第10話小春ちゃんとの思い出
シェアハウス生活2日目は思いのほか呆気なく終わりを迎えた。
そして、迎えた3日目。
今日は大学の講義がない土曜日だ。
早く目覚めた俺は、溜まって来た洗濯物を洗うことにした。
洗濯機のある脱衣所に洗濯籠を持って向かう。
するとそこには先客が居た。
「おはよう」
「おはようです。悠士先輩も?」
まだ部屋着のパジャマを着たままの小春ちゃんが洗濯籠を持って脱衣所に居た。
「まあな。でも、小春ちゃんが使うようならまた後で来るとしよう」
「あ、先に使って良いですよ」
「小春ちゃんが先に使おうとしてたんだし、別に気を使わなくても……」
「いえいえ、私は先にこれを手洗いしないといけないので!」
小春ちゃんが見せてくれたのは、泥がこびりついてしまっている体操服。
残念な事にこのまま、洗濯機に突っ込んでも綺麗になるかは微妙だ。
手洗いをした後、他の服ともう一度一緒に洗うつもりだから俺に順番を譲ってくれるって訳か。
「分かった。じゃあ先に使うな」
一度着た服を洗濯機に入れて行く。量的には……まだもう少し入りそうな感じだ。
前に使っていた洗濯機よりも容量が大きいっぽい。
これなら、洗濯はもうちょっと我慢しても全然平気だ。
「悠士先輩~。体操服の汚れが落ちません。か弱い手が荒れちゃいそうです。代わりに洗ってくれても良いんですよ?」
「しょうがない。見せてみろ」
「っふ、頼んでみた甲斐がありました。よろしくです!」
小春ちゃんの横に行き、洗濯用のたらいに入ってる体操服を見やる。
泥は落ちておらず体操服は汚いまま。
様子を確認し、生地が傷まない程度に揉みこむ。
「こんなに汚して……。子供みたいに泥遊びでもしたのか?」
「たまたま水たまりの泥が跳ねちゃっただけですよ? 昔みたいに泥遊びなんてするわけがないじゃないですか」
「まあ、そういう事にして置いてやろう。さてと、これはお手上げだ。ごしごしと洗ったら、生地も傷むだろうし、洗剤の入った水にしばらく浸け置きだな」
汚れが浮かび上がるまで、洗剤を溶かした水に浸け置きが一番だろう。
そしたら、小春ちゃんが不思議そうにこっちを見ていた。
「どうした?」
「先輩は昔と変わったな~って。見た目も昔と全然違うし、洗濯だって出来なかったじゃないですか。ちょっと違和感があるんですよ。この人は本当に私の知ってるお兄ちゃんだった人なのかって」
俺からしてみれば小春ちゃんの方が凄く違和感がある。
引っ込み思案で俺の後ろでウロチョロしてた。
そんな子が、こんな風に積極的に話しかけて来るような、明るい子に変わっていたとは今でも不思議な感じだ。
「そんな私をエッチな目で見ちゃダメですって。セクハラですよ?」
「見てない。ただ、小春ちゃんがこんなに明るくなってるなんて思いもしなくてな。驚いてただけだ」
「え、それ、悠士先輩が言うんですか?」
「ん?」
「いやいや、私がこうなったのは先輩のせいですからね! 私が引っ越す日に、激励をくれたのをお忘れで?」
「なんか言ったけ?」
「まさか忘れてるなんて……。いや、ほ、本当に覚えてないんですか?」
小春ちゃんが引っ越していった日の記憶を辿る。
もともと年齢が上がるにつれて疎遠になりかけていた。
だけど、引っ越すときには、ちゃんと挨拶しに来てくれたのを覚えている。
って、あ。
「ああ!! 思い出した。そういや、小春ちゃんに色々言ったな」
「まったくもう! 私を変えた張本人が忘れてるなんて最低ですからね!」
プンプンと怒る小春ちゃんを見ながら、俺は小春ちゃんが引っ越し前に挨拶しに来てくれた日のことを思い出す。
*
――5年前のある日。
「あ、あの。引っ越します。だから、その、今までありがとうございました」
近所に住む小春ちゃんという女の子が引っ越すそうで、挨拶しに来てくれた。
小さい頃は良く面倒を見てあげたが、大きくなってきた今は、ほとんど疎遠にはなっていた。
それでもお別れの挨拶をしに来てくれたと思うと、感慨深いものがある。
「元気でな。最近は会ってなかったけど、引っ込み思案は治ったか?」
小さい頃は俺にべったりで引っ込み思案な性格。
すぐにお別れするのも何だったので治ったかどうか聞いてみる。
「うん。だいぶ治って友達がたくさんいるよ」
「そうか」
嘘言ってるだろと思っている俺の態度が透けたのか、小春ちゃんは申し訳なさそうに白状し始めた。
「嘘。全然いない。でも、お母さんには言わないでよ。心配させちゃうから。どうして、私に友達が居ないって分かったの?」
「放課後になると近所の図書館に行って一人で本を読んでたのを見たからだ。雰囲気も何となく暗いなって感じだったし」
「あ、あははは……」
10歳の女の子を苦笑いさせてしまう。
泣かれなかっただけマシだが、さすがに今のは無い。
下手したら、泣かれてるぞ?
ちょっとした後悔を抱きながらも、俺は小春ちゃんに激励を送る。
「頑張れよ」
「え?」
「転校した先で小春ちゃんを知ってる人は居ない。だったら先手必勝だ。明るいキャラで気さくに声を掛けちまえ。今は根暗な小春ちゃんを知ってる人だらけ。その人達に笑われるかもと思うと、キャラなんて変えられない。でも、転校先に笑う奴は居ない。だから、思いっきりぶちかましちまえよ。ちなみに中学デビューは難しい。小学校から持ち上がりで、大体が顔見知りだ。高校も中学時代の顔見知りと出会う可能性が非常に高い。という訳で、今回が一番の大チャンスなんだからさ」
最近、高校に進学した俺。陰キャでオタクな自分を変えたくて高校デビューを目論んだ。
だというのに、同じ中学校だった奴と一緒のクラスになったせいで、俺の高校デビューは失敗に終わった。
クラスに中学時代の同級生が居た事を何度、恨んだことか。
だからこそ、俺は小春ちゃんにアドバイスをしていた。
俺の敵討ちをして貰おうって訳だ。
いやいや、小学生に敵討ちをして貰うとか情けなくて涙が出て来た……。
「う、うん。お兄ちゃんが高校デビューに失敗したのをお母さんから聞いてるから、凄い説得力だね」
「お、おう」
母さんめ、やっぱり周りに言ってやがったな?
何が、高校デビューに失敗したのは、ご近所さんに絶対に言わないだ?
普通にバラしやがって……。
「お、お兄ちゃん? こ、怖いんだけど」
「ああ、悪い悪い。大人は嘘つきなんだと恨んでたとこだ。さてと、それじゃ元気でな。小春ちゃん。良いか、中学で変わろう、高校で変わろうじゃ間に合わないからな。まあ、あれだ。なんかあったら、相談してくれ」
玄関先に置いてあったメモ帳に連絡先を書いて渡した。
「ありがとう。わ、分かった。小春がお兄ちゃんの敵討ちする! だから、お兄ちゃんも頑張ってね」
「お、おう」
5歳年下の小学生に慰められるのが惨めな感じがして泣きそうになる。
いや、うん。一応、高校デビューが失敗しただけで、少ないけど友達は居るからな?
そ、そこまで小学生に憐みの目を向けられるほど、惨めってわけじゃないはずだ。
「惨めなお兄ちゃんを見てたら元気が出た。私、頑張る!」
「一応、言っておくが友達は出来たからな?」
「……。友達が居ない人は強がりなんだよ。私とおんなじでさ」
信じてくれなかった。
でもまあ、良いか。
小春ちゃんにちょっとでも、反面教師として希望を与えられたなら俺は満足だ。
「それじゃあ元気でな。今度、会う時は明るく元気に振る舞う小春ちゃんを期待してる。それ以外は小春ちゃんだと認めないからな?」
「お兄ちゃんも頑張ってね。たくさんは出来ないかもだけど、きっと友達は出来ると信じてるから」
「いや、少ないが友達は居るって。高校デビューに失敗しただけだぞ?」
「バイバイ! 今度会う時は、明るく元気に振る舞う小春ちゃんで会えるように頑張る。お兄ちゃんも友達出来ると良いね!」
高校デビューは失敗したが、友達は居るぞ?
そう言い返してやる前に、小春ちゃんは俺の前から姿を消していた。
*
引っ越し前日に交わした会話を思い出した俺は目の前で怒った顔をしている小春ちゃんに尋ねる。
「あ、俺に馴れ馴れしくしてくる理由って……。変われたのをアピールするためだったのか?」
「そうですよ!!!」
凄まじい圧を放ちながら、俺を睨む小春ちゃん。
小春ちゃんが随分と変わったのは、引っ越し前に交わした俺との会話の所為。
変わったきっかけである俺に変わったとアピールするため、親し気に絡んで来ていたと知った俺はうんうんと頷く。
「いや~、なんで忘れてたんだろうな」
「ほんと酷い人です。で、改めてお聞きしましょう。先輩が別れ際に言った明るく元気に振る舞う小春ちゃんになれてますか?」
ニコッと笑う小春ちゃん。
身長はグンと伸び、胸も出ている。
ショートカットでちょっとぼさっとした髪の毛は、ふんわりと柔らかそうなセミロング。
常に笑顔で愛嬌たっぷり。
暗くて引っ込み思案だった小春ちゃんはどこにもいなかった。
「ああ、なれてる」
小春ちゃんはほっとした笑みを浮かべた後、ピースサインを俺の前に突き出す。
「小春ちゃんの大勝利です!」
「てか、なんで変われたことを連絡してくれなかったんだ? 見た感じ、俺に恩は結構感じてるんだろ?」
「悠士先輩が陰キャのままだったとしましょう。なのに、こんな可愛くてコミュ力最強な私を見たらどうですか?」
「自分が惨めで死にたくなる」
何も言わずにそう言う事ですよ? と小春ちゃんはニコッと俺に微笑んだ。
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