第4話
スカーレットは話好きの少女らしく日の暮れた道を広場に向かう道すがら手当たり次第に私に質問してきた。しばらくしてスカーレットは何の気もないような様子でこのような問いを投げかけてきた。
「シスターのお姉ちゃんは神様のこと好き?」
好き?
私はその質問に当惑した。
私の知っている神は私が好き嫌いで語っていい次元の存在ではない。
神は唯一絶対でありその他は遍く塵芥である。私の好き嫌いなど神にとって無為でしかない。
「お姉ちゃんどうしたの?」
はっとして私は申し訳程度の笑みを浮かべた。この娘に話したところで一体何になる?
「私は神様のことをよく知らないんだけれど」
この娘はまるで隣人のような口ぶりで神のことを語る。
「西国と東国でそれぞれいろんな神様がいるからってどれが本物かでケンカしているなんて変だよね。暖かなハグと料理と笑い声があればいっぱいになるくらいわたしたちなんてちっぽけなのに」
少女の横顔を見つめながら私はその時自らの心に浮かんだ得体の知れない情動に戸惑った。
一言で言うならばそれは恐怖に近い感情だった。
私の直感が言っている。この娘は神に祝福されていると。
私は訳が分からなくなった。神への不敬を口にするこの少女が祝福されているなど…ありえない。
そんなスカーレットとの会話が終わりに差し掛かった時、視界が開け村の広場が眼前に現れた。
日の落ちた広場では火が焚かれ輪舞が既に始まっていた。
この教徒たちは神父の死の弔いとして火の粉を浴び楽しそうに踊っていた。私には理解の及ばない世界だった。
人々の祝祭は夜中から明け方まで続いた。
狂乱の炎は益々燃え上がり人々の瞳には火の朱が煌々と輝き汗がしぶきとなって肌から飛んでいた。
それらの輪舞は激しいものから明け方に近づくにつれ落ち着きはじめその熱量は収束していった。
焚火だけが頼りとなる闇の中、静寂が人々の間に広がり始める。
それとともに今度は人々はすすり泣き始めたのだ。
広場の隅からそれを眺めていた私は驚いていた。
人の死を悲しむ。神の謳う道徳に照らせば確かに適当のことなのだろう。
考えたことも感じたこともなかった可能性に私は戸惑う。この村にあるのは紛れもなく”人のため”に存在する信仰であった。
それでは………私自身は………?
自らの手で幾重にも積み重ねられる血生臭い死というものを眼前にして直視しないようにすらしていたのかもしれない。
慈愛、尊厳、道徳、献身。
教会に描かれた装飾壁画のように余りに眩しく、それ故に哀しいだけの絵空事。それらは生きるために邪魔ですらあった。
しかし…それでは私にとっての信仰とは?一体なんのために存在するのだろうか…?
「大丈夫?お顔が真っ青だよ?」
心配そうなスカーレットの声が聞こえる。
どうして私はこんなに動揺しているのだろうか?
胸が苦しい。臓腑の奥底の昏く冷たい何かがこんな世界は破壊しろと叫び声をあげている。
「お姉ちゃん………」
少女はそう言って私の手を取った。村人たちの視線が私に自然と集まるのを感じた。人々は私に向けて祝詞を唱え聖印を切った。
そして老人が近寄り私の頭に手を置いた。
「あなたにも……神のご加護があらんように」
その時、空の向こう側に山がその荘厳な姿を現した。夜明けが到来したのだ。人々の間から歓声がひとしきり上がると、今度は打って変わって祈りの静粛な時間がしばしの間訪れた。
山が一斉に暁に照らされるのを見た私は唐突に確信を得た。
神は確かにいるのだ。
…だがなんという不条理なことを私は考えている?何年も我が神のために尽くし誰よりも人を殺めてきた私が?
だが私の崇めてきた神とは、怖れずに言うならば…それは空虚な偶像だったのではないか?
空虚な幻影を自らの中に作り出しそれを崇め自ら盲目に徹してきただけなのではなかっただろうか?
己を振り返って思えば私は…却ってなんという不敬者であっただろうか?
神のためと言いながら私がしていたことは神を自らの罪業の弁明にしていただけではないだろうか?
「お姉ちゃん?どうして泣いているの?」
その時、私はようやく自分自身が泣いていることに気が付いた。
「……どうしてでしょう……?」
私はそう答えるのがやっとだった。
明け方を迎えたその日、私が礼を言うと老人はいいんだと言って笑った。その後ろではスカーレットが泣きそうな顔で私を見送った。
「泣き虫のお姉ちゃん…さみしくなったらまた来てね!絶対だよ!」
私は孤児院への帰途を辿りながら一体何を感じ何を思えばいいのか、もはや分からなくなっていた。
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