第3話 【第一章/秋 ぬけがらさえ、残せずに】③

《秋/臼井 佑介 『幸と潤』》


「私の母は、海外でカメラマンをしているって話はしたわよね? 臼井君、会って話したら色々勉強になるんじゃない? きっと臼井君の写真、気に入るわ」

 文化祭でにぎわう大学構内でも、玲子の声はよく響いた。心なしか通りすがりに生暖かい視線さえ感じる。

 おれが悪かったんだ。

 自分の都合だけですべてを決める玲子に、思わず「親の顔が見てみたい」なんて呟いてしまったから。こんな紋切り型の不満を言うべきではなかった。

 額面通り受け取った玲子は親のことをつらつら語り、会う算段まで考え始めている。

「いや、プロに見てもらうほどのもんでも……。完全に独学だしさ、ましてやポラの写真だし」

「技術なんて後からいくらでも磨ける! 感性よ、感性」

 もし会うことになったら。

 冗談じゃない。たかが大学生同士の恋愛で、親へのあいさつなんて。

 その先の関係なんかわかりもしないのだ。

 どう話を逸らそうか、迷っているうちに写真部の展示教室にたどり着いた。

 ノックの一つもせず、勢いよく戸を引く玲子。

「……」

 おれはそこに膝立ちしていたセーラー服の少女を見て、言葉を失う。

「……幸?」

 そうだ。幸が笑みを浮かべ、後輩の女子部員二人に写真を撮られている。

 すぐにフラッシュバックした。

 あのとき、球場で見せた幸の笑顔。

 一枚でも写真を撮ってやればよかったと思っていた、あの笑顔だ。

「何。臼井君、本当に遠藤君に惚れたの?」

「遠藤君って……」

「佑介! どうして? 午後からじゃないの?」

 はこちらに気づくと、驚きの声を上げ、むず痒そうな照れ笑いを浮かべて顔を逸らす。

 声を聴き、魔法が解けたようにハッとする。

 そうだよな、幸じゃない。

 潤だ。あいつがここにいるはずない。

 よく見たら幸に比べたら体格だっていいし、髪だってウィッグじゃないか。

 それなのに勘違いするだけ、潤と幸は表情から雰囲気から、似ているように見えた。

 日頃の幸と潤は、顔立ちは似ていても中身は一八〇度違う。

 喜怒哀楽が激しい幸と、常に穏やかな微笑みを浮かべている潤。

 性格の正反対さが故に、いつもは似ているとは感じないが、やはり兄妹だ。

「どうせさぁ、お客さん全然来ないよねーって話してましてぇ」

 後輩部員の岡村が、いつもの間延びした調子で説明を始めた。

「潤先輩の女装写真なら、話題作りになるでしょ!」

「てか、潤先輩マジ細っ。それ、あたしの制服なんですよ」

 岡村と一緒にはしゃいで撮影をしていた東もこちらに近づいてくる。岡村と笑いあい、潤に向かって再びレンズを向けた。

「……お前も断れよ、潤」

「いやー、お客さん来ないのは事実だしね。佑介の面白い反応も見れたし」

「面白かねぇよ」

「それに、日頃あんまり部に貢献できてないからさ。せめて」

「に、してもな」

 潤は医学部に通っているせいで、部活動に顔を出すことはあまりない。時間割の都合上、野球を続けることができない潤は、おれに付き合って写真部に入ったのだ。

 おれは文学部で平日に休みも一日あるが、彼は週五日、朝から晩まで授業でみっちりのようだった。文化祭のようなイベントは、数少ない息抜きだろう。

「さっき言ってた幸さんっていうのは誰?」

 玲子はどすの利いた声でおれをけん制する。

「潤の妹だよ! あんまりに似てるから思わず……」

「ふぅん」

「な、潤?」

 おれは潤に助けを求めるも、潤は曖昧に首を傾げるだけ。

「……臼井君」

「いや、違うんだって玲子!」

「佑介の言うとおりだよ」

 潤はすぐに吹き出し、玲子に笑いかけた。

 彼とは高校に入ってからすぐの付き合いで、もう六年以上になるが、どこかつかみどころがない印象は変わっていない。

「そんな似てる?」

 不思議そうに顔を覗き込んでくる様子も、幸そのものだった。いつもの潤とは違う仕草を自然としてしまうのだろうか。

「似すぎだよ、馬鹿。化粧の仕方まで同じじゃねーか」

「いや、幸に化粧を教えたの、僕だから」

「……」

 おれと玲子は訝しげに潤を見つめ、岡村と東は何がそこまで嬉しいのか、超音波に近い声を上げる。

「そうでもしないと、幸は自分から覚えようとしなかったからねぇ」

 潤は笑っていたけど、愁いが透けて見えた。その表情に気づいていたのはおれだけなのか、玲子はずかずかと潤に近づき、顔をずいとのぞく。

「美形かなとは思っていたけど。思った以上にかわいいのね」

「……ありがとう」

 さすがの潤も、玲子の遠慮ない振る舞いにたじろいだようだ。

「綺麗だわ。倒錯的な耽美の世界」

 玲子はおれの腕を引っ張り潤と並べる。

「いや、おれはいいって」

「……ほら、二人ともこっち見て?」

 玲子はこちらに向けたカメラのファインダーを覗くと、眉根を顰めた。

「遠藤君のワンショットでいきましょう!」

 なるほど、おれは「耽美な世界」には不似合らしい。

 玲子はおれの腕を再び強く引き、「貴方もぼやっとしてないで早く撮りなさい!」と急かした。

「わかったよ。潤が事件を起こしたら、この写真を警察に送りつけよう」と冗談めかし、おれはポラロイドカメラを向ける。

 潤は他の部員にカメラを向けられた時とは違い、困惑した顔を浮かべた。

 試しに一枚シャッターを切るが、せっかくだったらとことん可愛く撮ってやる方が後々笑い話としていいかもしれない。

「ほれ、もう一枚。可愛く撮ってやっから、もっと笑え」

 おれが言うと、潤は本気ではにかんだように、くしゃっと笑った。おれは撮影済みのポラロイドのフィルムをつまみ、軽く振った。(この行為に意味がないのはわかっているけれど、儀式的にそうしてしまう)

 浮かび上がる写真を確認するなり、息を呑む。

 幸。

 違うのはわかっていても、やっぱり自然と蘇ってしまう。

 別に幸と生き別れたわけでもない。だけど、こんな風に笑う彼女にはもう会えないかもしれない、と思っている今、故人を偲ぶような気持ちでその写真を見つめてしまう。

 勝手に殺すな、と幸に笑いながら叱って欲しかった。

「佑介?」

「……ほら、お前らもじゃんじゃん撮れよ」

 写真をポケットにしまい、おれはそそくさと教室を出ようとする。これ以上、潤の姿を見ていられない。

「佑介?」

 潤が不安そうに立ち上がる。このまま置いて行かれてはたまらないということだろう。

「まだ早いけどさ、客引きでもしてくるわ」

「そうよ、遠藤君! 臼井君について行って、その恰好のまま客引きしなさい!」

 玲子は意気揚々と潤の背を押した。

「え? いやいや、無理だって!」

 潤は必死に拒むものの、玲子は例によって見当違いの説得を始める。

「大丈夫。襲われたって臼井君が護ってくれるもの。臼井君って意外と頼りになるのよ」

「いや、潤が言いたいのはそういうことじゃないだろ」

「はいはい、いいから行ってきて」

 玲子は無理やりおれと潤を教室から押し出した。静まり返った廊下に、非情な施錠音が響く。

「どうしよう」

 助けを求めるようにこちらを見る潤。

「……貸さないからな、服」

 一息つく間もなく、階段を上がってくる靴音が聞こえる。

 呼んでもろくにこないくせに、こういう時に限って客は来るものだ。

「こっちだ」

 おれは声をひそめて誘導し、潤を引っ張って屋上前の踊り場に連れて行く。

「ありがとう、助かった」

 息を切らし、弱ったとばかりに苦笑いする潤。

 余裕を見せようとしているが、本当に参った様子だ。

「とりあえず携帯と財布は回収しねぇと……」

 おれはいいかけ、フリーズする。

「どしたの?」

「潤、脚」

「ん?」

 無防備な気の抜けた表情のまま、小首をかしげる潤。おれは潤の向こうの薄汚れた壁を見ながら、そっと忠告する。潤はスカートのまま、当たり前のように胡坐をかき、座っていた。

 それが幸の姿となると、どうにも目のやり場所に困る。

「脚、閉じろ」

「……あっ」

 潤は焦って照れたように立ち上がり、口を噤む。『……バカ』とでも言わんばかりに上目遣いの拗ねた表情。いや、なんでこっちが悪いみたいな。

 もし幸がこんな顔をしたら、と思うと、潤だと知っていてもどこか狼狽してしまう。

「……いや、本気で気まずそうにしないでよ」

 仏頂面だった潤は破顔し、おれの肩を叩いた。

 パッと潤に戻ったような、そんな気がして脱力した。

「このままじゃ動けないもんな。わかったよ、ジャージ取ってくるわ」

 おれは頷く潤を置いて、階段を降りていく。

 さっきもそうだったが、とにかくその姿の潤と一緒にはいられなかった。

『本当に遠藤君に惚れたの?』

 玲子の声が蘇る。

 んなわけあるか、と頭の中で反論しながら、自分の気持ちの揺れ動きに戸惑っていたけど、カメラのことと一緒にまとめて蓋をするほかなかった。



 客引きなんて言いながら、おれたちは中庭で体よくさぼっていた。潤にとりあえずジャージを着せ、化粧を落とすとまともに話ができるようになった。

 ようやくいつも通り過ごせると思ったが、今度は潤の様子がおかしい。

 先ほどからため息ばかりで、明らかに元気がない。

「はぁ……」

「なんだよ? 暗ぇな。写真が出回るのがそんなに怖いか?」

 可愛かったからいいじゃんか、と言いかけて、なんとなく飲み込んでしまう。

「いやー、自分で言うのもなんだけど、可愛かったとは思う」

「ときどき、本当にお前がわからなくなるよ」

「ただ、文化祭終わったらまたテスト漬けかと思うとね……」

 今日は文化祭の最終日で、日が傾くと終わりの雰囲気が漂ってくる。

 正直、イベントの方がおれにとってはよほど面倒なので、終わってくれて構わない。

 しかし、潤たち医学部の学生にとっては違うようだった。

「医学部、大変そうだよな」

「……ま、しょうがないけどね。医者になってさ、幸が遊んで暮らせるくらい稼がなきゃいけないし?」

 潤がそうして冗談めかすだけ、虚しい気持ちになってしまう。

「なんでお前がそこまでするんだよ? 幸にもさ、自分のことは自分でやらせろ……」

 おれが言いかけたところで、潤は首を振る。おれも自分が何様だと我にかえる。

「テスト終わったらスキー合宿だし、それまでの我慢かなー」

 潤が気を遣ってか、話題を戻した。

 明らかに不自然ではあったが、あのまま幸の話をしてぎくしゃくするよりは余程いい。

「合宿ねぇ……」

 毎年、年末あたりに、写真部では撮影目的と銘打ってスキー合宿へ行っている。

 尤も、おれはその合宿に参加したことはない。スキー……というか運動全般が苦手だし、大人数の合宿というのも気が乗らなかった。

「佑介、今年は強制参加だよ」

「はぁ? いいよ、そういうの面倒くせぇから」

「みんなが宿の予約始めてたからさ、佑介も行くって言っておいたから。他の部員たちも喜んでたよ!」

「余計なことを……」

 キャンセルを申し出たいところだが、そこまで強く嫌がっていると思われるのもそれはそれで面倒ではある。

 行くなら行くでいい、今は何も考えたくない。

 むしろ、これからどうやって玲子を避けていくか、その方が大事だ。

「もう帰るか」

 おれが立ち上がると、潤は言った。

「大丈夫なの、財布と携帯」

「玲子はそういうとこはちゃんとしてるだろ。いいよ、携帯はない方が好都合だ。……それよりさ、今日お前んち泊まっていい?」

「別にいいけど。今日さ、佑介の誕生日じゃん? 玲子さんと一緒じゃなくていいの?」

 忘れてた。単純に玲子と一緒に過ごすなんて息が詰まる……くらいにしか思っていなかったけど、尚更面倒だな。

「あいつ、そういうの興味ないだろ」

 実際、今朝会ったときも誕生日云々という話題など一度も出なかったし。

 おれは無意識に玲子がいるであろう教室を一瞬見上げ、校舎を背に歩き始める。

 潤の家には幸がいるし、気まずさもなくはない。

 それでも、玲子と一緒にいることの方が今は気詰まりだった。

 最近、潤の家に行ったときも幸は部屋から出てこなかったし、そこまで気を遣うこともないだろうから。

 すると、窓が勢いよく開く音がした。あんなデリカシーのない窓の開け方、ほかにない。

「どこにいくの、臼井君?」

 どうやら、こちらに気づかれないようにおれたちを見張っていたらしい。とはいえ、そっからは手を出せまい。

 おれは裏門に向かって駆けだした。咄嗟に潤の手を取りそうになったけど、もちろん目の前にいるのは男の潤だ。今日は何かがおかしい。それも、朝から玲子が押しかけてきて、おれと潤の仲なんか冷やかしたりするからだ。



 潤の家に着き、幸が留守だと知り、ひとまず胸をなでおろす。

「とりあえずさ、ちょっとつまめるものね。残り物で作ったから、組み合わせめちゃくちゃで申し訳ないけど」

 いや、幸がいつ帰ってくるのかはわからないな。リビングで座っている間も、そわそわと落ち着かなかった。テーブルに、トマトと卵の中華風の炒め物とカブの浅漬けが並べられる。

「組み合わせなんか気にしねぇよ、うまきゃなんでもいい。つか、渋いな」

「いやいや、本当に簡単なやつだから。でも、毎日作ってたら結構楽しくってさ」

「幸は作らないのか?」

 潤の居心地の悪そうな顔には気づいていたが、つい熱くなってしまう。

「事件から、もう三年くらいは経ってるだろ?」

「無理はさせられないんだよ。発作を起こさないよう、ゆっくり色んなことに慣れさせたい」

「それでもよ、せめて家事だけでも……」

 幸が学校に行かなくなり、引きこもりがちなった原因は、関係がこじれて自殺した友人・トモが関係しているという。そのことは幸の口からはおれに語られていない。様子がおかしいと感じて潤に問い詰めることがなければ、おれはそのことを一生知る由もなかっただろう。

 幸から話したがらないのも無理はない。トモは同性愛者だと学校中で話題になっていた生徒だという。そこで関係がこじれて……となれば幸もそういう疑いに怯えても仕方がなかった。

 もちろん、おれはそんな疑いは持っていない。(むしろ、幸がそうであっても驚くだけで、嫌悪には繋がらないはずだ)事情を詳しく知りもしないのに、邪推することもしたくなかった。

 何より辛いのは、そんな大切な出来事を伏せられていることだった。幸は、おれが事件を知ることで軽蔑するとでも思うのだろうか。

 裏を返せば、おれは幸から信用されていないということだ。

――おれさ、何があったってお前のこと嫌いになったりしねぇよ。

 そんな風に伝えられたらどんなにいいかと思うけど、潤が秘密を語ったことを幸に知らせるわけにもいかない。八方ふさがりだった。

 重苦しい沈黙が流れる中、チャイムが鳴った。きっと、幸が帰ってきたのだろう。

「はいはい」

 潤が玄関に向かい、おれはどこかでホッとしてしまう。さっきは熱くなりすぎた。潤が戻ってきたら、何食わぬ顔をして玲子が越してきたことの不満でも喋ろう。

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