第11話 天賦の双剣士
「やれやれ……もう少し慎みを覚えてもらわねば、こちらとしても安心して見送れぬというものだ」
「……申し訳ありません」
勇者の末裔イクサ・イシュノルアは神託の聖少女ウルメ・メイヒェンと並んで説教を受けていた。
場所はルーテン教団本部――白き棺桶の最上階にある謁見の間。
相手はルーテン教団の教皇ローレンツ・フェンバッハ。
「イクサよ。シャロルがどう接していたかは知らぬが、教団はそこまで横暴ではない。素直に申してくれれば、案内ぐらいするものを」
彫りの深い顔立ちに、浅黒い肌は、純白の衣装との相乗効果で、より色濃く見えた。
白髪交じりの短髪をぼりぼりと掻く眼前の偉丈夫こそが、教団の頂点に君臨するローレンツ教皇その人だった。
「重ね重ね、お詫びを」
イクサの謝罪を豪快に笑って掻き消すローレンツ教皇。
「がははっ、まぁよい。ところでウルよ。……俺様はあれほど霊安室には寄らぬようにと申しつけていた筈だが?」
「あぅ、ご、ごめんなさい、です」
「あのなぁ、こういう形式ばったところでは、丁寧な言葉遣いを心掛けろとあれほど……」
「も、もうしわけございません」
「おまえも、もう齢十六だ。嫁いでもなんら不思議ではないというのに……そうだ!! イクサよ。この子を……」
今度はローレンツ教皇の紡ぐ声がウルの悲鳴で途切れた。
「教皇様!? と、とつぜん、なにを言おうとしてるのですかっ!?」
お、おやめください。とあたふたして教皇の元へ飛び込んだウルの額を鷲掴みにしてみせて、白い歯を剥き出しにして笑うローレンツ教皇。
一頻りの抵抗の後、萎びた青草のようにその場にへたり込んでしまうウルを見届けて、ローレンツ教皇は再び開口した。
「ときにな、イクサよ。さきのお主の突発的な行動に不信感を露わにしてるものが少なくないのも事実だ。シャロルなど、謁見の間を出た途端にくってかかってくるであろうな」
「自分で撒いた種ですから」
「ははっ、潔いのは感心するがな。それでは、とても魔王を封印する勇者として、皆が快く見送りなどできぬものだ。俺様としては、イエナバッハ一丸となって、そなたを鼓舞したいものよ」
「お気持はありがたく思います」
毅然とした態度を崩さないイクサとは違い、語調の起伏も豊かに話すローレンツ教皇。
「それで、だ。つい先日。自分こそが勇者に相応しいと豪語し、この本部に飛び込んできた若者がいるんだが……どう足蹴にしても、一向に諦めなくてな。むしろ嬉々として再挑戦してくるんだ。あまり気が進まぬかもしれんが、街の中央広場にて、彼と模擬戦をしてもらえぬか?」
「模擬戦ですか?」
「うむ。まぁちょっとしたパフォーマンスだな」
「教皇様、あの、ただ、御自分が……」
恐る恐る。といった様子で口を挟むウル。ローレンツ教皇はウルへの回答も含めて先を続けていく。
「おぉそうだ。俺様が楽しみたいだけだ……と言いたい所だが、そいつも勇者の末裔であるイクサに敗北すれば、諦めるのではないかと思ってな」
「その者とは?」
「あぁ、オーマ・ローゼという。剣技にはよほど自信があるようだったが。きいたことあるか?」
イクサは首を横に振る。内心では、彼の飄々とした笑顔が浮かんでいた。
「だろうな。まぁ、どちらにせよ、イクサであれば安心して任せられるというものだ……どうだ?」
「わかりました。それで、先刻の蛮行をお許し頂けるのであれば、戦いましょう」
「よしきた。っと、そうだ。魔術は禁じさせて貰うぞ。正々堂々、剣技のみで俺様を、あ、間違った。皆を納得させてくれ」
「仰せのままに」
そして、翌朝。
淡く灯る聖蓮に見守られ、囲む人々が息を呑む中、イエナバッハの円形広場にて、二人の青年が対峙していた。
ウルとシャロルを左右に従えせしローレンツは、片手に杯を掲げている。
「あ、あの……教皇様。このような場で」
「このような場であればこそ。だな」
怪訝そうなウルを早々と言いくるめ、ローレンツは腹の底から大声を張り上げた。
「これより!! イクサ・イシュノルアとオーマ・ローゼによる魔王封印の旅立ちを衒う模擬戦を始めるものとする」
民衆の檻に囲われて睨み合うイクサとオーマ。
鞘より抜かれたお互いの刃が、聖蓮の発光を受けて、煌々とした反射を放っている。
オーマの双剣は片刃長短二対を成しており、黒金の刀身は艶めかしい気配を纏っている。
頭髪、衣装、刀身のどれもが、光子を吸い尽くしてしまいそうな漆黒の色調に統一されていた。
オーマの表情に緊張の糸は絡まっていない。彼は、口角を僅かに引いて、純粋にイクサとの腕試しを楽しもうとしている様子だ。
「君が、勇者の末裔かい?」
甘く、耳裏を撫でるような声音で、オーマが尋ねた。
「イクサ・イシュノルアだ。よろしくな」
対してイクサは、首肯して名乗りを上げた。
「僕はオーマ・ローゼ。覚えておくといい」
「……覚えてるさ」
イクサの不可解な言動に、一筆したためたかのようなオーマの柳眉がやや曲がった。
オーマとの模擬戦は、経緯に差異あれど前回にも起きている。
ウルの紹介部分に僅かな時間差が生じた教皇ほど露骨ではないにしろ、オーマの台詞にも違いが散見していた。
「イクサ。君は、世界を救いたいのかい?」
「あぁ」
「僕はね、魔王が復活するなんて言われても、正直、あまり恐怖が沸かないんだ。ただ、そんな伝説に、自分の剣技がどこまで通用するのか、それが知りたい」
「魔王は……」きっと剣は弱いぞ。イクサは言い掛けて、口を噤んだ。
ひゅうと仕事熱心な追風が吹き抜け、花蜜の甘い香りを鼻先に残していく。
「はじめよっ!!」
微動だにせず、小声で会話しているイクサ達に痺れを切らしたのか、ローレンツ教皇はやや砕けた語調で、二人を焚きつけた。
「それにさ……ウルちゃん。とっても可愛いじゃないか。彼女も魔王封印の旅には同行するらしいし、僕さ、それがなによりも楽しみだよ」
その一言はオーマが「女好き」を徹底する上で自然と零れたものだった。
前回であれば、そのような戯言に心惑うイクサではなかったが、二度目の彼にとって、まだ出会ったばかりの筈のウルの存在は、心の奥で既に肥大化し過ぎていた。
微かな動揺から先制を許すイクサへ、オーマの双剣が左右上下鏡映りに袈裟切りと逆袈裟切りとを描いて迫る。イクサは父の形見である両刃剣で、片方を受け流し、残る一振りは上半身を反らして、軌道から免れた。
模擬戦と銘打っているが、オーマの太刀筋は確かな殺気を纏っており、躊躇いのない空振りは、殺生の追従を嫌でも感じさせる。
寸止めするつもりがないのか、はたまた、鋭く研ぎ澄まされた一振りにおいても、寸前で殺気ごと滅却できるのか。
後々、嫌というほど実感することだが、オーマは自ら天才剣士を名乗るだけあって、剣技に断定するなら、イクサよりも遥かに達者だ。
だが今のイクサは、二周目を迎えたイクサ・イシュノルアである。
彼が勇者として研鑽してきた一周目は決して無駄ではない。無駄にするわけにはいかなかった。
二人の剣戟は交わることもなく、虚空を裂いては、風切り音を奏で続けた。
「……っ」
いつしかウルは、自分が呼吸をも忘れて二人の打ち合いに見入っていたのだと気付き、慌てて息を吸った。胸元に押し当てていた両手を下げ、深く深く呼吸を落ち着かせつつ、けれども、決着の瞬間を見逃さないようにと、眼球が乾くのも受け入れて、瞬きの回数を減らしていた。
「ほぅ、驚いたな」
すぐ傍らに座るローレンツ教皇もまた、すっかり酔いの醒めた形相で、二人の剣士の攻防をひたすらに追っていた。
十線、二十線と、白銀と黒金の軌跡が交わる。常人の目にはとても捉え切れない閃光の如き応酬。
イクサは冷静に、彼が培ってきた経験に忠実に、両手に構える一振りの剣を操っていた。
オーマは飄々と、彼が秘めている感覚を頼りに、それぞれに握る刀を躍らせていた。
相手の剣閃を、着実に受け流すイクサと、流麗に避け舞うオーマ。
それは誰の目から見ても、とても模擬戦とは思えない、苛烈さを極めていた。はたと息を呑み、静寂の中、成り行きを見守る人々。
好奇、不安、尊敬、様々な感情の視線に晒されながらも、イクサとオーマは互いに剣戟を緩めない。
二人の意識は、ただ相手を打ち負かすことだけに沈んでおり、もし仮に外野が意地汚い野次を飛ばした所で、一瞬の隙にも繋がらなかったであろう。
よもや、イクサには、ウルの鈴の音にも似た声音すら聞き取れる自信はなかった。
不意に、刃が直接的に交わり、周囲の人々の鼓膜を甲高い悲鳴で慄かせた。
イクサは前回の旅路にて、巨岩の魔物へ魔術纏う刃を振るった時の感触にも似た重い反動を受け、十指に満遍ない痺れを覚えた。
握力が抜け、するすると柄が滑りゆく。
オーマがその隙を見逃すはずがなかった。彼もまた、弾かれた右手が脱力し、刀も落ちていたが、彼は双剣使いだ。
短い刀を握る左手は健在であり、すかさず黒刃を翻していた。
一瞬の挟間にて、イクサはかつての決着の光景を遡っていた。
あの時の模擬戦では、決着はもっと早かったにしろ、幕引きの瞬間は不思議と同じだった。
――同じ敗北を繰り返してたまるか!!
彼の覚悟に呼応するかのように、脳細胞が滾り、感覚が尖っていく。まるで時の流れが滞ったかのような隙間に、イクサ の意識は沈んでいた。
彼は手元から逆さになって落ちていく剣をみつめ、その柄頭を右足の甲で蹴り上げた。
斬りかかるオーマの眼前へ突然に浮上する白刃。刹那の動揺が、オーマに空白の一秒を生む。
イクサは文書へ栞を挟み込むかのように、両手首で柄を挟んだ。そして、そのままオーマの刀を弾こうと水平に薙ぐ。
咄嗟に片刃で受けるオーマ。先の打ち合いにて、両手に構えるイクサと、片手に構えるオーマとが互角に弾かれたのは、オーマが遠心力を利用して剣を躍らせていた故の結果だ。
だが、今は遠心力の上乗せがない。唯一残されていた筈のオーマの刀は呆気なく宙を舞った。ローレンツ教皇が瞬いた間に、イクサの剣はオーマの首元に突きつけられていた。
騒然と歓声が沸き上がる中、オーマは静かに
「さすがだね」
イクサへと賛美を送った。その表情からはすっかりと険が失われており、彼本来の端麗な笑顔が覗いている。
「さて、勝者は君だ。平打ちでいい。一思いにやってくれ」
ここから先はどうしても気乗りしなかった。イクサは唇を引き結んで、痺れの引いた指で柄を握り直す。
「さぁ、はやくっ!! やるんだ、イクサっ!!」
ちらりとローレンツ教皇を見遣るが、どうやら静観を破るつもりはないらしい。その眼差しがイクサによる決着を望んでいた。非常に不本意ではあるが、イクサ自ら手を下さねば事態の収拾は見込めそうにない。
彼は仕方なく、オーマの頬を剣の平で殴打する。
「あぁ!! もっとっ!!」
オーマの甘い叫びに、別の意味で辺りは凍りついていた。
前回の旅路にて既に気付いていたことだ。
オーマ・ローゼは苦痛に快感を味わう真正のマゾヒストなのだ。
氷塊と化したイエナバッハの人々に囲われたまま、イクサは頬を引き攣らせつつも、再度、懇願し続けているオーマを殴った。
「イクサ!! もっと、もっとだよっ!! こんなんじゃ僕は満足できないよっ!!」
イクサはかつての雪辱を晴らした筈なのに、どうしても自分が勝利したとは思えなかった。
勝負に勝ってなんとやら。というやつだろうか。
額に手を当てつつ、ローレンツ教皇の元へ足を向ける。
背後では「放置プレイかい? あぁ、それもいいっ!!」と乱心するオーマの声が響いていた。
天賦の双剣士オーマ・ローゼとの二度目の出会い。
イクサは「もっと、もっとだよっ!!」と鬼気迫るオーマの悪夢に、しばらくうなされた。
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