第4話 共存共栄古城都市

 乾杯。乾杯。心地よい気分で。

 目を瞑ればほら、街道を吹き抜ける風に運ばれて、どこからともなく陽気な音色が聴こえてくるよ。

 誰かが甘美な歌声を響かせれば、誰かが杯を掲げて喝采。

 旅人が酔い痴れるのは旋律か美酒か、それとも、絵画のような景色か。

 日が沈むまで終わらない音楽祭。

 ここは種族問わず、誰もが手を繋ぐ街。


共存共栄古城都市――Rassenburgラッセンブルグ



「いやぁ、賑やかなものですねぇ。紡希様」

「そうだねー。シンちゃん」


 不自然なお互いの呼び方についてはあまり気にしないで貰いたい。格付けの結果だ。まったく、争いは不毛だ。何も生まない。

 俺はもう二度とインコには喧嘩を売らないと固く心に誓った。


 ラッセンブルグの街中は心地よい音色に包まれている。

 都会の喧騒とは根本的に異なる、活気に満ちた声さえも、演奏の一部として取り入れているかのような協調の奏で。

 そんな伴奏よりも更に驚くべきは、現実世界では決してお目に掛かれないであろう多種多様な種族の笑い声だ。

 体毛に覆われた獣人族。異常に背の高い首長族。角鱗の肌を光らす竜族に、髭を蓄えた矮躯な小人族。中には歪な螺旋角や蝙蝠に似た翼など個々の特徴が禍々しい魔族まで紛れている。

 『トロイメライ』での正式名称は分からないが、どれもRPGやネットゲームなんかでお馴染の方々だ。

 種族問わず白昼堂々と酒を酌み交わす光景は、初めこそ息をも忘れて呆けてしまうものだった。色んな意味で。


「こういう景色を眺めてると、いよいよ異世界なんだなーって思っちゃいますね。紡希様」

「うん、でも、そんなに猶予もないし、遊んでる暇なんてないよ」

「そ、そんな……待ってくださいよ。ファンタジーと言えばエルフとか、猫耳とか。俺はそんな可愛い子達とお喋りした……あっ、いたい!! ごめっ……紡希様、お許しくださいっ!!」


――なんということだ。


 俺は首筋をさすりながら愕然としていた。

 せっかく異世界に来たというのに、俺には猫耳をもふもふする機会すら与えられないというのか。

 一体全体なにが嬉しくて、インコと一緒にコソ泥を働かなきゃいけないんだよ。

 そもそも俺レベル1なんですけど。えっ、これ、死んだりしませんよね?


「あのさ、もし……戦闘とかになったらどうするんだ?」


 俺は一抹の不安を拭い去りたくて、紡希へ問い掛けた。


「私がなんとかするよ」


 即答だ。さりげなく口調を戻してたが、あっちも飽きたのか、何のお咎めもない。それはそれでちょっと残念な気がしないでも……うん、ない。


「結界を抜ける為に必要なものが、あの古城にあるんだよな? 民家から薬草を拝借するのとはわけが違うぞ……」

「お城って言っても、ラッセンブルグは王政統治じゃないから」


 紡希はそのままラッセンブルグの政治体制について、耳元で語り始めた。


 要約すると、この街は各種族から代表者を選出する種族議会による立法と、立ち上がった法を管理する行政府とによって治められているらしい。城はあれど、絶対の王は存在せず、古城は議会の場として利用されているだけなのだとか。そして、いかにもファンタジーらしいラッセンブルグ独自の風習についても、彼女は一言添えた。


「ラッセンブルグでは常に音楽祭が開かれているの」


 この街は常磐堅磐ときわかきわに音楽祭を開く為、街の生活を支えている――鍛冶、彫金、調理、裁縫、狩猟などの各組合から、音楽祭を担う実演家の団体でさえも、みな等しく、休日とは別に、休祭日なるものが割り当てられているらしい。つまり、日がなお祭り騒ぎをするのがラッセンブルグで暮らす人々にとっての義務なのだとか。


 義務と言えば仰々しいが、実際は強制でもなければ、拒否権も認められている。なんともまぁ羨ましい限りだ。

 更に、賑やかな気配に惹かれて吟遊詩人や行商人なども自然と集まり、ラッセンブルグはいつしか『円環大陸』の随一を誇る歓楽の地になったのだという。


「城壁も脆そうだったし、魔物が攻め入る事なんてないのかね」


 ファンタジーではあるが、いかんせんRPGらしくない矛盾点だと指摘すれば、紡希は潜めた声で答えた。


「一応、議会と同じで、各種族から選抜された実力者で結成された『軍』みたいなものがあるって設定だけど、物語に関わってくるのは、後々勇者の仲間になるエリィ・ブルーメくらいだったはず」

「また勇者の仲間か……」

「うん、ラッセンブルグに来る途中に遭遇したのが剣士のオーマ・ローゼでしょ。それで、今話したのが武闘家のエリィ・ブルーメ。あとは北の聖地『イエナバッハ』に神託の聖少女ウルメ・メイヒェン。そして、西果ての祭壇で聖遺剣を守護しているのが魔術師のアジルヒム・コルトレツィスだね」

「勇者達の立場からすると、俺達って敵……みたいなものだよな」

「そうだね。聖遺剣を盗もうとしてるんだし」

「あんまり接触したくないなぁ」


 俺達は白亜の古城目指して、緩やかな坂道を歩いていた。

 ふと頭上を仰げば、いつの間にか雲一つ無くなっており、空は晴れやかなものだ。陽気な演奏に合わせて酒盛りに暮れる丈夫達の豪気な笑い声が石畳をいぶっているのか、足の裏が火照ほてる。

 あれ、そういえば、俺、どうして靴を履いてるんだ?

 異世界に飛ばされる直前は、紡希の部屋に居たから、靴は脱いでた筈なのに。

 俺は交錯する人々の波を掻き分けて、道脇の店頭まで近付いた。

 店の窓に反射する自分の姿を確かめれば、髪型も顔立ちも見慣れた現実のままだ。ただ服装だけが覚えのない無地のシャツとジーンズに変えられていた。


「防具は私が見繕ったんだ。魔術を練り込んであるから、自動で体温調節してくれるし、それにさっきね、どんな攻撃でも必ず一回防いでくれるオプションをつけといたよ」

「でも、俺、武器ない」

「うん、真。武器ない」


 片言で返された。


「なんでだよっ!! しかも、この服も一回って!! 二回目で確実に死んじゃうよね!!」

「あはは」


 笑って誤魔化された。ちくしょう。

 紡希の声はインコというサイズの問題もあってか静かなもので、周囲には聞こえていないみたいだ。いや、もしかしたら魔術でなにか細工をしてるのかもしれない。

 どちらにしろ、俺は傍から見ればひとりインコに怒鳴る変人だ。


 美髯な小人のおっちゃんが酒を飲む腕を止めて眉をつり上げたり、狐目の獣人の青年が管楽器を吹くのを忘れて口を半開きにしていたり。盗みを働く前から俺は既に目立ってしまっていた。

 が、めげずに突き進むことしばらく、ようやく城門近くまで到着。

 図太い街路樹へ身を寄せ、首だけ覗かせて城門の様子を探る。


 首長族の身長よりも高く築かれた城壁が左右へ伸びている。

 緻密に積み上げられた日干し煉瓦はよく観察してみると、色褪せによるむらが生じている。

 木製の門扉もんぴは上下開閉式らしく、両脇に立つ門兵達が、腰を少し曲げれば潜れそうな位置で固定されていた。


「やっぱり門兵ぐらいはいるか……」

「こういう時の私だよ。ちょっと偵察してくるから、真は待機してて」言うなり、紡希は軽やかに飛び立ってしまった。


 紡希の姿が古城の窓に消えるのを見届けて、俺は改めて門兵へ焦点を当てた。

 こちらの期待を裏切らない甲冑に、槍を標準装備。

 二人とも毅然とした立ち振る舞いで、微動だにしない。


「ねーねー、おにーさん」 


 俺の装備かっこ布のシャツかっことじでは、強行突破は無謀だよな。


「こらー、無視すんなー」


 なんだよ、うるさいな。

 幼さを残す語調は、猫撫で声とはちょっと違う独特のイントネーションをしている。


「もー、おにーさんったら!!」


 ちょん。と右肩を小突かれた刹那。俺の上半身が爆ぜて極光に包まれた。


――おいいぃぃぃ!! これもカウントされんのかよぉぉぉ!!


 凄まじい光を視界に捉えていた門兵達が、こっちへ歩き出してくる。


「ったく、おまえ、なんてこと……し……」


 振り返った瞬間、言葉に詰まった。

 唐突な出来事に目をぱちくりさせている女の子。

 それはつい最近、夢に見た……隣に引っ越してくる少女そのままだったのだ。

 燃えるような朱色の髪は、毛先に向かって橙色に変色している。

 灼熱を宿す緋色の瞳は、大きいけどちょっとだけきつめだ。

 血色良い肌は、頬が熟れた果実のように赤みを帯びている。

 おっきな魔女帽を被っており、全体的に黒で統一された服飾は、いかにもハロウィンで見かけそうな『魔法使い』といった装いをしていた。

 しかもミニスカにニーソックスだ。

 無意識に拉致。じゃなくて、か細い手首を掴んでいた。


「とにかく、ここから逃げるぞ」


 背後に門兵の雄叫びを聞きながら、俺は少女と坂道を駆け抜けていく。


――えぇ。そうですね。


 狐目の獣人の青年が、ぷぱぁ。と素っ頓狂な音色を響かせていた。


――このとき、俺は直感したんですよ。


 美髯な小人のおっちゃんが、ぶふぅ。と琥珀色の蜂蜜酒を霧吹いていた。


――あぁ、彼女が運命の相手なんだってね。


「わわっ、ちょっとちょっと。すとっぷー」


 魔法使いっぽい少女の黄色い悲鳴が、音楽祭に波紋を打つ。


「おにーさん!! 服っ!! 上半身、裸になってる!!」



――えぇ、そうですね。短い恋でした。

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