第17話 祝いの酒
ディーンとリィーンの家を出て数日が経過した。オレは今、宿屋に滞在している。帝都の中では中の下くらいに位置する、無口な老店主が経営する宿屋だ。
部屋は狭いが、日当たりがいいので結構気に入っている。
欠点は冒険者ギルドから少し遠いことだが……そこはあまり気にならない。オレの冒険者としての活動は特殊だから、朝一で依頼を取り合うような生活とは無縁なのだ。
オレの主な金策は、珍しい小型の魔物の捕獲。あとはそのついでに薬草などの採取をして、魔物の討伐は魔石の入手のために行う程度だ。
他の冒険者とはあまり被らない。
人には干渉しないし、人から干渉されることもない。悠々自適。気楽なソロ活動だ。
ストレスがなくていい。なくていいのだが……、
「一人なのは、やっぱりちょっと寂しいよな……」
ついこの間まで騒がしかったせいか、余計にそう感じる。
兄弟の家より綺麗で家具が多くて――その代わりに静かな宿屋の部屋で一人溜息を吐き、オレはいつもように冒険者ギルドへと向かった。
朝のピークを過ぎて落ち着いた冒険者ギルド内。捕獲系の依頼に目を通していたところで、見知った顔がギルドに入って来る姿を発見した。
オレほどではないが目立つ容姿の人物だ。向こうもオレに気付いて寄ってくる。揺れる赤みのある金髪は、朝日を浴びて輝いているようだ。
「久しぶりだな、コーサク。元気そうで何よりだ」
「ええ、――ロゼッタさん、お久しぶりです。ロゼッタさんも元気そうですね」
青空のような綺麗な目に、華奢な体。それに似合わぬ使い込まれた鎧姿。
帝都に来た初日以来に会うロゼッタさんは、以前と変わらず凛々しい微笑みを浮かべている。
「ロゼッタさんとギルドで会うのは、護衛依頼のとき以来ですか。同じ帝都で冒険者をしているのに、中々会わないものですね」
「ああいや、会う機会がなかったのは、私があの後すぐに別の護衛依頼で他の町へ移動したからだろう。その町でもいくつか仕事を請け、帝都に戻って来たのは昨日なのだ」
「そうだったんですか……体力ありますね。今日もこれから依頼を探すんですか?」
さすがに働き過ぎな気がするけど……それはオレの感覚か? 魔力のおかげで体力は問題ないとしても、精神的な疲労は溜まると思うんだけど。
「いや、今日は依頼を探しに来たのではなく、並んでいる依頼をただ見に来たのだ」
「ただ見に……?」
どういうことだろうか。並んでいる依頼から、魔物の動きでも考察するとか?
「うむ。実は、ここのところ働き詰めだった分、今日は休日にしようと思ったのだが……落ち着いて考えると特にやることもなくてな。暇だったから依頼を眺めに来たのだ」
お、おお……。
「そ、そうなんですか……」
え~と、ちょっと待てよ。確かロゼッタさんは21歳って言ってたはず。若いし美人だ。それなのに休日にやることがないとは……?
だ、大丈夫なんだろうか。それはいわゆる
「コーサクはあれからどうしていたのだ? ちゃんと生活できているか?」
ロゼッタさんが少し心配そうな顔でこちらを見る。オレとしては、ロゼッタさんの私生活の方が心配です。
「ええと、生活はちゃんと出来ていますよ。おかげさまで最近は稼ぎも増えました。それとついこの間、ようやく銅級にも昇級できました」
「おおっ! それは目出度いな。そうか。コーサクも頑張っていたのだな。うむ。おめでとう」
「どうも。ありがとうございます」
我が事のようにロゼッタさんが喜んでくれる。嬉しいが、周囲の視線が少し恥ずかしい。
「ふむ。先達として祝いの席でも用意したいが……コーサクは今から依頼か……」
ロゼッタさんが悩むように腕を組む。オレの昇級を祝ってくれるらしい。
自然と胸が熱くなる。裏のない好意が、なんだかとても嬉しかった。特に今は。
だから少しだけ嘘をついた。
「ロゼッタさん。今日はいい依頼がないみたいなので、オレはいつでも大丈夫ですよ」
「ふむ? 他の用事もないのか?」
「ええ、急ぎの用事はないです」
やりたいことは山積みだし、心の半分くらいは生き急げと言っている。が、少しの休憩くらいはいいだろう。ちょっと心の燃料補給だ。
「そうか。では、これから向かうとしよう。ふふ、たまには陽が高いうちから酒を飲むというのも良いものだ」
ロゼッタさんは楽しそうに笑う。ロゼッタさんは外見に似合わず、かなりの酒好きなのだ。
「ふむ、店は……あそこで良いか。うむ。では行くぞ、コーサク! 今日は全て私の奢りだ!」
「どうも。ご馳走になります」
テンションの高いロゼッタさんの後を追い、隣へと並ぶ。機嫌の良い横顔は、酒を飲む口実ができたおかげだろうか。
「ああ、そうだコーサク」
ロゼッタさんが機嫌の良い顔のままこちらを向いた。
「はい。なんですか?」
「コーサクも銅級に上がり、冒険者としては一人前と見なされるようになったのだ。私に対しても普通に話して良いぞ?」
「な、るほど……?」
ロゼッタさん相手に普通に話す……想像すると違和感がすごいな。ロゼッタさんには駆け出しの頃に助けてもらった恩があるから、ここのままの話し方で行きたい気もするけど……。
けど……だけど、言われた通り、オレは冒険者としては一人前のランクになったのだ。初心者気分から抜けるためにも、ここは素直にロゼッタさんの言葉に甘えさせてもらうべきかもしれない。
「ええと、それじゃあ……。あ、あらためてよろしく――ロゼッタ」
「ふふふ。うむ。よろしく頼む、コーサク」
満足そうに笑うロゼッタは、いつもより年相応に見えた。
ロゼッタさん――ではなくロゼッタに案内されたのは、綺麗な白い壁と色ガラスが特徴的なお店だった。
オレがたまに利用する飲食店は、“食堂”か“酒場”という感じだが、ここは“レストラン”という雰囲気だ。
ついでに“おしゃれな”という言葉が先に付きそうな。
……オレの服装で入って良いのかと非常に不安になったが、ロゼッタは気にした様子もなく入店し、慣れた様子で店員と話すと、すぐに個室へと案内された。
個室は中央にテーブルが配置された八畳ほどの部屋だった。窓からは明るい陽光が射し、室内ではあるがとても明るい雰囲気だ。
部屋の隅に活けてある花に、なんだか別世界に来たような気分になった。
精神的な余裕に溢れているというか、文化的というか……久しく感じたことのない雰囲気だ。新鮮。
「コーサク。酒は私と同じもので良いか?」
「え、うん。なんでもいいよ」
普段は腹が膨れることを優先しているだけで、オレは酒が飲めない訳でも嫌いな訳でもない。
酒を買う金があるなら、料理を一品増やしているだけだ。
それにしても、綺麗な女性と個室でお酒を飲む、とは、よく考えると緊張するような状況な気がするけど……甘い気配は微塵もないな。――ロゼッタは鎧姿だし。
お酒と料理を注文し終えたロゼッタに、つい聞いてしまう。
「ロゼッタ。その恰好動き辛くない?」
「ん? ああ、この鎧か。慣れているから、動き辛いというようなことはないな。ああもちろん、これから食事なのだから、一部は外すぞ?」
「そうなんだ。それならいいや」
……いや、いいのか? 一部は外すって、大部分は残すってことじゃない?
「ふふふ、全て外すと再び着るのが大変なのだ。それに、この鎧は特殊な塗装がされているから、多少の汚れなら軽く拭くだけで取れるのだぞ?」
ロゼッタは得意げな顔をして、手首や肩の周辺をカチャカチャと弄っていく。
……軽く拭くだけで汚れが取れるとか、深夜の通販番組みたいなことを言われて、オレはどう反応すればいいのだろうか。すごいねって言う?
「すごい、便利だね」
「ふふふ、そうだろう」
嬉しそうだ。
ロゼッタは強いし綺麗だし、基本的には凛として恰好いいのだが、たまに感じる残念オーラはなんなのだろうか。
オレが微妙な心境になっている間に、ロゼッタは肩から手までの鎧を外し終えた。壁際にある荷物置きと思われる机に、鎧の一部が置かれる。
置いたときには、ゴッ、と鈍い音が鳴った。重そうだ。腕の部分だけで何キロあるのだろうか。
身体強化を日常的に使用できないオレには、とても装備できそうにない。
「うむ。これで良い」
再び席に戻ってきたロゼッタは、ただ荷物を片付けただけのように頷いた。疲労の色は全くない。
筋力、体力ともにオレとは比べ物にならない強さだ。
「ロゼッタ。鎧って暑くないの?」
「む? もちろん鎧を着て動けば熱は溜まるが、私は風の魔術で定期的に換気をしているから、特に気になる程ではないぞ」
「そんなことしてたんだ……」
肉体を常時強化しながら、換気のための魔術も使うとか、戦う前に疲れてしまいそうだ。並みの冒険者では無理だろう。
それを可能にしているのはロゼッタの魔力量だと思われる。
オレが見た中で一番強大な魔力を持っているのはレックスだが、ロゼッタも上位に入る。帝都の冒険者の中でも、ロゼッタに並ぶ魔力の持ち主はほとんどいない。
魔力量や魔術の適性は血筋によるものが大きい、という説明を、大図書の本で読んだ記憶がある。
もしかしたらロゼッタは良い所の出身なのかもしれないな。と、考えたところで、お酒と料理がやって来た。
「ふふふ、来たな」
並んで行く料理の皿やお酒のボトルを見て、ロゼッタは嬉しそうに目を細めている。
ていうか、料理の数が多い気がする……けど、そういえば、ロゼッタは結構な大食いだった。まあ、大丈夫か。
特にコース料理と言う訳でもないらしく、サラダからスープまで一通りの料理がテーブルに並んだ。2人で使うにはしては広いテーブルがいっぱいだ。
最後に、久しぶりに見たガラス製のコップに、紅色の液体が注がれる。ワイン、かな?
店員が一礼し、部屋を退出したところで、ロゼッタがコップを手に持った。優しい微笑みが向けられる。なんだか照れくさい。
「では、コーサクの銅級冒険者への昇級に。おめでとう」
「どうも。ありがとう」
お互いのコップを軽く合わせる。小さく澄んだ音が鳴った。
「ふふ」
くいっ、と、ロゼッタがコップを傾ける。同じようにオレもワインを飲んだ。酸味とその奥にある苦みに、舌が驚いたようにピクリと動いたのが分かる。
美味しい、のだろう。たぶん。ロゼッタが満足そうな顔をしているし。
「ふむ? コーサクは葡萄酒が苦手だったか?」
「苦手、って訳じゃないと思う。たぶん、飲む機会が少なくて良く分からないだけ?」
オレの言葉を聞いたロゼッタは難しい顔になり、それから何かを決意したように表情を変えた。
「それは駄目だな。駄目だろう。酒の味わい方を知らずに楽しむことは難しい。――うむ。そうだな。今日は私がコーサクに、葡萄酒の飲み方を教えるとしよう。ふふふ、遠慮はいらないぞ」
ロゼッタがとても楽しそうに笑う。
お酒も食事も美味しい方が良いに決まっている。断る理由は、もちろんなかった。
「ぜひ、よろしくお願いします」
「うむ。では――」
弾んだ口調で流れるロゼッタの説明を聞きながら、ワインを口に含んでいく。
久しぶりの飲み会は、実に楽しい始まり方だった。
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