第3話 ステージセレクト『円環大陸』
先の尖った何かが、頻りに頬を突っついていた。
「真……起きて」
囁くような、透き通った声音。
土混じりの青臭さは我が強く、鼻の奥から入り込んできては、そのまま脳の皺にまでこびりつきそうな勢いだ。
ざらつく感触と、突かれる痛みとがそれぞれの頬を刺激しており、次第に思考の靄が晴れていく。
どうやら……うつ伏せになって気を失っていたらしい。
瞳を開ければ、太陽の光をいっぱいに浴びる牧草地が、視界を縦にして広がっていた。
ぽつぽつと、車輪みたいな形をした濃緑色の塊が転がっている。
なんか、思ってたよりも
ここが『トロイメライ』の世界なのだろうか?
俺は、無事に辿り着けたのか?
「あ、目が覚めた?」
野鳥の囀りにも似た声。
「その声は……紡希か?」
上半身を起して視線を巡らすが、彼女らしき白い影はどこにも見当たらない。
そうか、ひきこもりが祟って、とうとうミスディレクションを開花させたのか。
あ、この場合のミスディレクションとは手品師の手法である視線誘導などとはちょっとだけ意味が違うかもしれない幻の六人目の技術の方だ。……なんて無意味な解説。
「こっちだよ」
再び囁き声が耳をなで、反射的に表情が強張る。
まさか本当に姿がっ!?
動揺する俺を嘲笑うかのように、白い何かが視覚を横切った。
「へっ? インコ?」
声の正体は一羽のセキセイインコだった。
目の前に降り立って、ちょこん。と小首を傾げている。
純白の毛並と壮麗な蒼い瞳が、実に美しい。
なぜ一見してセキセイインコと判断できたかといえば、それは一ヶ月前の話。
ある日突然、紡希が「ペットショップに連れて行って」と懇願してきたのだ。いや、語調はほとんど命令に近かったが。
で、俺はフリルを贅沢に
紡希は日差しに滅法弱い。だから、お出掛けする時は、いつも俺が日傘で守っている。
裸ワイシャツのまま出掛けるのはやめて!! と俺から必死に説得された彼女は、その日は清楚な白のワンピースを着ていた。
彼女の主張としては「服装ぐらい魔術で誤魔化せるのに」との事だったが、俺としては、どうしたって落ち着かない。
そして、駅に隣接したビル五階の小さなペットショップで、俺達はセキセイインコという素敵な生き物と出会ったのだ。
日が暮れるまで店内ではしゃいでいた俺達の帰りを見送る店員の笑顔は、微かに頬がぴくついてて怖かった。
「……どうかな?」
そんな乙女ちっくな台詞を吐かれても。
「すごく……インコです」
いたっ!! ちょっ!! 褒めたんだって!! 指がじがじしないで。まっ、いってぇ!!
「あの……ちょっと血出てるんですけど」
「ごめん、まだ加減がよく分からなくて」
末恐ろしいわ!!
「ってか、お前まで転送されたら駄目じゃんか!!」
「ううん、これは違うの。私のは転送じゃなくて共有って言えばいいのかな。こっちの世界の器を借りて、精神だけを出張させてるイメージ」
彼女は、これなら現実の結界も維持できるし。と自らへ確かめるような呟きを残していた。
「そんなのありかい」
「ありなんですよ」
紡希は両羽を器用に曲げて、えっへんと胸を膨らましている。
なんかもっふもふしてる。さ、触りてぇ。
そっと人差し指を伸ばすと、紡希は「えっち!!」と飛び立ってしまった。
くっ……なんか腹立たしい。
俺は覚束ない足に鞭を打って大地に立つと、異世界の姿を一望した。
「これ、『トロイメライ』の世界でいいんだよな?」
「そうだよ」俺の右肩に止まった紡希が答える。
眼前には、なだらかな牧草地が広がっており、目を凝らすと牛や馬の姿も確認できる。
遠くに山塊らしき霞みがあり、その果てしなさに圧倒される。
背後を振り返ると「おぉー、すげぇ」思わず感嘆の息がもれた。
上へ、上へと築かれていったのか、遠目には円錐形にも見える都市の輪郭。
頂を誇る尖塔が、中心から天高く伸びていた。
尖塔を支える巨大な城は、おとぎ話に出てきそうな白亜の壁面を晒しており、日光に照らされて眩しく見える。
城の基礎を遮って建ち並ぶ三角屋根の住居はどれもパステルカラーで統一されており、まるで絵本の世界に迷い込んでしまったかのような錯覚を抱かせた。あながち間違ってないけど。
城壁は然して必要とされていないのか、外堀の上に連なるのは、柵と言い換えても差し支えなさそうなぐらいに頼りなく簡素なものだ。
「なんだか平和そうだなぁ……」
俺の感想を待っていたのか。じっと沈黙していた紡希が語り出す。
「あの街はラッセンブルグ。本来のストーリー通りに進めば中盤ぐらいかな。私達の目的の場所から一番近い街だね」
「目的か。エンディングを変える方法はちゃんと考えてたんだな」
「む、どういう意味?」
「なんでもないです……で、俺はこれから、あの街に向かえばいいのか?」
「えとね、まず先に『トロイメライ』の世界観について簡単にご説明致しましょう……こほん」
「なんだよ、そのキャラ」
「ナレーションです。一度やってみたかったの」
「はいはい……好きにしてください」っと!! あぶねぇ!!
首筋に噛みつこうとしてた紡希を、手の平でガード。
「ごめんなさい!! 紡希さん。俺、この世界がとっても気になります。ぜひ教えてください」
「素直でよろしい」
ばさっと紡希が羽ばたくのに合わせて、ぽんっと眼前に絵本が出現する。浮いてる。しかも、開いてみれば飛び出す絵本だ。
「……魔術の無駄遣い」
ぼそりと呟くと、
「大丈夫だよ。私の魔力はチートにしてあるから」なんとも誇らしげである。
「え、俺は?」
「真はレベル1だよ」
「なんでっ!?」
「えー。だって真は『トロイメライ』クリアしてないでしょ? 私はほら、二周目だから」
「そんなこと言って、お前ただ単に……」
「えぇ、優越感のためですよ」
「開き直るなよっ!!」
「ちなみにお前はレベルいくつなの?」
「私はほら」
再び紡希が片羽を翻すと、絵本のすぐそばに、カラフルな飴色のグミによる文字が表れた。
━━紡希 Lv☆☆。
(……なんでもありだな)
俺が☆の部分を食べていると、絵本が独りでにページを捲りだした。ちなみに味はレモンでした。うーん。酸っぱい。
ミニチュアサイズの太陽や雲が浮かび上がり、ページ上には隆起した大陸が描かれていく。
大陸はぱっと見で、ドーナツみたいな形をしていた。
「この世界では『
ちょっといらっとくる喋り方はスルー。
「『トロイメライ』は地名だったのか」
「うん、ちなみにトロイメライってドイツ語で『夢心地』とか、そういう意味だよ」
「ふぅん。ちょっと意味深だな」
魔王が眠る場所の名前が『夢心地』ねぇ。
「で、私達の目的は、魔王の再封印に必要な聖遺剣『ラムスプリンガ』の入手ね。勇者よりも先に手に入れて、真が魔王を封印する作戦」
「キャラ戻ってきてるけど」
「飽きた」
さいですか。
飛び出していたミニチュア達を吸い込みながら、次のページを捲る絵本。
大陸の西を拡大したと思わしき地図が、再び踊り出す。
円の内側に細々としてるのが『ラッセンブルグ』かな。
外端には遺跡? 祭壇か? っぽいミニチュアがあって、宙に『ラムスプリンガはここ』とのグミがご丁寧に浮かんでいる。
しかし、この……もぐもぐ。
「大陸本土と孤島との間が雲で埋め尽くされてるけど……これって海じゃないのか?」
「雲海って呼ばれてるね。この世界の文明だと、まだ空飛ぶ手段は開発されてなくて、海もないから、大型船とかも生まれてないの。それに雲海にはかつての魔王が施したと思われる『結界』が張られてるみたい」
「横断はできそうもないのか?」
「うーん。確かめてみない事にはなんとも。でも、たぶん、無理っぽい……かな。私も所詮は
紡希が話すに、世界を隔てた場合、異世界における魔術(便宜上の括り)と、元の世界(現実)との魔術の間に優劣が発生するのだとか。
現実側の魔術師達は、その差を位という共通の単位で表しているらしい。
それからもしばらくの間、俺は『トロイメライ』について紡希と問答を繰り返した。
大陸の外側は『
今頃、勇者の故郷である『コレンツィヒ』を神託の使いが訪れているだろうとか。
『円環大陸』は北側に人間が多く住み、反対の南側には、亜人や魔族が蔓延しているのだとか。
つまり、ストーリーの序盤から中盤までの舞台となる大陸北側は比較的平穏で、RPGに欠かせないエンカウントが少なめらしい。
よかった。馬とか牛が襲いかかってきたらどうしようってちょっと不安だったんだ。
「それじゃあ、とりあえずラッセンブルグに向かって」
「え、なんで?」
目的がラムスプリンガを手に入れる事なら、このまま外側に向かった方がいいんじゃないの?
「ラムスプリンガが保存されてる祭壇『アンティクルプ』にも、やっぱり結界があって、抜ける為に必要なものがラッセンブルグの古城にあるの」
「いかにもRPGっぽいな」
「盗むんだけどね」
前言撤回です。
「泥棒はよくないと思いますっ!!」
「勇者は人の家からお金とか薬草を盗むのが定番だよ」
「まぁ確かに」
それでいいのだろうか。
うん、これも世界を救う為だ。無理やり納得する事にした。
――皆の金品をオラに分けてくれっ‼
そんなこと言ったら殴られそうだよな。ぜったい頭おかしい人だと思われるよね。
遠くに望めるラッセンブルグ目指してのんびり歩いていると、やがて人影を見つけた。
あっちも俺達を視界に捉えたのか、僅かに進路方向を曲げてこちらに近付いてくる。
この広々とした牧草地帯で、わざわざ歩み寄ってくるという事は、たぶん、なにかしら接触を求めているのだろう
「な、なんだろ」
「さぁ。私は喋らないから、あんまりきょどらずにやりすごしてね」
「やぁ。旅人かい?」
甘い声を掛けてきた青年は、思わず目を瞠る程の美貌の持ち主だった。
ほっそりとした体型をより美しく見せるスマートな佇まい。
俺みたいな日に当たると色褪せる黒髪ではなく、光すら吸い込む漆黒の頭髪。
長い髪を、首の後ろで一本に束ねて垂らしている。
身動きを重視した黒装束に全身を包んでおり、背後には交叉する二対の鞘が垣間見えた。
「はい。ラッセンブルグへ」
「そうか。あそこはとても賑やかで愉快な街だ。ゆっくりするといいよ」
「あの、貴方はどちらへ?」
「あぁ、僕はこれから『イエナバッハ』に向かう所さ。君も……魔王の目覚めを預言した
――神託の聖少女か。
ついさっき紡希からより詳しく聞いたばかりだ。
その少女こそがゲーム『トロイメライ』における発端で、彼女の預言により、かつての勇者の末裔である青年が旅立つ。というのが物語の冒頭部なんだとか。
「君、名前は?」
「ん、俺ですか? えと……」
困った。さすがに本名そのまま『遠野真』と名乗れば怪しいよな。
「シン……です。シン」
苦し紛れの読み換えだったが、わりとそれっぽいんじゃないだろうか?
「へぇ、珍しい名前だね」
あ、駄目でした。まぁ、真よりはましだろ。
「僕はオーマ。天才剣士と名高いあのオーマ・ローゼだ。覚えておくといい。いずれ世界を救う男の名さ」
あの。とか言われても知りません。ごめんなさい。
「おや、純白のインコか。珍しいね」
目を向けられた紡希は、まるでメデューサに睨まれて石化したかのように硬直している。
おい、どうしたんだよ。
ちょっとだけ心配になって、お腹の部分を人差し指でくすぐると「ぴぃ」と甲高い鳴き声を上げた。
「ははっ、可愛らしいな。懐いているようで羨ましいよ」
「そうですか?」
「僕はいつも動物に嫌われるからね。いくら手を差し伸ばしても、いつも牙を立てられてしまう」
これも哀しい運命なのさ。となにやら悟った表情を浮かべている。
美形だから妙にしっくりくるのが複雑だ。
「それじゃあ。僕達の星々が再び交われば、また会おう」
彼はにこやかに言い残し、俺達へ背を向けた。
颯爽と去るオーマ・ローゼの後姿を眺めていると、ようやく紡希が口を開いた。いや、
「あれ、勇者の仲間の一人だよ」
まじか。
「それにしても……ぴぃって……ぷっ。俺が『シン』なら、紡希……お前の名前は……『ぴぃ』……だな、ぶふっ」
首筋に噛み付かれた。
「いってぇ!! ごめん!! 冗談ですから!! だから、許してっ!! ごめんってば!!」
しかし、眼尻に涙をたくわえながらも、俺は懲りずにまた挑む。
「そんじゃ、ラッセンブルグへ行きますか。なっ、ぴぃちゃん」
「真。そんなに私の『瞬獄殺』をくらいたいんだ。わー嬉しいなー」
紡希がばさっと、やや離れた地面に降り立つ。
「しゃあ!! かかってこいやぁ!!」
対する俺は『羅生門』のコマンドを脳内で確かめつつ、じりじりと距離を詰めていく。
さぁ夢のドリームマッチを再現しよう。
殺意の波動に目覚めたインコのぴぃちゃんを鋭く睨みつけながら、俺は高らかに叫んだ。
――第二ラウンド。ファイッ!!
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