第1話 お隣さんはひきこもり魔女


――なにこの糞ゲー!!


 おぅ、びっくりした。

 突然、隣から叫び声が聞こえ、思わず握っているコントローラーを落としてしまう。

 どうやら、隣人さんがまた癇癪を起こしてらっしゃるらしい。

 ここ、わりと新しい建物の筈なのに、音漏れひどいよな。まさか手抜き工事だったりするのだろうか。

 ネット対戦が一区切りつくと、足音を忍ばせて壁にひっつく。

 息を潜めて聞き耳を立てていると「真。ちょっときて」と一声。声自体は張ってないし、弱々しいものだ。けど妙な威圧感を含んでいる。単なる先入観かもしれないが。


「……居留守しよ」うん、それがいい。


 俺は無言で低反発クッションに座り直すと、コントローラーを構えて再びネット対戦に興じていく。

 昨日から春休みだ。補足するなら『高校二年生』の春休みである。

 これから先、夏休みや冬休みがあっても、素直に楽しめるとは思えない。なぜなら、俺には受験という苦行が迫っていた。

 就職でもいいし、なんなら、隣人のあいつの助手になるという逃げ道もあるのだが、体裁として挑戦だけはしなければならなかった。

 それで駄目だったなら、その時にまた次の道を模索すればいい。というのが単身赴任している父の言伝なので、とりあえず従う方針なのである。

 お小遣いも欲しいし。

 俺、このままでいいのか? 勉強しなくていいのか? なんて葛藤しながらゲームするなんてご免だ。

 この春休みは俺にとって心の底からゲームを満喫できる残り僅かな、貴重な時間。という事で邪魔をしないで頂きたい。


――対戦相手を検索中です。


 そんな画面を睨みながら、持ちキャラのコンボを確かめるように、コントローラーのボタンを小気味良く叩いていると。


「早くしないと、壁……壊すけど」


 コントローラーをぶん投げた。

 なんてことを言い出すんだあいつは。冗談に聞こえないのが、また性質が悪い。

 慌てて部屋を飛び出すと、殺伐としたフローリングの廊下を滑るように駆け抜け、自分の靴しか並んでいない玄関を飛んで、流れるような動作でドアノブを捻りつつショルダータックル。


「いった!!」


 びくともしない。

 忘れてた。鍵掛けてた。しかも靴も履いてないし。

 どうやら隣人による脅迫紛いの一言は、自覚してる以上に、俺を震え上がらせているらしい。

 元凶である彼女に悪態をつきながら外に出ると、開放廊下越しに見晴らしの良い景色が広がった。

 彼方まで続く蒼穹にぽつぽつと漂う綿雲。

 春の芽を育む暖かな陽射しが燦々と降り注いでいる。

 健全な若者達はさぞかし青春を謳歌していることだろう。

 俺は知らん。そんなことより一刻も早く彼女のご機嫌取りだ。


 俺は、父親の単身赴任という都合により、高層マンションの一室にひとりで暮してる。母は……もうずっと帰ってこないままだ。

 その場合は単身赴任とは言わないのだろうか? どっちでもいいけど。

 1LDK、風呂トイレ別という好環境。で、夜遅くまでゲームできるし、毎晩カップラーメン食べてても怒られない。

 まぁ、カップラーメンは一ヵ月ほど食べ続けてたら、なんか胃が変な呻き声を上げ始めて、やたらと鼻血が出てくるようになったから、以後控えてる。


 『シティタワー押切』という、地名を付け足しただけのなんとも安直なネーミングセンス。

 しかし、築6年36階建として高層建築物に仲間入りしており、オフホワイトで統一された外観も真新しく立派なものだ。

 当然、家賃だってそれなりに値が張るのだろうけど、父親が口座引き落しで支払ってくれている。

 とはいえ立て替えてくれているのは家賃と光熱費だけだ。定期的に俺の通帳に生活費が振り込まれているが、それだけだと些か足りない。

 うん、ゲームが買えない。課金もできない。

 だから、ちょっと前まではバイトもしてた。

 それも隣人の助手を時々するようになってから辞めた。


 俺の部屋は3005号室。つまり30階。ついさっき叫び声を上げた人物が住んでいるのが廊下突き当り……3006号室だ。

 ちなみに反対側の3004号室は空いている。入居人絶賛募集中だ。

 そういえばこの前、思わず抱きしめたくなるような、ちっちゃくて愛らしい女の子が隣に引っ越してくる夢を見たんだが、もしかして俺ロリコンなんだろうか……格ゲーでもよく白レンとかプラチナとかブリジットとか選んじゃうし。

 いや、ブリジット違う。あれ男の娘。ん、なんかもっとやばいぞ。


 煩悩を払うように首を振って、3006号室の扉の前に立つ。

 扉には『絵本』と記された表札が飾られている。

 絵本と書いて『えもと』で、フルネームは絵本えもと紡希つみき


 俺は彼女の事を親しみを込めて『廃人魔女』と呼んでいる……嘘です。心の中だけです。

 取っ手を掴むと、ひんやり冷たい。

 微かに『結界』の嫌な気配を感じたが、もう慣れっこだ。

 紡希に施錠という概念は存在しない。

 世間一般からしてみれば不用心になるのだろうが、彼女にとっては不必要だった。

 なぜなら彼女は魔女だから。うん、説明になってないな。

 我ながら胡散臭いと思うが、これだってもう諦観したようなものだった。


 絵本紡希の住処である3006号室には『認識を逸らす結界』とやらが張られている。


 一ヶ月前、紡希の元を訪れたらしき、魔術師の組織━━通称『協会』に属する魔術師と廊下でばったりと蜂合わせた時。

 彼は『異常を、異常として認識させない』系統の魔術はかなり高度なものだと驚いていた。

 そして「平然と結界を破る君もかなり異常だけどね」と、可笑しそうに言い残して去っていったのだ。

 俺の場合は『絵本紡希』限定だから、あまり褒められるものでもないと思っている。


 とにかく、この結界が俺にもたらすものは、迷惑以外のなにものでもない。

 だって、あいつ、アガゾンとかで注文する際に、送り先として俺の部屋を指定するんだ。勝手に。

 しかも、一度に注文する量がまともじゃない。狂ってるよ。物理法則を無視する勢いだもん。

 初めてその惨状を目にした時は、「え、これ、ぜんぶ俺が運ぶの?」と通路を埋め尽くすダンボールの山を眺めながら、しばらく呆けていたものだ。


 3006号室は異世界と繋がっている。

 というのは、もちろん比喩だが、扉を開ければ目の前に広がる摩訶不思議アドベンチャーへの入り口。

 足の踏み場すらない程に散乱したゲーム、漫画、アニメなど。日本が誇るサブカルチャーの巣窟。

 中には、和洋折衷、様々な模擬刀やモデルガンだったり、深夜アニメでも規制がかかりそうな卑猥なものが紛れ込んでいたりもした。


 オラ、ワクワク……はしない。もう慣れた。


 初めこそ、さよならネットカフェ。とはしゃいでいたが、漫画やDVDは次の巻が見つからない。探してると日が暮れる。

 ゲームは今でもよく無断で借りていくが、正直、追いつかない。

 居間もそれまでと同様、サブカルチャーによってフローリングが埋没していた。

 隅に設けられたキッチンは、俺が定期的に掃除(発掘)している甲斐もあって、まだ足場も残っている。

 遮光性に優れた墨色のカーテンを閉め切っており、室内はどんよりとした暗闇に沈んでいた。

 入って右側。つまり俺の部屋の方角に、もう一室が備わっている。

 寝室ということになるのだろうか。少なくとも、俺はそのつもりで活用してる。

 間取りは俺の部屋と同じだ。

 ただ、俺は普段、居間で寛いでいるが、彼女はその寝室にひきこもっている。

 だから壁伝いに色々と伝わったりしてしまうのだ。

 とにもかくにも、薄っすらと枠部から明かりのもれている扉を押し開く。


「……遅い」


 不機嫌そうに、ぼそりと呟く絵本紡希。

 その姿は裸ワイシャツである。うん、別に意外でもない。これだって慣れる。

 再三の注意が功を奏したのか、ボタンは胸元まで留めてくれている。

 仮にも俺と同世代の筈だけど、とてもそうは見えない未成熟な体つき……身長も小さめで、だけど、華奢な割にちょっとだけ色っぽい。

 色素が欠乏した頭髪は白銀色の煌めきを秘めており、絹糸のようにさらりと腰付近まで伸びている。

 ほんのりと淡青色を滲ませる虹彩は、まるでブルートパーズを沈めたかの深みある輝きを放っていた。

 真っ白な睫毛が儚げに双眸へ陰り、乳白色の肌はマシュマロみたいに柔らかそうだ。

 棒つきの飴を咥えており、頬をぷくっと膨らませていた。


 彼女は一般的に先天性白皮症アルビノと呼称される人間だ。

 また、実は西欧生まれで『絵本紡希』という名も、日本に馴染む為の偽名らしい。


 室内はLEDの青白い照明に包まれている。

 この部屋だけは小奇麗なもので、角にお菓子の山が築かれている以外、俺に掃除しろと訴えかけてくるものは何も見当たらない。

 窓際に並ぶ巨大な液晶テレビの一つが淡い光を灯していた。

 なにかのクレジットタイトルだろうか?

 オルゴール調の切なげなメロディーにのせて、次々と人物名が流れていく。

 俺は、ぼんやりとそのスタッフロールを眺めつつ、紡希に問い掛けた。


「で、糞ゲーとか騒いでたみたいだけど。どうしたんだ?」


 うん。と彼女は胸ポケットに忍ばせていた黒縁の眼鏡を掛ける。

 視力に難があるらしく、ゲームをする時などは必須なんだとか。


「これ、ついさっきクリアしたんだけど。エンディングが糞だった……糞ゲーだよ」


 女の子がそう何度も糞とか連呼しないで欲しい。

 年頃の男の子は、女の子に甘い幻想を抱くのですから。食べたものは、きっと妖精さんが……みたいな。


 紡希がエンディングを躊躇いもなくスキップすると、冒頭画面らしき映像に切り替わる。

 大陸の中央から神々しい光の柱が天高く伸びる様を背景に『トロイメライ』というタイトルが浮かんだ。


「え、これ。発売したの昨日だろ」

「ボリュームも薄っぺらいものだったよ」


 あまりにも辛辣な物言い。つい、制作会社を庇いたくなる。


「けど、強くてニューゲームが出てるじゃん。まだやり込み要素残ってるんじゃないのか? 」

「どうだろ……エンディングが分岐するとも思えなかったし……でも。あの終わり方は」

「あんまハッピーエンドじゃなかったのか? 」

「……納得できない」


 俺がこの『廃人魔女』と……あ、嘘です。すいません、睨まないで。

 俺がこの『絵本紡希』と知り合ってから気付いた特徴その一。


――彼女はバッドエンドが大嫌いだ。


 ハッピーエンドが大好きだ。とも言えるが、彼女の態度から受ける印象は、どちらかといえば……バッドエンドが許せない。といった趣向性だ。それも過去に起因する。


「勇者が犠牲になってまで世界が救われたって、それじゃあヒロインがあんまりだよ」


 よほど誰かに話したかったのか、彼女はひたすら不満点を吐き出し続けた。

 どうやら封印された魔王が近く目覚めるとの神託により、かつての勇者の末裔である主人公が勇者として再封印を施す旅に出る。といったあらすじらしい。

 それだけ聞くと、もう少し捻った設定が恋しくなるが、最近は王道らしい王道ファンタジーが減ってきているので、気分によってはやってみたくなる。

 まぁ、それも目の前の魔女さんが尽くネタバレしてくれたので、呆気なく霧散したが。


 結末としては、勇者の実力が足りず、魔王の再封印に全ての魔力を……つまり、自身の命をも対価にしなければ成し得ないと知り、自己犠牲を選んで、世界を救う。といった終わり方らしい。

 個人的にはバッドエンドというよりはセツナエンドだな。

 ようやく主人公とヒロインの距離が縮まったかと思った矢先のこれだよっ!! とは、紡希の怨嗟だ。


「とりあえず、もう一周してみたら?」

「そんなの、これから攻略サイトとか掲示板回れば分かっちゃうよ。だから真を呼んだんだよ」


 とてつもなく嫌な予感がした。


「あー、そういえば、春休みの宿題やらないとなー」

「あとで魔術で偽装してあげる」


 魔術なんでもありだな。


「とりあえず、エンディングが分岐するかどうかを調べて、それで分岐が無かった場合、真が……」

「無かった場合、俺が?」

「ちょっとこの結末を変えてきて」


 無茶ぶりですやん。

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