第36話 始まりと再会
―― 一年後
秋の収穫祭に村中が沸いている。
この一年で増えた住人たちが、そこかしこで陽気に乾杯の声を上げていた。
一通りの祭事を済ませたルヴィは、酒で出来上がった村人たちに手を振りながら移動する。
祭事と乾杯の挨拶さえ終わってしまえば、ルヴィの仕事はほとんど終わり。後は夕方に祭の終わりを宣言する程度だ。
体の空いたこの時間に、ルヴィはやりたいことがあった。
目的の場所へ足を進める。気が逸っているせいか、いつもより歩幅が大きい。
だが、急ぎ足のルヴィを止める存在がいた。
「ぁうー!」
小さな幼児がルヴィ目掛けて走ってくる。いや、本人は走っているつもりかもしれないが、ルヴィから見ると重い頭が傾いた方向へ、なんとか短い足を動かしているような不安な足運びだった。
案の定、バランスを崩して倒れそうになる。が、後ろから伸びた太い腕が、転ぶ前に幼児を抱き上げた。
「お~、よしよし。アル、どんどん走れるようになってるぜー!」
カルヴィンが抱き上げた我が子を高く掲げる。息子のアル――アルヴィンは自分の身長の数倍はある高さで、無邪気に笑い声を上げている。
「カルヴィン、すっかり父親姿が板についたな」
「はっはっは! そうか?」
「るぅ~!」
「アルも元気だな」
アルは短い腕を懸命にルヴィへと伸ばしてくる。
去年あった騒動の最中に産まれ、もう一年。まだ言葉は片手で数えられる程度の単語を口にするくらいだが、体の方は成長が著しい。
元気がありすぎて、面倒を見るのも一苦労だ。
「遊びたいとさ。抱いてやってくれ」
カルヴィンが息子を差し出してくる。これくらいの寄り道ならいいかと、ルヴィはアルを抱き上げた。
高い体温が接した部分から伝わってくる。
「この一年でずいぶんと重くなったな――と、ちょっと待て。アル、人の鼻を触るのは駄目だ」
迫りくる幼い指から、顔を逸らして逃げる。
不思議なことに、最近のアルの中では他人の鼻を触るのが流行っているらしい。大人に抱かれると遠慮なしに手を伸ばしてくる。
いったいなにが琴線に触れたのか、ルヴィにはさっぱり分からない。
顔を逸らすルヴィが面白いのか、アルは楽しそうに笑っている。
「ははは、すまねえな村長」
はしゃぐアルを、カルヴィンが再び抱き上げる。何度か高く持ち上げると、アルの気は逸れたようだった。
「元気なのはいいことだ」
ルヴィは心からそう言った。子供は大人を振り回すくらいでちょうどいい。
このまま健やかに成長して欲しいと思う。
「おっとっと、なんだアル、次はそっちか? すまねえな、村長。ちょいと行ってくる。ああ、飯に行くならうちのカカアが作った卵料理も食ってみろよ。美味いぜ。じゃあな」
「ああ、覚えておく。またな」
カルヴィン親子と別れ、再び歩き出す。
――さて、手が空いてるといいが。
「おーい、村長ー!」
途中で呼び止められる。今度はロイだ。近くのテーブルから手を振っている。
仮設した木製テーブルに着いているのは3人。ロイとシエラ。それから行商人見習いのリィーンだ。
「どうした、ロイ?」
「どうしたじゃねえよ。祭の日なんだから、まずは酒の一杯くらい飲めよ」
顔が赤い。既に酔っ払いらしい。
ロイは陶器の酒杯を出し、手元の酒を注いだ。
「こいつは良い酒だぞ~。取り寄せるのは大変だったんだぜ」
「大変だったのは主にゼツ師匠と僕ですけどね」
「ははは、言うじゃねえかよう、リィーン。ほらよ村長」
ルヴィは苦笑しながら酒杯を受け取った。酒に吞まれているロイは珍しい。それだけ嬉しいのだろう。
ロイは自分の酒杯を掲げる。
「正式な認可が下りたこの村と! 働き者の仲間達に! かんぱ~い!」
「乾杯」
交わした酒杯が鳴る。ロイの声はよく通り、他の場所でも乾杯の声が連続した。
明日はきっと、かなりの村人が酔い覚ましの苦い薬を飲むことになるだろう。
「……まあ、今日くらいは大目に見よう」
それだけ目出度い席だ。今日はこの村が正式に領主に認められてから、初めて迎える収穫祭。
古参はもちろん、新顔の村人も喜びに沸いている。
この一年は苦労の連続だった。酒を片手に語ろうとすれば、一晩あっても足りないほどだ。
人の集まりは、頭数が増えるほど加速的に複雑さが増す。何もかもが初めてのルヴィは、村人たちの手を借りながら必死に村をまとめてきた。
加えて『龍殺しの墓』の件も対応するとなれば、それは目が回るような忙しさだった。
よく無事にここまで来られたものだと、自分でも思う。
瞼を閉じるだけで、解決した様々な問題が脳裏に浮かぶようだ。
……本当に大変だった。
なんせ、増えた村人の半数近くは一般人ではない。今この村には、その辺に貴族の落胤が普通にいる。
基本的に、訳あり、
何故そうなったのかと言えば、バートレストとの調整の結果としか言いようがない。
この村は“龍殺し”の故郷であり、その墓があるという秘密を抱えている。
ハウエルはその秘密を守るために、この村に居てよいことになった。
……だが、ハウエルが活躍しなければならない事態が、いったいどれほどの頻度で発生するか。
ただの保険に使うには、ハウエルの能力は惜しい。
そう考えたバートレストは、ある結論に達した。――この際、隠したいモノは全て村に押し込んでしまおう、と。
ルヴィも提案を受け悩んだが、ロイを受け入れた以上は今さらだと、結局は受け入れることを決めた。
結果、村は一種の隠れ里のような扱いになっている。
……育ちの異なる者たちを公平に扱うのは、村長として本当に苦労した。
帝都で毛生え薬が求められる理由がわかるような気分だ。
それでも、山積みされた問題を一つずつ地道に解決し、今日この日まで無事に来ることができた。
少しは自分を褒めて良いだろう。と、ルヴィは酒杯を傾ける。
芳醇な香りが鼻に抜けた。
「本当にいい酒だな……」
「だろ! よくやったぜリィーン! 満足するまで食っていいぞ!」
「ありがとうございます」
リィーンは遠慮なく料理を口に詰め込んでいる。その食いっぷりに笑うロイの酒杯に、世話好きなシエラが嬉しそうに酒を補充していた。
シエラも酒を呑んでいるが、ロイと比べて顔色に全くに変化はない。さすがの酒豪だ。
「それにしても、ロイはリィーンと仲が良いな」
「ん? ああ。言ってなかったか? 弟と名前が似ててな。どうも他人な気がしねえんだ」
「僕にも兄さんがいますよ。ロイさんとは似てないですけど」
「ああ、もう何年も会ってねえんだろ? 行商してんのに会えねえのか?」
「行商は行きたい場所に行ける商売ではありませんから。でも心配はしてないですよ。兄さんはどこでも生きていけるような人です。変な義侠心とか発揮してなければ、苦労せず生活できると思います」
本当に心配していないような顔で、リィーンは料理を口に運び続ける。
「兄弟のいない俺にはよく分からない感覚だな。そういうものか」
疑問を溢しつつ、ルヴィは酒を飲み干す。
「ふう、ありがとう。美味かった。2杯目は悪いが後でもらう。少し用事があるんだ」
「おう、行ってこい! ただし帰ってきたときに酒が残ってると思うなよ?」
本当に酒を飲み干しそうなロイに苦笑し、テーブルを後にした。
村の中を進む。飛び込んだ先は炊事場だ。
「あ、村長、どうしたっすか?」
ここ一年で大人びたアニスが、大皿に追加の料理を盛っていた。
「エミリーはいるか?」
「さっきまではいたっすけど……あれ? どこに行ったんすかね?」
アニスが周囲を見渡していると、物陰からハウエルが顔を出した。
「エミリー殿なら、酒で目を回した若いのに水を持って行ったぞ。ついでに酔い覚ましの薬の材料も取りに行くと言っていた」
「そうか。ありがとう。……ところで、なにをしてるんだ?」
「皿洗いをしながら隠れている。見付かると酒を呑まされるのだ。私は酒に弱いというのに……。はあ、仕方ないが、今日は皆、加減を忘れてしまったようだ」
確かに、今日はロイあたりに捕まると大変だろう。
「……すまないな。村を代表して謝っておく」
「いや、いいのだ。私もこの雰囲気自体は楽しんでいる。料理も美味で満足だ。それよりも、エミリー殿に用があるのだろう? 行かなくてよいのか?」
「そうだな……行ってくる。2人も楽しんでくれ」
2人に見送られて炊事場を後にする。
薬草の類は専用の倉庫に保管されている。迷うことはなかった。
すれ違うこともなく、倉庫から戻る途中のエミリーを見つける。
「あれ? ルヴィさん、どうしました?」
薬草の入った籠を胸元に抱え、エミリーは不思議そうに首を傾けた。
「話したいことがあるんだ。少し歩かないか?」
人気のない村の入り口まで来た。村人たちの喧騒も遠く感じる。
移動の最中、2人に会話はなかった。エミリーは理由を訪ねなかったし、ルヴィも敢えて説明はしなかった。
村の境界近くで、ルヴィは立ち止まる。周囲に誰の気配もないことを確かめて、エミリーへと振り返った。
エミリーは落ち着かないように視線を彷徨わせている。
「聞いて欲しいことがある」
「は、はい……」
深く呼吸する。
「この村が正式に認められて、無事に収穫祭を迎えることができた。俺一人では絶対に無理だった。ここまで来られたのは、あの日、エミリーが俺を手伝うと言ってくれたからだ。――ありがとう。俺は今日……こうして故郷を取り戻すことができた」
心からの感謝を言葉に込める。
今日ここにある何もかも、エミリーと2人で踏み出した最初の一歩がなければ実現しなかった。
感謝の気持ちはいくら言葉を重ねても伝えきれない。
「……私を最初に助けてくれたのは、ルヴィさんですよ。手伝いたいと強く思ったのも、真っすぐなルヴィさんの力になりたいと思ったからです」
細い両手がルヴィの手を包み込む。
「だから、お礼を言うのは私の方です。あの日、何もなかった私を拾ってくれてありがとうございます」
エミリーは微笑みながらルヴィを見上げた。
「――」
「ルヴィさん?」
「いや……なんでもない。……村は復興して、俺は夢を叶えることができた。けれど、それは終わりじゃない。これからが新しい始まりだ。エミリー、明日からも、俺に力を貸してくれないか」
「……はい。もちろんです」
エミリーは微笑みのままだ、
しかし僅かな寂しさの混じった声色に、ルヴィは無意識に手を伸ばしていた。
細い体を胸に掻き抱く。
「俺の隣で、ずっと一緒にいて欲しい。――愛している。結婚してくれ、エミリー」
互いの顔は見えない。ただ、痛いほど心臓が鳴っていた。
「……はい、喜んで」
泣き笑いの返答に、抱きしめる力を強めた。
少し時間が経過し、2人とも落ち着いた。
見つめ合うのが気恥しく、2人揃って空を見上げている。
「……後で、みんな報告しなくちゃな」
「そうですね……ルヴィさんがお世話になった村の方々に、先に知らせに行きましょう」
エミリーの視線の先は、村の墓地がある場所だ。
ルヴィが世話になった――死んだかつての村人は、全員そこに眠っている。
エミリーが顔も知らない彼らを尊重してくれることに、つい嬉しくなる。
だから自然と手が伸びた。
「ありがとう、エミリー」
滑らかな頬に手を添える。
「ええと……あの……っ」
ルヴィほど気配に
その様子にすら愛しさを感じて――手が止まった。
「なにか来た」
「え、ええ?」
甘い雰囲気を脱ぎ捨て、鋭く警戒姿勢に移る。
優秀な耳が接近してくる何かを捉えている。
規則的な――車輪の物と思われる音。だが違和感がある。音が鈍すぎる。それに蹄の音が聞こえない。
そして何よりも――速い。
この時点で予感があった。
それは接近してきた物の正体が分かったとき、確信に変わる。
「なんですか、あれ……」
エミリーが呆然と呟いた。
向かって来ているのは、一言で言えば『馬のいない馬車』だ。それだけでも異常だが、見える全てがおかしい。
車輪は見たことがないほど太く、馬車自体の材質もおかしい。木製に見えるように塗装しているようだが、ルヴィの目には明らかに魔物由来の装甲に見える。
並みの馬車より二回りは巨大な馬車。その車体を覆うとなれば、素材となった魔物は上級か……あるいは特級か。
こんな常識外れの乗り物を作る人間に、ルヴィはたった一人しか心当たりがなかった。
不安がるエミリーの手を握る。
「心配ない。あれは俺の古い友人だ」
「は、はい……?」
エミリーに詳しく説明する間もなく、異形の馬車が目の前で停止した。
男が一人。軽やかに降りてくる。
懐かしい黒髪が風に揺れた。
何年ぶりかに会う友人は、昔よりも日に焼け、余裕のある顔つきになっていた。
こちらを見て眩しそうに笑っている。自分もきっと同じような表情だろう。
数年の時間などなかったように、そいつは変わらない笑顔で手を挙げる。
「――やあルヴィ、久しぶり。……ところで、突然で悪いんだけどイモ食べない? ちょっと食べきれないくらいあるんだ」
「――お前は相変わらずだな」
笑う。思わず吹き出すところだった。
――ああ、今日は、良い記念日だ。
狩人ルヴィの故郷復興記 善鬼 @rice-love
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