第6話 くにへかえるんだな

 空気の濁りが、鼻腔に張り付いていく不快さが、意識を呼び戻す。

 かび臭いとも血生臭いとも違うような、汚濁した臭いに、思わず顔をしかめた

 ひんやりと冷たい床石は、横たわる四肢から否応なく体温をすすり尽くそうとしているようだ。


「あいたたっ」


 上半身を起こすと、エリィ・ブルーメに殴られた腹部に鈍痛が走った。自業自得だ。

 人生初の投獄経験である。

 和気藹藹と異世界ライフを満喫できると思っていたのに、まさか初日から監禁されるとは。

 これも貴重な人生経験だなと納得を強いる。将来に生かせる……とはあまり思えないが。


 牢内の模様は、俺の想像とあまり食い違わない『牢屋』そのものだった。

 錆の目立つ鉄格子に、石造りの牢内。不思議と看守の気配は無い。

 乱れない静寂が、自分以外の囚人の存在を疑わせた。

 格子の向こうの壁際には、燭台を設置する為と思わしき窪みがあり、そこでは蝋燭ではなくランプが燃えていた。温色の灯火が、歩廊の薄闇を朧げに遠ざけている。


「はぁ、困った。紡希と連絡取れればなぁ」

「よんだ?」


 ひぃ。と突然、喉を掴まれたかのような上擦った悲鳴を上げてしまう。


「あ、驚かせちゃった? ごめんね」


 地下牢の静けさに一石を投じるかの囀り。その正体を見止めた俺は安堵から深く息を吐いた。

 鉄格子の上部で羽を休めている、真っ白いインコ……紡希が先を続けていく。


「いやぁ、災難だったね」

「ほんとですよ」

「私以外の女の子の前で裸を見せちゃったもんね」

「そうなんですよ」

「私以外の女の人の猫耳をぎゅっとしてたもんね」

「まったくですよ……って、ちょっと待て」

「ん?」

「あの……全部見てたんですか?」

「うん」


 紡希の怒ってますよ気配オーラを肉眼で捉えたかのような幻覚に襲われた。ごしごし。眼尻をこすると幻は霧散する。


「すみませんでした」

「ううん。ベツニキニシテナイヨ」


 なにかの呪文みたいになってる。


「違うんですよ。発情期で……つい」

「私がいるのに?」

「いやぁさすがに。インコにまで欲情したらお終いでしょ」


 ぼっと紡希から火球が飛び出し、俺の足元で爆ぜた。熱風が気管を焙る勢いだったので、咄嗟に後退りしていた。


「今のは、余のメラじゃ」

「あぁインコに抱かれたい!!」

「うわー」ドン引きされた。

「とにかく助けてくれ」

「えー、どうしようかなー」


 どうやらお姫様はご立腹の様だ。

 でも立場的に、今回は俺が頼まれた側の筈なんだけどな。

 そんな理屈が通用しないのは、もう嫌という程に分かっていた。

 致し方あるまい。この手だけは使いたくなかったが。


現実あっちに戻ったら、ぎゅってしてもいいから」

「おっけー」


 即答である。

 紡希は俺にやたらとスキンシップを求めてくる。一応は理由らしい理由もあるから、俺はぞんざいに断れずにいた。

 そのスキンシップの中でも最上級なのが『ハグ』である。つまり、抱きつきだ。実際、そこまでする必要があるのか疑わしいが、俺に真偽を確かめる術はない。

 そういう関係になってしまった経緯に負い目を感じているのは事実で、紡希にだけ固執して寛大になっているのも認めざる得ない。

 一言に、恋人とも違う歪んだ関係ではあるが、そこに落ち着いてくれている今に対して、ある種の安堵感を抱いていた。

 先送り。それが悪い癖だと自覚していながら、俺はまだ踏み出せずにいた。


「あの、大丈夫なんだよな?」


 無事に地下牢を脱出(紡希のメラで)した俺は現在、抜き足差し足忍び足で螺旋階段を上っている。

 経緯としては、聖遺剣ラムスプリンガが眠る祭壇アンティクルプを覆う結界を破る為に必要な道具を拝借する目的でラッセンブルグの古城に侵入している次第です。

 徒然と述べてみると、いかにもRPGっぽい遠回りである。

 目的は魔王討伐の筈なのに、いつの間にか、船を造る為には木材が必要で、でも、木材を伐採している村によると、森林に巨大な魔物が巣食ってるとかで、更に更に、その魔物を倒す為には莫大な火力が必要だとかで、でもってでもって火力を補う為に火の精霊と契約すべく、辺境のダンジョンへ足を運んだり、だがしかしっ……割愛。

 一段、また一段と踏み面を超えていく。


 「ダイジョブヨ」どこかの拳法の達人みたいな口調になってる。胡散臭っ。


「ぶっちゃけ今回ばかりは、信頼度だだ下がりだよ」

「好感度は?」

「そんなもの、ボロ雑巾のように捨て、あっ、いたっ!! 嘘です。ごめんなさいっ!!」またつつかれた。メラじゃなくてよかった。


 塔は一貫して沈黙を守っているが、等間隔に設けられた小窓からは、音楽祭の躍然たる旋律が遊びにきている。

 俺は、湿っぽい薄闇に同化するように身を縮めて歩いていた。

 元々『トロイメライ』の物語では、エリィ・ブルーメが勇者一行に加わると同時に、件の問題は解決するらしい。

 では『結界を破る道具』とやらを何処から盗めばいいのか? 俺は、紡希の憶断により塔の最上階を目指していた。そう、白亜の古城から天へ伸びていた尖塔である。

 幸いにも番守の気配は感じられない。でも、だからこそ推測が外れているのでないかと疑念が深まる。

 しかし、まるで見計らったかのタイミングで、ささめきが聞こえた。天井へと伸びる階段の奥から照明が漏れている。


「誰かいるな」


 声を押し殺して、肩に乗る紡希へ囁くと「んっ、あっ」となぜか喘いでいた。

 どうやら俺の息がくすぐったいらしかった。そんなインコはほっといて、死角ぎりぎりまで詰め寄ると、聞き耳を立てる。


――まさか、こうも楽にいくとは魔術ってのは便利なものだな。

――なんたって、あたしは天才魔法使い様だからね。


 あるぇー、なんか聞いたことあるフレーズだぞー。


――この古書が『アンティクルプ』の結界を破るのか。俄かに信じ難いが。いや、信じるほかあるまい。それで、約束は忘れてないな?

――もちろん。あたしは聖遺剣が欲しいだけだから、他の金品財宝はお好きにどーぞ。


「ちょっと待てぇい!!」


 勢いよく駆け上がり、盗人達の前へ姿を現わす。最後の一段を踏み外しそうになって、思わずたたらを踏んだ。


「真。かっこわる」

「かっこわるいな」

「かっこわるいねー」


「お前らまで便乗スンナっ!!」後半、声が裏返った。恥ずかしい。死にたい。


 塔の頂の一室は、書斎のようなこじんまりとした装いをしていた。

 部屋の中心には、丸い木机と、風情ある揺椅子ロッキングチェアが並んでおり、机上に備え付けられた燭台の灯りが、壁際の書棚を照らし出していた。

 書棚は、湾曲した壁面を背に接する為か、パズルピースみたいな棚を細かく組み立てて築かれている。智慧の結晶とも見惚れる工夫は称賛に値する。


 机の両脇に立つ盗人二人組。ルルと獅子君に向けて、俺は即興で決め台詞を考える。

 背筋を反らして相手を見下し、人差し指をびしっと名探偵さながらに突きつけてやる。


「貴様等の所業は全てまるっとお見通しだ!! ……えと、そう、くにへかえるんだな。おまえたちにもかぞくがいるだろう」


 決まった。なんかごちゃまぜになっちゃったけど、決まったよ、俺。感極まって瞑目。


「真、二人とも逃げちゃってるけど」

「よしわかった。ぶっとばす」


 分厚い壁をくり抜いただけの窓は、雨風を凌ぐ観点からも極めて小さい。

 ルルは先立ってすっぽりと脱出していたが、獅子君の方はと言うと、さすがに無理があった。というか、塔の天辺から飛び降りるつもりなのか?


「紡希さん。やっちゃってください」

「これは余のメラじゃ」


 窓枠に挟まって、じたばたともがいている獅子君の尻目掛けて、紡希の火球メラが爆裂。

 獅子君の低い悲鳴が尖塔から響き渡った。


 なむさん。

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