第7話 待ちがいる

 塔の頂上部には窓が一枠しか設けられておらず、その窓も獅子君の巨躯で栓をされてしまった為、俺は螺旋階段まで逆戻りしていた。

 ちなみに獅子君は失神してたから放置してきた。ぐっばい。


 階段に光差す窓は、塔頂上よりも更に小さく、どちらかといえば細身の自覚がある俺でも、通り抜けるのは厳しそうだ。

 ラッセンブルグの街並を一望しようと顔だけ突っ込めば、どこかの宅急便よろしく、箒に跨って晴天を疾走するルルの姿が小さく確認できた。

 俺の肩で呑気に毛繕いしている紡希へ、助けを求める。


「なんとかして追わないと、見失うぞ」

「うーん。たぶん、大丈夫じゃないかな」


 曖昧に濁す紡希。俺は追及は諦めて、脱出を優先する。


「ルルみたいに箒で空を飛ぶわけにもいかないし、さっさと塔を下りるか」

「呼び捨て……」

「えっ」

「そんなに早く追いつきたいなら、とっておきの方法があります」


――とてつもなく嫌な予感がした。


「いやっふぅぅぅぅ!!」


 涙ぐみながらも力の限り叫んでいた。

 俺は配管工がレースするゲームを思い出しながら、雄大な空を滑空している。姿勢はヒーローの真似を試みたが、空を飛ぶ恐怖に挫けて、ぐにゃぐにゃになっている。紡希は背中にしがみついていた。確認はできないが、もし彼女が風に飛ばされでもしたら、俺の魔術も解けて、地面に真っ逆さまだ。

 見えるっ!! 俺には見えるぞっ!! アイテムボックスが!! よっしゃあ!! 黄金のキノコだ!!


「ひゅうぃひゅうぃひゅうぃひゅうぃひゅうぃごぉぉぉぉぉ!!」


 壮絶な体験はものの数分で終わりを告げた。瞬く間にラッセンブルグの境界線である門前に到着である。

 前方に、箒と古書を抱えて立ち往生しているルルの後姿を見つけた。


「はぁ、はぁ。追い、ついたか」変なテンションで叫び過ぎたから、息も切れ切れだ。


 俺達が街へ入る際にも通過した浅橋。ラッセンブルグの外堀に掛かった橋の上で、ルルの行く手を阻むように仁王立ちしている人影。

 それは見覚えのある猫耳メイド。


「エリィさん?」

「お待ちしておりましたよ」


 後に勇者の仲間となる武闘家。エリィ・ブルーメは澄ました面持ちで、俺達を見据えていた。


「むぅ、もう追いつかれちゃった。箒も魔力切れちゃったし……」


 肩越しにこちらへ横目を向け、口惜しそうに唸るルル。

 どうやら、あの箒は魔力を込める類の発現器みたいだ。前に紡希からちょっと聞いた記憶がある。魔術の道具は大雑把に、魔力を直接変換して魔術を放出する接続器と、魔力を蓄えて魔術を起こす発現器とに分類されるらしい。

 それよりも今は、彼女の前に立ち塞がっているエリィ・ブルーメの存在である。


「なにがなんだか……」


 困惑する俺を余所に、エリィは静かに語り始めた。


「近頃『ラムスプリンガ』の強奪を目論む集団がいると小耳に挟みました。ですが、中々尻尾を掴めませんでしたので、あえて泳がせてみたのです。それで、レオンは如何なさいました?」


 レオン。とは、たぶん獅子君の事だろう。彼は尻にメラを受けてしまってな。


「そっかー。ばればれだったんだね」と肩を竦めるルル。

「えっ、ぬれぬ「おいだまれ」


 いかがわしい発言が変態獣人メイドから飛び出しそうだったので、咄嗟に声を上書きしておいた。エリィが不服そうに眉根を寄せている。

 さて、どうすべきか。ちらりと肩を見遣れば、紡希は我関せずと毛繕いに没頭していた。


 選択肢①、ルルの味方になって、エリィの古書奪還を阻止する。

 選択肢②、エリィの味方になって、ルルから古書を奪う。

 選択肢③、両方と敵対し、強引に古書を奪い去る。


 手っ取り早いのは選択肢③なんだけどなぁ。けど、それには前提条件がある。俺の実力レベルだ。

 エリィは勇者の仲間になるぐらいだ。相当の手練であることは疑いようもない。俺が受けた一打だって、卒倒させるのに必要な威力を見定めて、後遺症を残さず的確に当ててみせたのだ。それだけでも熟練の功が知れる。

 ルルは自称天才魔法使い様だ。見た目幼いけど自称天才魔法使い様だ。素数数えられないけど自称天才魔法使い様だ。俺の裸を見たけど自称天才魔法使い様だ。古書争奪戦(勝手に命名)にて俺を出し抜いた一点だけは認めざる得ない。


 そんな二人を相手に、俺が古書を奪い取れる確率は……どゅるるるる。どんっ。はい無理ゲーです。


 『そーなんだー。実はさ、あたしもお母さんを助けたくて、この街に来たんだ』


 葛藤の最中。不意を突いて脳幕に蘇ったのは、そう心情を零すルルの切なげな眼差しだった。

 母親か。……俺がもう諦めたつもりなのに。どうして、周りがバッドエンドを覆そうとするのか。ほんと、身勝手だと思う。でも、俺とルルじゃ心持ちが違う。俺は諦観しているが、彼女は希求している。幸せを掴み取ろうともがく誰かの手助けになりたいと願うのは、ただの自己満足なのだろうか?


「ルル。逃げろ。彼女は俺が足止めしてやるから」

「えっ?」


 ルルがあっけにとられた表情で、こっちを振り返る。紡希は何やら言いたげで「ぴぃ」と鳴いていた。


「面白くない冗談ですね」

「エリィさんが笑ってくれそうな冗談なんて思いつきませんよ」

「私は下ネタが好物です」

「はいそうですか」


 呆然と俺を見つめているルルへ、さっさと行け。と目配せしつつエリィとの距離を詰めていく。


「そういえば、審問の時に意味深な事を言っていたじゃないですか? 追及しない方が、俺にとって好都合だとかなんとか。もしかして、あの時点で、俺の事を疑ってたんですか?」


 予想に反して、彼女は首を横に振った。猫耳の先が動きに合わせてふわふわと揺れている。


「いえ。あれはただ単に貴方が性癖を晒すのに抵抗がありそうでしたので、私からの小粋な計らいというやつです。あ、もしかして、逆でしたか? 性癖を晒すことに名状しがたい快感を感じる類の……」

「もう結構です」


 ぜっんぜん伏線でもなんでもなかった。駄目だこの人。

 ルルは依然として箒に魔力を込めようとすらしない。おい、早くしろって。


「ときに武芸の心得は?」

「一時期『鬼めくりの真』と呼ばれてました」格ゲー業界で、ですが。

「なるほど」


 姿勢を低くし、拳を正面に構え、こちらへ射抜く様な鋭い眼光を向けるエリィ・ブルーメ。対して俺は膝を曲げ、脇を締めて、待ちガイルの態勢。めくりとか関係ないけど、一瞬の隙も見逃さまいと双眸を見開く。

 紡希はぱさっと橋の手摺に飛び移り、ルルは成り行きを見守る様に黙然としている。

 吹き荒んでいた風さえも凪いでいる、気がした。


 何秒、いや何分経った? お互いに睨みあったままの均衡が続く。極限の緊張感が異常なほどの発汗作用をもたらし、乾ききった眼球は、潤したい衝動を強めていく。

 夕暮れが迫っている。エリィの背後に広がる牧草地に茜色が差し込みつつあった。


━━もぉぉぉ。


 遠くで牧牛が唸った次の瞬間。


「はっ!!」


 エリィは右足を地面へ強く叩きつけて、反動で地面すれすれを滑走してみせた。たしか八極拳でいうところの活歩とかいう技だ。 


「ソニックブームっ!!」


 一瞬で間合いを詰める彼女を迎撃するため、俺は見よう見まねで両腕を交差させた。

 なんと、衝撃波が出た。驚きである。まぁ、種明かしすれば、紡希の魔術だろう。

 予定とは違う相手だが、彼女は手を貸してくれるらしい。

 エリィは即座に橋の面を蹴って、衝撃波をかわすようにくるくると宙を舞う。勢い余ってか、俺の頭上をも越えていく。

 ゲームでの反射神経にはちょっとだけ自信があった。けど、実戦は別ものだった。具体的に言えば、視界が固定されているゲーム画面と違い、現実は縦横無尽に翻弄される。


 俺がサマーソルトを入力するよりも速く、振り返るよりもずっと早く、エリィは着地して次の動作に移っていた。背中を凄まじい衝撃が襲う。

 橋の上を不恰好に転がり、どこかの骨が折れる生々しい音が、頭の中に直接響いた。


「手加減はしましたが、受け身もとれなかったところを見ると、そのまま寝ておくことをお勧めします」


 なんとか立ち上がろうとしている俺を見下すエリィの表情は無機質なもので、降伏を突きつける声も冷たかった。

 軽く脳震盪を起こしているのか、眩暈と吐き気を同時に催している。最悪の気分だ。


「いやぁ、女の子の前ではカッコつけないと死んじゃう病なんですよ」


 虚勢を張って笑おうとするが、苦痛の度合いの方が遥かに上回っており、歯の根を噛むのが限界だった。

 ちらりと紡希へ視線を流し、耐えろよと釘を刺しておく。ソニックブームぐらいなら許容範囲だが、あまりに不自然な魔術は疑いを生む。

 しかし、ちっちゃなインコの器に収まりきれない程の魔力が迸っていた。

 ルルも尋常じゃない魔力の氾濫を悟ったのか、源泉を探る様に紅い瞳をぱちくりと瞬かせている。

 俺は魔力の感知に精通してる訳じゃない。ただ、紡希の魔力だけは感知できた。どうも、一年前の譲渡による副作用らしい。彼女の部屋に張られている結界を通過できるのも同じだ。


「ルル。お母さんを助けるんだろ? 俺はいいから……はやくいけ」紡希の気配を誤魔化すように声を張り上げた。

 今や、俺よりもエリィの方がずっと彼女に近い。

 エリィも古書の奪還を最優先しようと、爪先をルルに向けている。


「うん。わかった。でもね……」


 ルルは両目を閉じて、小声でなにかを口ずさんでいく。俺にはとても聞こえない。危険を本能的に嗅ぎ取ったエリィが、活歩の予備動作に移り掛けていた。


「天才魔法使い様は仲間を見捨てないのっ!!」


 声高らかに宣言した自称天才魔法使い様の正面に、彼女の体躯より一回りは大きい魔法陣が浮上する。

 薔薇が咲き誇る瞬間を連想させるような鮮やかな真紅の光芒が炸裂し、急接近していたエリィをのみ込んでいく。

 一際苛烈な発光が眼球を穿ち、エリィの短い悲鳴が微かに聞き取れた。


━━めぇぇぇぇ!! 遠くで羊達が騒いでいた。


「……消えた。のか?」


 光が薄れた橋の上に残されたのは、俺とルル、それに紡希だけだ。エリィの姿がどこにも見当たらない。


「強制転送魔法だよ。ただぶっ飛ばす感じだから、行先は指定できないけど。加減したし、そう遠くはないはず」


 意外。それは、ルルが本当に天才魔法使い様だったこと。


「ってて」

「なんで、あたしなんかの為に」


 小さな手をかざして治癒魔術を施してくれているルルに向かって答える。


「そりゃあ、ルルちゃんがかわい、いってぇ!!」

「あ、ごめん」ルルが慌てふためく。

「ち、ちがっ。ちょ、つみ、ごめんなさいっ!!」


 俺の首筋の薄皮を嘴で摘む紡希。まじで痛い。


「そういえば、そのインコさんが、シンをこっちの世界に転送した主でしょ?」


 意外。それは、ルルが本当の本当に天才魔法使い様だったこと。


「……ばれてました?」あくまで沈黙を守る紡希に代わって、口を開く。

「うん。だってさー」


 ルルはあっけからんと呟く。


「あたしも『トロイメライ』の世界に転移してきた人間だからねー」

「えっ」

「へっへ。天才に不可能はないのだ」俺の声に続けて笑い、踏ん反り返るルル。


 なんだか、ちょっとだけ紡希に似てるな。……体型も。あ、でも年齢がけっこう離れてるから、あれ。なにかがおかしいぞ……生死に関わりそうな予感がしたので、俺はそこで考える事をやめた。


「なぁ、俺も『ラムスプリンガ』が必要なんだけど、なんとか協力できない?」

「うーん、その用件にもよるかなー。あとは実際に『ラムスプリンガ』を確かめてみて。だね」

「なら『アンティクルプ』まで一緒に行かないか?」

「いいよー。道案内はあたしにまかせなさい」


 肩に止まる紡希が不服そうに「ぴぃ」と鳴いていた。


 ロリコンにとってのご褒美のような数時間はカット。

 森閑とした星屑の下。四方に広がる平原に呆然と立ち尽くす影が二つ。それは誰だ? 俺達だ。


「あの、ここどこ?」

「さぁ?」


 日没までには『アンティクルプ』に到着する予定でした。あくまで予定でした。


「あの、道案内は任せろって」

「迷っちゃったみたい。てへっ」

「迷っちゃったならしかたないなー。不本意だけど。うん、俺としても避けたかった選択肢だったんだけど、野宿するしかないなー。不本意だけどなー。シカタナイナー」


 お母さん。どうか、こんな息子をお許しください。俺は今日、大人のか「ちょっ、紡希さん? なにをするつもり、あっ!! やめてっ!! いやぁぁぁ!!」スマブラのカービィさながら、石像に変化した紡希が脳天を直撃し、俺の意識は綺麗に吹っ飛んだ。

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