第5話 命は投げ捨てるもの
「あたし、もうお嫁にいけないよ……」
あてもなく走り続けた結果、迷い込んだ路地は、表通りに比べて湿っぽく薄暗かった。
街中を賑やかす音楽祭の音色も、まるで何重にも防音ガラスを挟んだかのように遠くぼやけて聞こえている。
細く狭い路地を形作る石壁へ背を預け、両手に顔を
一方で、向かい合う俺はというと、上半身真っ裸である。
吹き抜ける風が肌にくすぐったい。上半身真っ裸だもん。
――どうしてこうなった。
非常によろしくない状況である。彼女の貞操観念的にも。これ、ぜったい誤解されるよね。もしこんな場面を紡希にでも見られたりしたら……ごくり。
言い訳すればするほど、どつぼに嵌る
それはさておき(現実逃避)、見れば見る程に可愛らしい女の子だ。
こう、ぎゅっと抱きしめたくなる。
でもそんなことしたら、俺の人生はここで終了。バッドエンドへまっしぐらである。
「あの、ごめん。あれさ、呪いの装備だったんだよ。女の子に触れてもらえるまで消えない呪い」そんな呪いがあるか。
「あ、なんだ。そーだったんだ。どうりで……」が、少女は意外にも理解の色を示してくれた。
まさか信じるとは思ってなかったので、背徳感がちょっとだけ。
「あたしさ、フィルル・フォン・ハーメルンっていうの。ルルでいいよ。おにーさんは?」
人懐っこい印象を与える無垢な笑み。
しかし、俺の裸体を見まいとしているのか、頑なにこちらの瞳孔を見据えている。
「俺は……シン。だな」自らに問いかけるかの言い方になってしまう。
「ねぇ、シンってさ、この世界の人間じゃないでしょ? 」
ルルはとんでもないことをさらりと口にした。
「い、いきらり、らりほっ!?」
呂律が回らない。落ち着け俺。まだレベル1だ。らりほーも、一瞬でお城に帰還する魔法も、右手にべぎらごんも使えない。
深呼吸して、北斗の格闘ゲームで愛用していたトキの世紀末バスケコンボを思い出す。
ここで突然の回想。
俺はゲームセンターの中で言えば、格闘ゲームが比較的好きで、地元ではちょっとは名の知れたプレイヤーだった。とはいっても上には上がいるし、コンボだってよく失敗してた。
しかし、トキを使用するというのは、コンボミスとかそれ以前の問題らしく、ゲームセンターで初めて乱入した時にジョインジョイントキィとスムーズにキャラを選択したら、その時点で相手が席を立ち、「あーあ、金無駄にしたわ。エルチキでも買えばよかった」と死角から捨て台詞を吐かれた。
当時は唖然としたものだが、あれも一つの教訓である。
気になる人は、ぜひ動画なりで確かめてもらいたい。
世紀末の名に恥じない混沌とした即死ゲーがそこにはある。
紡希とも対戦した筈なのだが、コンボをしている途中、脇腹にリアル百裂拳を打ち込まれたことしか覚えてない。
トキは言う。命は投げ捨てるものではないと。
「落ち着いて。ほら、素数を数えて」
あえて、そのネタはかわしたのに。ってか、なんで知ってるの? この世界にないよね?
「あたしが数えてあげる。えっと……4!!」
「……」しかも、素数ですらない。華麗にスルーしておく。
「それにしても、どうして俺がこの世界の人間じゃないって思うんだ?」
「うーん、うまく言葉にできないんだけど、ピントがずれてる感じかな」
「もうちょっと根拠らしいものはないのか?」
「根拠、知りたい?」
「う、うん」
「それはね、あたしが天才魔法使い様だからだよ!!」
とびっきりのドヤ顔である。可愛いけど反応に困る。
「わーすごいねー」
「もー、信じてないでしょー?」
「そんなことないよー。ルルちゃんはすごいなー」
「むぅ」
露骨に子供扱いされて、不服そうに頬をぷくっと脹らますルル。表情豊かだなぁ。
曖昧にはぐらかすべきか、素直に白状すべきか迷っていると、ルルが先に口を開いた。
「大丈夫、あたしは口が堅いからさ。シンが異世界人だったとしても誰にも言わないよ。だから、シンもさ、あたしのこと内緒にしてね?」
とても自ら天才魔法使いを名乗り出た口から発せられた言葉とは思えなかったが、とりあえずは頷いておく。
「シンはさ、どうしてこの世界に?」
「救いたい人がいるんだ」
厳密には変えたい未来だが。ただ、大袈裟に聞こえるので、ここは救うべき相手が勇者であることは伏せて、そうとだけ伝えておく。
「そーなんだー。実はさ、あたしもお母さんを助けたくて、この街に来たんだ」
涙腺が緩んだ。この子、ええこやぁ。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない……なんでもないんだ」
やっぱり家族は一緒に居るべきだ。俺だって、本音はそう思っている。
滲む涙をごまかすように目頭を揉んでいると、不意に、ぽんっ。と右肩を叩かれた。
とてもルルの腕とは思えない、重厚な感触。
恐る恐る瞳を開ければ、すぐ傍らに強面の獣人が立っていた。
百獣の王を象徴する厳格な相貌に、鋭き睥睨。
「君、ちょっといいかな?」
「あ、はい」
上げて落とすとは、正にこのことである。
さて、自称天才魔法使いルルとの出逢いから一転。
獅子君に連行されて、俺はなぜかラッセンブルグの象徴でもある白亜の古城への進入に成功していた。結果オーライというやつである。
ルルはというと、獅子君が「大丈夫だったか? もう怖くないぞ」と宥めていたが、どうやらその顔が怖かったみたいで「あわわ……」とぷるぷる。
俺と会話していた時の威勢もどことやらへ、小刻みに震えているルルを憐れんだ獅子君は、彼女をその場で解放していた。
そして、俺に「いたいけな少女の心に傷を残すとは、その業は深いぞ」と侮蔑の言葉を吐いていた。なんか納得いかないオチだった。
「たまにいるんだよ……あのなぁ、いくらこの街が常にお祭り騒ぎだからって、節度はきちんと弁えてもらわないと困る」
「だからっ!! 違うんですよ!! 装備の耐久値が!!」
「意味わからん」
「ですよね」
「とにかくだ。これから審問を受け、処遇が決定されるまでは牢に入ってもらう事になる」
「まじですか」
「冗談では言わん」
「それと、つい先程な、少女から減刑の申し出が届いた。感謝するんだな」
ルルちゃん、まじ天使。また会いたいな。でも、減刑じゃなくて冤罪の方向で伝えてくれればもっと嬉しかったんだけどな。やっぱりショッキングだったのだろうか。だとすると、俺もブロークンハートだが。
どうやらラッセンブルグは歓楽の地として人が密集する分、犯罪もまた多く、隔離、監視などの観点から古城の地下牢を再利用しているらしい。
処遇の取り決めも、古城の外観とはあまり似つかない、素朴な一室で行われていた。
上下左右灰色に埋め尽くされた室内には、一組の椅子と机が並んでいるだけで、なんだか取調室みたいだ。まぁ、これから実際に聴取されるわけだが。
俺の上半身に呆れ顔の獅子君が、薄手の布着を一着貸し与えてくれた。
「エリィ。入ってきていいぞ」
思わず姿勢を正してしまうような、獅子君の厳とした一声。続いて、扉の奥から姿を現したのは……。
ピングゴールドの髪から生え伸びる二対の猫の耳。
カチューシャこそないものの、なぜかメイド服。
ただし表情は無愛想で、ややつり目気味なのが尖った印象を与えている。
色々な属性ごってごての出で立ちは、まぁいかにもゲームらしいといえばゲームらしい。というか、俺の聞き間違いじゃなければ、さっき、エリィって。まさか……。
「あとは頼む」
「かしこまりました」
獅子君が部屋から去るのと同時に、俺は質問した。
「失礼ですが、お名前をお伺いしても?」
「私ですか? エリィ・ブルーメと申します。ラッセンブルグの自警団の一員で、審問も請け負っております」
やはりそうでしたか。また勇者の仲間だ。
「けど、なんでメイド服?」
「趣味です」
「あ、そうですか」
そこでぴたりと会話が途絶える。とてもきまずい。
これ審問なんですよね? 俺から何か話しかけた方がいいのか?
「あの、俺、決して異性に裸を見せたいとか、そういう性癖があるわけじゃなくて」
「わかってますよ。発情期なんですよね?」
ぜっんぜんわかってねぇよ!!
思わず机に拳を叩きつけていた。ふつうに痛い。
なんだよ発情期って!!
「異性に触れられただけで興奮して服を破くなんて、大人しそうな見た目の割に大胆ですね。でも……私は嫌いじゃないですよ?」
頬を染めるな!! 自分で「ぽっ」とか擬音をつけるな!! キャラが掴めねぇよ!!
「そんなに怯えなくても、発作が収まれば牢から解放致します」
つっこみたい衝動を必死に抑えている俺の痙攣を怯えと判断したのか、エリィは聖母のような優しい声音で説いた。
「審問はいいんですか?」
「はい。本来であれば、出生から動機まで事細かに資料を作成しなければなりませんが、貴方の場合は『発情期』で事足りますので」
「だから違うってば!! ……いえ、それでいいんですか!?」
「その方が貴方にとっても好都合だと思いますが?」なにやら含んだ、妙に引っ掛かる言い方。
「では、牢まで案内致しますので、ついてきてください」
「あっ、エリィさん。その前にちょっとだけいいですか?」
「はい、なんでしょう?」
「えいっ」
猫耳をぎゅっと掴んでみた。
「あ、すごい、もふもふぐぅっ!!」
俺の鳩尾に掌打がクリティカルヒット。さすが後々、勇者の仲間になる武闘家だ。
凄まじい威力。
「い、命は、投げ捨てるもの……」
膝から崩れ落ち、意識が晦冥に沈んでいく。
異世界での悲願の内の一つ。猫耳もふもふを叶えられたのだ。
――悔いはなかった。
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