第21話 翼竜の巣 後
遥か頭上にある巨木の枝を縫うように、怒り狂う翼竜が降下してくる。空中で複雑な軌道を描きながらも、殺意の籠った視線は常に同族殺しの侵入者へと向いていた。
つまりオレとレックスだ。地面に横たわる翼竜を狩ったのはレックスだが、近くにいたオレも、目出度く“敵”に認定されたらしい。勘弁して欲しい。
「くはは、それじゃあ頑張れよ!」
楽しそうに笑いながら、赤くて強い友人は軽い足音で跳んで行った。巨大な根の向こうに姿が消える。
そして当然のように――怒る翼竜の視線は、同族の死体の横にいるオレに釘付けになった。
「マジかよ……」
周りの木も翼竜も巨大なせいで遠近感が掴みづらいが、距離を考えれば翼竜の牙はあと数秒でオレに届く。
もう戦いたくないとか言っている余裕もない。
行動しなくては死ぬだけだ。そしてオレは――まだ死ぬ訳にはいかない。
「くっそ! レックス覚えてろよ!」
どこかにいるレックスに叫びながら、オレは身体強化の魔道具を起動する。効果は最大。安全性を無視して最速で。
「ぐっ……!」
急激に流れる魔力に、変化に追い付けない体が悲鳴を上げる。痛みと熱が全身を駆け巡り、同時に全能感が脳へと満ちる。
体の苦痛さえも興奮の材料になり、高揚した精神と体は熱い息を吐き出した。
「っは! 30秒で仕留めてやるよ!!」
無茶は承知。無理を通すのはいつものこと。
翼竜が視界の中で大きくなる。厚く滑らかな鱗の模様まで見えた。
30秒はオレの限界だ。たった1分の半分しかない時間。純地球産の体では、最大限の強化にそれだけしか耐えられない。
試したことはないが、限界を超えて強化したらたぶん死ぬ。
ああ、だけどそんなことは問題ない。――死ぬ前に、目の前のコイツを食い破ってやるだけだ。
「『防壁』展開!!」
限界まで強化しても、オレにはレックスのような非常識な動きはできない。木を蹴りながら空へ駆け上がるなんて不可能だ。
だから足場は自分で作る。
巨木の森の中空に、オレ専用の空中回廊を設置。蹴り飛ばして駆け上がる。
同時に頭上には翼竜に対する壁を生み出し、罠として魔力の槍も配置した。その様子は一枚の盾。あるいは天に広げた傘のようだ。
これだけで燃料用の魔石が半分消えた。失敗したら大赤字が確定。大盤振る舞いだ。存分に食らえ。
迫る翼竜。展開した防壁との距離は10メートル。時間にして一瞬だ。
空中に散りばめられた壁と槍に翼竜が衝突――重い衝突音と、耳に響く高い金属音が周囲の全てを叩く。
「ゴアアァァッ!!」
翼竜の体の各部から砕けた鱗が飛び、傷付いた翼から血が溢れる。
――だけどそれだけだ。魔力の壁は衝撃に耐えられず宙に溶けるように消えていき、槍も強靭な肉を貫くには至らない。
翼竜は残った防壁に前後の脚をかけながら、防壁の盾に開いた穴を潜り、オレに噛み砕こうと動く。殺意にも動作にも、一切の衰えはない。
濡れたように光る牙は手が届きそうな距離。オレに届くまであと数瞬。
「それだけあれば十分だ」
防壁を犠牲に、翼竜の勢いは止めた。槍は致命傷にならずとも、大事な翼に傷を付けた。
そして翼竜は、オレの『防壁』を足場にしている――
「――『防壁』解除」
「ガアァッ!?」
頭上の盾が消失。翼竜の脚が空を掻く。防壁が消された宙には足掛かりなどなく、飛ぶためには翼を広げなければならない。
ほんの一瞬だけ、翼竜は悲鳴を上げるただの落下物に成り下がる。
「大口開けてくれてありがとよ!」
オレは握り締めていた“モノ”を凶悪な口内に投げ込みながら、足場を蹴って離脱する。
赤い魔石を飲み込んだ翼竜が、ギラリと目でオレを追い――
「『爆破』」
――怒りを湛えた目をしたまま、首が内側から弾け飛んだ。
どしゃっ、と鳴る肉の音。噴き出す血潮。首なしの巨体がぐらりと揺れる。
「『防壁』解除」
翼竜の下にある全ての防壁を解除した。重力に従い、翼竜の死骸は地面に向けて落下する。
腹に響くような音を立て、首無しの翼竜はレックスが狩った翼竜の隣へと落ちた。血溜まりが両者を包んでいく。
動かない翼竜に、勝ったと言う実感が湧いてくる。……前に、全身が痛みを訴え始めた。
「うおっ、やば!」
慌てて防壁の足場から飛び降り、血に濡れていない地面に着地する。そのまま身体強化を解除。
「いてててっ」
ドサリと地面に倒れ込む。そんなに動いた訳ではないが、やはり最大強化の反動は大きい。
肉離れとまでは行かないが、体が痛くて重い。しばらくは動けそうになかった。
そんなオレの視界に、赤い人影が映り込む。
「はっはあー! なんだよコーサク、全然やれるじゃねえか!」
テンションの高いレックスが、両手を叩きながら近づいて来た。
「……いや駄目でしょ。上級の魔物を狩れても、帰れなかったら負けだよ」
全然動けない、とレックスにアピールする。
帰れなければ結局負けで、ついでに儲けが出ないなら意味がない。今回はレックスがいたから無理をしたのだ。一人で今みたいな真似をしたら、オレはただの馬鹿だ。
「くはは、それならもっと強くなるしかねえなあ」
「まあ、そうだね。……ところでレックス。翼竜の肉って美味いの?」
「いや? あんまり美味くもねえし、そもそも硬すぎて食えねえよ」
この世界の人間が硬いと言うなら、オレが食べるのは無理そうだ。そうか、ドラゴンステーキは食えないのか……。
「残念だけど、仕方ないか。レックス。翼竜の魔核を採ってもらえる?」
「あん? ああ、心配すんな。コイツは丸ごと持って帰ってやるよ。解体はギルドに依頼すりゃいいだろ」
丸ごと持って帰る……。
「どうやって……?」
「そんなの、俺が運ぶに決まってるだろ」
さっぱりと笑いながら、レックスは白いロープを取り出した。どこに仕舞っていたのか分からないが、そのロープを持って翼竜へと歩み寄る。
そして、2頭の巨大な翼竜を力尽くで
「……マジで?」
呆然と眺めるオレの目の前で、レックスが翼竜2頭を頭上へと持ち上げる。
「まあ、こんなもんだな」
バランスを確かめていたらしい。再び地面に置かれた翼竜が重い音を立てる。地面に寝ているせいで、オレの体も揺れた。
「それじゃあ、次はコーサクだな」
レックスが、同じ白いロープを手にオレの下へやって来た。
「……なあレックス、嫌な予感がするんだけど」
「そりゃ不思議だな」
不思議かなあ?
オレの上半身を軽々と起こし、レックスがロープでオレを巻いていく。戦闘用の厚いコートのおかげで痛みはないが、圧迫感がすごい。
「……ちなみにレックス。オレはどう運ばれる感じ?」
「翼竜がデカいから、悪いがコーサクは
おおう。“そのへん”ってどの辺だろうなあ。
「オレが死なないくらいには、安全に運んでよ……?」
「……くはは」
「返事しようよ!?」
「ははは、冗談だぜ」
冗談が怖すぎるぜ。
慄くオレをひょいと持ち上げ、レックスは翼竜を固縛するロープと、オレを巻くロープ結びつけた。
オレの体がぷらりと宙で揺れる。ぶっちゃけかなり怖い。というか、今更だけどロープ細くない?
そもそもなんで白いんだ?
「なあレックス。このロープの素材って何?」
「お、気が付いたかコーサク。コイツは『死槍大蜘蛛』の糸から出来たロープだ。とにかく丈夫で、俺でも引き千切れねえ強さだぜ。汚れにも強いんだが、代わりに赤色に染められねえのが難点だな」
「へえ、すごいんだね……」
蜘蛛の名前が怖すぎるけど。明らかに会いたくない名前をしている。
……帰ったら、いちおう生息地域を調べておこうか。
とりあえず、レックスでも千切れないなら強度の面では不安はないと思う。運搬中に飛んでいく可能性は低そうだ。
「ようし。それじゃあ行くか。血の匂いに他の魔物も寄ってきたからな」
レックスが翼竜2体とオレを背負って立ち上がる。
確かに、周囲から気配を感じた。周囲の魔力が濃すぎて察知し難いが、蠢く何かが幾体も。
レックスに同意しようと思ったが、揺れて舌を噛みそうだったので口は閉じておいた。
代わりにハンドサインで了解を伝える。
オレの合図を見たレックスは、口の端を笑みの形にしながら前へと進み出す。何の技術なのか、大重量を支える足は地面に埋まらない。
「ははは」
徐々にスピードが上がり、やがてレックスは走り始める。
「ようし、行くぜー!」
揺れる、揺れる。体が揺れて翼竜にぶつかる。振動が酷く、口を開けたら舌が飛んでいきそうだ。
来訪時より酷い揺れの中、オレは悲鳴も上げずにただ耐えるしかなかった。
鞄に付けられたキーホルダーのような体験を終えて、オレはようやく地面に降ろされた。
「う、おおうう……。全身気持ち悪い……」
今度は立ち上がれずに、地面に両手を着いて耐える。ヤバいくらいにキツかった。翼竜との戦いより、こっちの方がダメージはデカい。
顔だけを上げて、何とか周囲を見渡す。なんだ? 小さい村?
「……ここ、どこ?」
本日2度目の問いかけ。
「ギルドの解体場。さっきも言っただろ?」
レックスは平気そうな顔で、誰かに手を振っている。
呼吸を整えて良く観察してみれば、確かに村というよりは作業場だった。倉庫に作業用の建屋。道具の手入れをする人間。風に乗って血の匂いもする。
「ギルドの解体場って、ここに冒険者ギルドの支部があんの?」
ギルドの支部は、それなりに大きな町にしかないと思ったけど……。
この解体場の外はただの野原だ。どう見ても町は近くにない。
「ん? コーサクは知らねえのか。帝都の周りには、ここみたいな解体場が何ヶ所かあるんだぜ。血だらけのでっかい魔物を帝都の中まで運んだら、堅気の人間が驚くからなあ」
「ああ……そりゃそうだ」
なるほど。オレが知らなかったのは、大型の魔物を狩らないからか。中型の魔物を狩っても、オレその場で魔核を採って、運べる分の肉を持っていくだけだ。
もし大型の魔物を狩ったとしても、オレの普段の筋力では運ぶことができない。
オレがこの解体場を使う機会は、この先も少ないだろう。
「お、解体人が来たぜ」
レックスの視線を追えば、返り血を大量に浴びた剃髪の男がこちらに歩いて来ていた。愛想のいい笑顔を浮かべているが、見た目はかなりホラーだ。
「やあやあ、レックスさん。今日も大物だなあ。2頭とも解体で大丈夫かね?」
「ようザンザ。一頭は俺のだが、首がない奴を狩ったのはコイツだぜ」
ザンザと呼ばれた解体人の視線がオレを向く。さすがに倒れたままではいられないので、なんとか立ち上がった。痛みは耐える。
「銅級冒険者のコーサクです。よろしくお願いします」
「ほうほう、珍しい顔だなあ。銅級で翼竜を狩るなんてやるもんだ。ここの説明はいるかな?」
「お願いします」
「あいよ。まず、銅級冒険者なら、ここでの解体費用は無料だよ。全部お任せなら、解体から素材の買取りまで全部ウチでやる。金の受け取りは、査定が終わるまでここで待って現金か、ギルドの金庫に入れるかのどっちか。自分で欲しい素材があるなら事前に言ってくれ」
ざっくりとした説明だが、難しい手続きなどはないようだ。費用がタダなのは助かる。
「ええと……それじゃあ、魔核は魔石に加工して手元に残したいです」
「あいあい。珍しいね」
ザンザさんが取り出した木の板に、ガリガリと文字を刻んでいく。
「それ以外はお任せで。素材を売ったお金はギルドの金庫に振り込んでください」
「了解っと。2日くらいで魔核の加工まで終わるから、ギルドの受付で聞くといいよ」
ザンザさんは、文字を刻んだ板を翼竜の鱗に引っ掛けた。
「はい。よろしくお願いします」
「俺の分はいつも通り全部任せるぜ。それじゃあ頼んだ」
「あいよー。2人ともお疲れさん」
ぐい、とレックスに肩を掴まれる。
「よーしコーサク。約束通り飲みに行くぞ。俺の奢りだ。好きなだけ飲めよ」
「い、今から……?」
オレ、超調子悪いけど!?
「当たり前だろうが。冒険者なら、狩りの後には飲みに行くもんだぜ?」
そんな冒険者ルール知らないけど。
オレのツッコミも気にせず、レックスは意気揚々と歩き始める。オレを引っ張って、今日の狩りの打ち上げに。
2人で風呂屋に寄った後、レックスに最初に連れられたのは冒険者が集まる酒場だった。
酔った冒険者同士の喧嘩を肴に、酒と味の濃い料理を腹に詰め込む。騒がしいのも、まあ嫌いじゃない。
レックスが突っかかって来た冒険者を店の外まで殴り飛ばし、居心地が悪くなったので店を移動。
2軒目。裏通りの地下にあるバーのような酒場。店主が渋い。レバーを使ったパテが非常に美味しかった。酒が進む。作り方が知りたい。
梯子が続く。3軒目。ここから記憶が怪しい。どこかの広場の屋台。悪酔いしそうな酒を片手に、内臓の煮込み料理を食べた気がする。
アルコールが回った体に、モツの味が染みるようだった。ミソ味だったら完璧だったと思った。
4軒目……? なんだか隣に女性が座っていたような気がする。甘い酒の記憶が朧気にある。レックスと一緒に、何だか盛り上がった気がしなくもない。
5軒目~。ぶっちゃけ記憶がない。気が付いたら朝日が昇った帝都の道端にいた。隣にはイビキをかいて熟睡するレックス。目の前には、なぜか呆れた顔のロゼッタの姿。金髪が眩しいです。
「まったく、顔見知りの衛兵から、前後不覚の『赤い男』と『黒い男』が私の名前を出したと聞いて来てみれば」
仁王立ちのロゼッタが、朝日に向かって手刀を掲げる。
「飲み過ぎだお前たち! 酒は、味が分かる範囲で飲め!」
ズン、と酔った頭にチョップが入る。首が曲がるかと思った。あと、注意の仕方がそれで良いのだろうかと疑問が湧いたが、喋るには全然頭が回らなかったので、素直に謝ることにした。
「ごめんなさい」
「うむ。次は私も呼ぶように」
うん? …………まあ、いっか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます