第9話苦しいけど楽しい

 日和さんと話してる間に俺はシャワーを浴びていないことに気が付く。

 シェアハウスは自分だけじゃなく他の人も居る。

 当然、身だしなみはきちんとすべきだ。


「シャワー浴びて来ます。身だしなみを気にして無くてすみません」


「そうですよ? 身だしなみはきちんとしないとダメです!」

 眉を吊り上げ、俺にビシッと言って来た日和さん。

 と思っていたら、すぐに怒った顔をやめて朗らかに笑う。


「ふふっ。私もあの後すぐに寝たので、シャワーを浴びたのはついさっきです。シェアハウスだからって過剰に身だしなみを気にしなくても大丈夫ですからね。ある程度、守れてれば平気ですよ」


「小春ちゃんと日和さんってそっくりですね。そういうお茶目なとこ」


「そりゃそうですよ。だって、小春のお手本は私なんですから。さてと、私はそろそろ仕事に行きますね」


「あ、はい。行ってらっしゃい」


「はい、行ってきますね!」

 スーツをピシッと直した日和さんは仕事へ向かうのであった。


   *


「シャワーを浴びようと思ったんだがな……。ボディソープもシャンプーもない」

 シャワー室に繋がる脱衣所。

 そこにある小さなラックには、所狭しと住民たちがそれぞれ使っているソープ類が並んでいた。

 説明して貰ったが、シャンプーやらボディソープはそれぞれ自分のを使うという決まり。

 椿オイルが配合された良い匂いがしそうなシャンプーには日和と書かれており、爽快感溢れるメンソールが配合されているシャンプーには朝倉と書かれていた。

 こっそり使うことが一瞬頭によぎったが、苦々しい経験がそれを許さない。

 そう、真冬と同棲していた時、俺はしれっと真冬のシャンプーを使っていた。

 

 結果、こっぴどく喧嘩した。


「朝倉先輩は今日早いって言ってたし、もう家に居ない。となると、居るのはあいつだけか」

 俺が住む3号室の隣であり、真冬が住んで居る4号室へ行く。

 何で今日はまだ大学に行ってないのか知ってるかって? 

 そりゃあ、元カノの時間割くらい大体は把握してるだろ。


 真冬の元へ向かう際、苦々しい記憶がより一層と鮮明になって行く。


 同棲を始めて2週間後。俺が使っていたシャンプーが無くなった。

 俺の空になったシャンプーボトルの横には真冬が使っているシャンプーがある。

 そして借りた。何も言わずに。


 何だかんだでいつまでも自分用のシャンプーを買うのを忘れ続け、真冬のを使い続けること数日。

 髪の毛の匂いが違うという理由で、勝手にシャンプーを借りてるのがバレた。

 恋人同士なんだから、別にちょっとくらい使ったって良いだろと言ってしまった。


『はあ? 何その態度。悠士が悪いのになんでそんなに偉そうにしてんの?』

 

『こんなちっちゃなことで怒んなって』

 とまあ、それからは言い合いが続いた。

 ほんと、どうでも良い喧嘩だったと今では思う。

 

 こんな苦い思い出があるからこそ、勝手に借りるのはもうこりごりだ。

 悪かったのは俺だし、普通に反省してる。本当に色々と思い耽りながら、辿り着いた真冬の部屋前。

 俺はノックをし真冬に呼び掛けた。


「ちょっと良いか?」


「う、うん。てかさ、ちょっと私から先に聞きたい事がある」

 恐る恐る部屋から出て来た真冬が若干、目を泳がせている。

 あ~、そういやシャンプーで喧嘩した事を思い出してたせいで忘れてたけど、酔った真冬にキスされたんだっけか?

 気まずいし、向こうから言い出してこなきゃ触れないようにするか……。


「ん? なんだ?」


「き、昨日の事なんだけどさ。私、君にキスしちゃった?」


「……」

 あんだけ、酔っても全部覚えてるタイプな真冬。

 聞かずには居られなかったのだろうが、俺が覚えてないかのように惚けてるんだから、お前も惚ければ良かっただろうに。

 さてと、どう反応したものか……。


「しちゃったんだ」

 真冬が俺と付き合っていた頃は髪が肩にかかるくらいだったのに、バッサリと切られボブヘアーとなった髪の穂先を弄りながら聞いて来た。


「お、お前も酔ってたからな。あれは事故だ。気にすんな」


「そ、そう。事故、事故だから。で、でさ、キスした時、私って悠士になんか言ったっけ?」


「いいや、何にも?」

 まだ好きだとか言ってたが、気まずくなるだけなので誤魔化すも……。

 付き合いが長い事もあり、俺の嘘なんて通用しない時が多々ある。


「あ、あぁ……。そっか」

 しっかり酔っている時のことを覚えてる真冬。

 俺の反応から察するに、自分がしでかした事が事実だと再確認し、頭を抱える。


「まあ、聞かなかったことにしてやるから安心しとけ」


「うん。ありがと……。でも、これだけはハッキリ言う。よりを戻す気はない」


「ああ、分かってるっての。同棲が失敗した時点で俺達に未来は無い」

 復縁は無理。

 しない方が良いと分かり切っている。

 とはいえ、真冬を嫌いになり切れていないせいか俺の胸はズキズキと痛む。

 

「で、用はなに? 用があるから、呼んだんでしょ?」

 どうしたら良いという顔つきを隠せぬまま、真冬は俺に要件を聞く。


「シャンプーとかボディソープとかを買い忘れたから貸してくれ」


「良いけど……」


「どうした?」


「君がそう頼み込んでくることに違和感があってさ」


「反省してんだよ。俺が自分のが無くなったからって、お前のを使って喧嘩になったし。それにまあ、シェアハウスだ。ルールは破って許可を取らずに人の物なんて使えないだろ?」


「良い心がけじゃん」


「ああ、それじゃあ、借りるからな。もし想像以上に減って、迷惑だと思ったのなら、遠慮なく金を請求してくれ」

 よそよそしくそう言って俺は去る。

 だがしかし、俺が去ったのに部屋に真冬は戻ろうとする素振りは見せなかった。

 俺が階段を降りる途中の事だ。


「反省してるんだ……」

 微かに真冬の声が聞こえた。


   *


 さて、真冬にシャンプーとボディソープを借りることも出来た。

 ちゃっちゃとシャワーを浴びてしまおう。

 服を脱いだものの、どこに脱いだ服は置いておこうかと悩んだ時だ。

 洗濯籠がある事に気が付く。

 そして、そのかごの中には、加賀君へと書かれた一枚の紙が入っていた。


『加賀君へ。洗濯物は基本的に自分の部屋で保管して洗う時になったら、ここに持ってきてください。まあ、取られたり見られたりしても良いのなら、脱衣所に置いてもOKです。という訳で、この籠は私からちょっとしたプレゼントです。良かったら、使ってください。PSバスタオルはご自由に使って、バスタオル用のかごに入れといてください。私が洗います。管理人である私が行うシェアハウス内における住民さんへのサービスなのでタダですからね!』


「ありがとうございます」

 有難くプラスチック製の洗濯籠を頂く。

 脱いだ服をそこに入れた後、脱衣所からシャワー室へと入る。

 広さはそこそこ。狭くもないし、広くもない普通のシャワー室。

 水圧は中々にあって俺好みである。


 体にお湯をかけ、真冬から借りたボディソープを手に出す。

 あいにく、体を擦るスポンジやらは持っていないので手洗いだ。

 ちょっと多めに出し、体を手で擦って行く。

 真冬も白く透き通った肌は敏感肌。体を洗う時は手だったのを思い出す。

 

「ああ、クソ。忘れようと思ったのに……」

 ふとした瞬間に気がつけば真冬の事を考えてしまう

 むしゃくしゃとした気持ちが沸き立つ中、俺はシャワーを浴びるのであった。

 あっという間に浴び終わり、綺麗さっぱりになる。


 髭を剃り、歯を磨き準備をしていく。

 なんで歯磨き粉とかはちゃんと買ったのに、シャンプーとボディソープは忘れたんだろうなとか思いながらも、身支度は整った。


「よしっ。出るか」

 長居は無用だ。

 真冬も2限から講義があり、昨日はシャワーを浴びていないのを知っている。

 俺がいつまで経っても使っていたら、迷惑だろうしな。

 で、さっさと脱衣所から出ると真冬が丁度脱衣所の前に居た。


「早いじゃん。もう終わったの?」


「お前も使うからな」


「うん」


「ここはシェアハウスだ。お前と同棲していた時と違って、ちゃんとしなくちゃダメだろ?」


「そっか。じゃあ、もう洗面台とかは使わない? 私が使っても大丈夫?」


「ああ、大丈夫だ」

 俺の言葉を聞くと真冬は脱衣所へと入って行く。

 そして、脱衣所の扉を閉め切る前に俺に言う。


「い、今更、反省しても、復縁とか本当に無理だからね?」


「復縁したいのはお前だろうが。キスした癖に」


「そんなわけないから!」

 勢いよくドアを閉める。

 シャワーを浴びるので鍵が掛けられるかと思いきや、

 少しだけ扉が開いて声だけが聞こえて来る。


「強くドアを閉めちゃったけど、私が私にイラついただけで、悠士にイラついたわけじゃ無いから」


「分かってる。分かってる。ほら、さっさと準備しないと遅刻するぞ」


「うん……」

 か細い声で頷く真冬は優しく扉を閉めた。


「朝から気まずくて胃が痛いぜ……」

 やれやれと言わんばかりに格好つけて呟いた。

 

 そんな俺は気まずくて胃が痛くなってる癖に――

 真冬とのやり取りが楽しくてしょうがない。


「ほんと、最悪な朝だ」

 気まずくて苦しい俺も居れば、楽しくてしょうがない俺も居る。

 不思議な気持ちを抱きながら、昨日買った菓子パンを食べるためキッチンへと向かうのであった。

 

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