第20話 翼竜の巣 前
冒険者ギルドで依頼を確認していると、後ろから名前を呼ばれた。振り返れば、見覚えのあり過ぎる真っ赤な人影。
「ああ、レックスじゃん。久しぶり」
「おう、久しぶりだなあ。銅に昇級したって聞いたぜ。やったなあオイ」
機嫌良く笑いながら、レックスが肩を叩いてくる。痛え。
「ありがと。誰から聞いたんだよ?」
わざわざレックスにオレの昇級のことを伝えるような人物は……。
「ロゼッタだよ。昨日すれ違ったときに聞いたぜ。はっはあ。こりゃあ、俺からも何か奢ってやらねえとなあ」
まあ、ロゼッタだよな。
ロゼッタからお祝いしてもらったことも伝わっているのか。
「じゃあ依頼が終わったら飯でも奢ってくれよ」
「おう、いいぜえ。いくらでも食わせてやるよ。それで、何の依頼を探してたんだ?」
「オレでも狩れそうで、かつそれなりに強い魔物の討伐依頼。魔道具のために、中級の上くらいの魔核が欲しいんだよね」
魔道具の出力は魔石の大きさで決まるのだ。より強力な魔道具を作るには、より大きな魔石が必要となる。
そして当然ながら、強い魔物の方が大きな魔核を持っている。
「へえ、そうかデカい魔核が欲しいのか」
ニヤリ、とレックスが笑う。なんだか嫌な予感がするぞ?
「よし。それじゃあ行こうぜ」
「……どこに?」
レックスがオレの肩に腕を回し、がっしりと掴んでくる。
「――翼竜の森」
……ちなみに、翼竜はいわゆるワイバーンのような姿をしている――上級の魔物だ。
「うええぇぇえええぇぇぇ~~~~!!」
太い枝が、茂った葉が、草に覆われた地面が、全て一瞬で背後に流れていく。
悲鳴は長く尾を引き、聞く存在がいたら、ドップラー効果を体験できたことだろう。
まあ、悲鳴の主はオレなんだが。……オレはドップラー効果を体験する側にいたかった。
「はあっはっはっは!! もうすぐ着くぜえコーサク!!」
「うわああっ、ちょ、こわっ! うおおおおぉぉぉぉ!?」
レックスがオレを肩に載せたまま、数メートルはある崖を跳び越える。浮き上がる内臓。回る三半規管。背中には鳥肌が止まらない。
ギネス記録のジェットコースターだってもっと安心できる。あっちは決まったコースを進むのだ。
――岩がぶつかるような軌道で、数十センチメートル先を通過する。やべえ。死ぬかも。
気を失うことができれば楽かもしれないが、最近鍛えられている本能は、生きるために情報を収集しろと目を見開くことを要求してくる。
結果、オレは身動き一つ取れないまま全ての光景を目に収め、ただただ喉を鳴らすしかない。
……どこでもいいから、早く到着してくれ。
死にそうな程に刺激的な荷物体験が終わり、オレは地面に降ろされた。
「うおおっ、世界が、回る……!」
グラグラと揺れる頭を手で押さえながら、何とか立ち上がる。吐かなかったことを褒めて欲しい。
「で、ここはどこ……」
顔を上げる。視界に広がったのは、ビル程もある巨木が立ち並ぶ異様な森だった。木々の先端はほぼ真上を見上げなければ見えず、巨大な根は壁のように行く先を塞いでいる。
まるで、自分が小人になったようだ。
「ようこそ。帝都から一番近い魔境へ、ってな。はははっ、思った通りコーサクは平気そうだな」
「平気じゃないって。ここまで来るのに、どれだけ内臓がかき回されたか……」
「いいや、俺が言ってるのは、“この場所”にいても平気そうだって話だぜ」
レックスが、ばっと両手を広げて周囲を示す。
「この場所? 周りが大き過ぎて、確かに感覚がおかしくなりそうだけど」
それ意外には、別になんともない。レックスに運ばれた影響も段々と収まってきたところだ。
「くははっ。普通なら、この濃い魔力で調子を崩すもんだが――やっぱりコーサクは変わってんな」
「魔力が濃い?」
レックスに言われて魔力を探る。……確かに、魔力が濃い。普段暮らしている場所とは比べ物にならないほどだ。
……ていうか濃すぎて、たぶんこれ、オレも魔力察知できなくね? レーダーとして役立たず?
「やべえ、魔物に気付けないとか怖すぎる。……というか、え? ここ魔境って言った?」
魔境。知識だけはある。異常な魔力により、巨大化した魔物が闊歩する魔の領域。出会うのは最低でも上級の魔物だとか……。
「おう。さっきも言ったが、ここが魔境だ。帝都から一番近くにある翼竜の巣だな」
人類を拒む魔の領域において、レックスは自然体で笑みを浮かべる。ただその笑みは、獲物を狩る肉食獣のものだった。
「デカい魔核が欲しいんだろ? 翼竜狩ろうぜ」
…………。
「……馬鹿なの?」
翼竜は上級。そしてオレは銅級になったばかりの冒険者。討伐できても中級の魔物までだ。
そんなオレに翼竜を狩れと言うのは、「ちょっと死んでこい」という意味と同じだ。
オレはまだ死にたくない。
「くはは、俺はいつでも本気で絶好調だぜ。コーサクよう。なあに、死ぬ気でやれば意外といけるもんだ」
「死ぬ気でやった結果、本当に死んだら笑えないって」
「安心しな。死ぬ前には助けてやるよ」
……やべえな。これ、レックス本気だぞ。それにこれ、たぶん完全な厚意だ。
魔核が欲しいと言ったオレに対し、レックスは本気で、良かれと思って行動してる。……スケールが違い過ぎるだろトップ冒険者。
どうにかレックスを説得しようと思ったそのとき、周囲に影が差した。
「お、来たみたいだぜ」
「なにが……っ」
反射的に顔を上げれば、そこには太い枝の周囲を悠々と旋回する巨体。
前腕と一体化した翼で空を舞い、強靭な顎と太い後ろ脚で獲物を仕留める竜。全長15メートルを越える正真正銘の怪物だ。
それが、明らかにオレたちを狙っている。こちらを睥睨する害意に満ちた瞳に、背筋がゾワリと粟立った。
「なんでもう来てんの!?」
「ここに来るまでにコーサクが騒いだからなあ。自分の縄張りがギャーギャー喧しかったら、そりゃあ魔物は出てくるだろ」
「そりゃそうだ!」
ちくしょう! オレのせい!
「それじゃあ、まずは見本でも見せてやるか。気を付けるのは首と尾だ。魔術は使わねえから、ちゃんと見とけよ」
唇の端で笑いながら、レックスが雰囲気を変えていく。笑みはより獰猛に。魔力は燃えるように猛々しく。
身体強化の余波だけで周囲の魔力を吹き飛ばしながら、レックスが跳躍した。
「くは、ははははは!! よう羽根付きトカゲ! 俺とヤろうぜ!!」
巨木の幹を蹴りながら、レックスが非常識な軌道で空へと駆けていく。
「スーパーボールかよ……」
オレが呟く間に、レックスの赤い姿は遥か頭上にある巨木の枝にまで届いた。
自らの領域を侵す乱入者に、翼竜は咆哮と噛み付きで応える。
「ガアアァァッ!!」
「ははははは!!」
獲物に噛み付こうと開かれた顎を、レックスは横から蹴り飛ばした。翼竜の牙が数本砕かれて宙に舞い、レックスは蹴りの反動で飛ばされ、巨木の枝へと着地する。
「ゴアアッ!!」
翼竜がレックス目掛けて突進する。空を舞う動きに翳りはない。むしろ怒りによって勢いは増している。
いかにレックスの膂力が強大だと言っても、空中では人の打撃は軽すぎるのだ。普段魔術を使用して戦うレックスは武器を持たず、翼竜に致命傷を与えることができない。
「くはは!! 肉弾戦は生きてるって感じがするよなあ!!」
だが、レックスには関係がないようだ。歯を剥き出しにして笑いながら、自らも翼竜に向かって突撃する。
翼竜の巨体と赤い影が激突する。ゴッ、と空気が震えた。そして重量差で弾き飛ばされるはずのレックスは――消えた。
「どこに……?」
視線の先では翼竜も首を巡らせている。翼竜もレックスを見失ったのだ。
だが翼竜が旋回したとき、オレは赤色を発見した。翼竜の背中だ。
翼竜の象徴とも言える翼の根本。レックスはそこに立ち、羽ばたく翼に手を伸ばした。
根本付近を足で押さえ、両腕で翼を締め付ける。
遅れて翼竜も背中にいるレックスに気が付く。だけど手遅れだった。
「くはははは!!」
ゴギンッ!!!
巨木の森に
片翼を折られた翼竜は落下を始める。
何とか姿勢を制御する翼竜を、その度にレックスが殴って邪魔をする。
回転しながら落ちる翼竜。螺旋のように赤い色が流れ――そして、翼竜は何も出来ずに頭から地面に墜落した。
地面が揺れ、再び太い骨の破砕音が森に響く。だが今度は、悲鳴は聞こえなかった。
力なく倒れ伏した翼竜から、赤い影が立ち上がる。
「くはは。いい戦いだったぜ」
怪我一つした様子もなく、レックスはオレの前へと跳んでくる。
「こんなもんだぜ、コーサク。片方だけでも翼を折れば簡単なもんだ。上手くやれよ」
「真似できるかっ!」
思わずツッコミ。いやマジで。翼を折る前に死ぬわ。
「それじゃあ、自分に合った戦い方をするんだな。ほらよ、仲間の悲鳴を聞いて次が来たぜ」
レックスが空を見上げる。
怒りの咆哮が響き、再びオレたちの周りに影が差した。
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