてきた。
「……」
気づかないふりをして無視するが、白々しいだろう。おれは意を決し、ぎこちなく笑いかけた。
「よぉ」
「岡村。失礼すぎるでしょ。きっとうまくいかなかったんだよ!」と、東が追い打ちをかける。彼女らの間ではよくあったやりとりだ。
「東の方が失礼じゃね?」
笑いながら小突き合う。一見するとぶしつけだが、明るく振る舞うことでいい空気を作ろうとしてくれているのはわかる。
「……わかってるなら傷口、抉るなよ」
おれは調子を合わせ、笑顔を返す。どうにかやり過ごせるかと思ったが、幸が割って入ってくる。
「岡村さん、東さん。いくらなんでも、その言い方はないんじゃないですか?」
「おい、じゅ……幸」
おれが制そうとしても、幸の怒りは収まらないようだった。
岡村と東は、その姿を見てきょとんとしている。
「えっと……潤先輩の妹ちゃん?」
岡村が必死に思い出すように、まじまじと幸の顔を見つめた。
「いやいや、これは潤先輩でしょ! いやぁ、マジ可愛いですね」
「先輩たち、何してるんですか? デート?」
「ていうか、うちら見ちゃいけない光景を見てしまった気がぁ」
岡村たちの矢継ぎ早のやりとりに、幸も気圧されてしまっている。
「そうじゃなくて……」
「先輩、これが倒錯の世界ってやつですねぇ!」
「あの、なんかすいません。うちら、お邪魔なんで行きますねー?」
あっけらかんと笑う岡村に対し、空気を察したのか東は苦笑いを浮かべる。
東は岡村を引っ張り、別れの言葉もそこそこに足早に去っていった。
「よりにもよって、あいつらか」
「……気にしなくていいよ、佑介。それよりほら、花火大会もうじき始まるよ!」
幸は笑顔を作って、おれの肩を叩いた。
この状況を絶対に知られてはいけないやつらに見つかってしまった。面白半分に、大学中に触れ回られてもおかしくない。
おれと幸だけのときはまだよかった。
だが、他者が関わってきた途端、ふと我にかえってしまった。
何をやってるんだ、おれたちは。
このままじゃいけない。
おれの幸への気持ちも、潤の生活もめちゃくちゃになってしまう。
やはり、はっきりと言わなくてはいけないのだろうか。
「あ、佑介、見なよ!」
幸がおれの袖を引き、右手で川の向こうを指さす。花火が打ち出され、上っていく音に耳を澄ませるかのように、ざわついていた周囲が静まる。
心臓を打つ、大きな花火の音。
開いた橙色の花の美しさに、幸は黙り込み、圧倒されているようだった。
彼女はそっと、おれの手を握ってきた。
それを握りかえすべきなのか。
……駄目だ。
「なぁ」
次々と打ち出される花火の轟音の中でも、幸には聞こえたらしい。
振り向きはしなかったけど、おれの話に耳を傾けてくれたようだ。
「やっぱり、こんなのやめよう。続けていたら……本当に、おかしくなる。ましてやおれたち、男同士なんだ」
「男? ついにあたし男ですか? 胸はしょうがないでしょ!」
「ふざけないでちゃんと聞いてくれ……潤」
おれは潤が幸になってから、初めて「潤」とはっきりと呼んだ。
潤の指先がこわばるのがはっきりとわかる。
視線は他の観客と同じように花火を捉えながらも、潤はおれに向かって言った。
「幸の願いを、叶えなきゃいけないんだ」
「死んだやつには、なにもしてやれないんだよ」
こんな当たり前のこと、言いたくはない。
「幸は、僕の中にいるんだ。幸が佑介としたかったことを、僕が……」
「お前は幸じゃないんだよ。あいつは死んだんだ」
「……」
「第一、いつまでこうしていられる? 幸の願いがかなうまで、これからずっとお前がそうして暮らすのか? おれがイギリスに戻った後も? それとも、叶ったらもうそこで終わりか?」
自分で言いながら、胸が締め付けられる。
目の前にいるのは潤で、幸は死んだんだ。
受け入れられない気持ちで胸がいっぱいになり、途端に強い吐き気がした。
「そんな当たり前のこと言わないでくれ! 佑介は何もしないでいられるの? ただ、幸は死んだんだって受け入れられるのか?」
「……」
「絶対に幸の願いを叶えたい。佑介が協力しなくたっても。それまでは、僕は僕じゃない」
潤はおれの手を放し、離れていこうとした。その姿が、最後の幸の背中とダブった。
カメラマンになると約束して、幸が人ごみの中に紛れていった光景が蘇った。
そのまま、幸は二度と戻ってこなかった。おれが手を放したからだ。
「待ってくれ!」
咄嗟におれは潤の手を取った。
「離してよ、佑介」
潤がどんなに怒りを露わにしても、手を掴んだまま放さなかった。
「もう後悔したくねぇんだよ! おれが手を離さなかったら……幸を救えたかもしれないんだ」
「……佑介」
潤の拒む力が、一瞬緩まった。
「本当はおれも、幸のためになにかしてやりたいんだよ。あいつの、やりたかったこと……叶えてやりたいんだ」
幸がやりたかったこと。
本当に何をしたかったのか、おれはわかってやれていない。
それでも、やらなくちゃいけないことがある。
幸が憧れていたという、デパートの屋上で行われた結婚式。
ウェディングドレス姿で写真を撮ること。
しあわせな、結婚式を挙げること。
「……」
おれはポケットに手を突っ込んだ。
咄嗟に入れた、セミのぬけがらの感触を確かめた。
「明日、幸の誕生日だよな?」
「ん」
「デパート」
「え?」
「欲しかったんだろ?」
おれは、幸に対する贖罪の気持ちがある。
そんな思いが、薄っぺらに感じてしまう瞬間もあった。
償いは、死者に報いる綺麗な行為なんかじゃない。生きている人間が、心を整理して前に進むためのものに過ぎないんだ。
……死者を闇に葬ることで。
だけど、おれは今、偽善に怯えるそんな独りよがりな心に蓋をした。
潤の幸への想いに触れたら、そんなことに拘っていられないと思えるんだ。
昔から、ずっと疑問だった。
おれはなぜ、一見すると自分の被写体の対象から外れていそうな潤を撮影していたのか。
理由はあまりにも簡単だ。
潤はスマートな人間なんかじゃない。幸のためなら、なりふり構わず何でもやってみせるような、誰よりも必死な人間なんだ。
彼の内側にある熱に、おれはずっと浮かされ続けている。
その光に触発され、おれも輝いてみたい。
ごく単純な衝動だ。
……幸。
おれ、絶対にお前の願いを叶えるから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます