第9話 仮の宿
走り過ぎた。吐きそう。
「げほっ、うえっ、はあ、はあ」
ボロボロの民家の壁に手をついて、なんとか息を整える。
顔を上げれば、一国の首都とは思えないほど荒廃した景色。並ぶ家は廃墟か見間違うほどの外見だ。人通りはゼロで、道はボコボコの土。
「ふう~、はあ~……スラム街ってやつか」
初めて見た。
というか、姿が見えないだけで人は結構いる。ついでに敵意、とまでは行かないが、あまり歓迎されていない視線もかなり感じる。
ここで突っ立てるのは不味そうだ。
「動くか。オレの財布はっと」
魔力の感覚に集中する。スリ少年の魔力はすぐ近くだ。それも止まっている。
この崩れそうな家の一つが少年の住処らしい。
さて、財布を返してもらおう。
少年の魔力を辿って着いたのは一軒の家……というか小屋だった。素人が廃材を拾って作ったような外見だ。思い切り蹴ったら倒れそうだ。
小屋の中にある魔力は2つ。少年と合わせて、たぶん子供が2人だ。
スリで金を稼いで、スラム街に住んでいて、家がボロボロの小屋。どう考えても少年がまともな環境にいるとは思えない。
困った。
「……とりあえず入るか。お邪魔しまーす」
扉と呼んでいいのか分からない板をどかし、小屋の中に入る。
中にいたのはスリの少年と、顔つきから弟と思われる男の子だった。2人とも驚いた顔でオレを見ている。
「お、お前! さっきの黒い奴!」
やっぱり黒は目立つらしい。
「そういうお前はオレの財布を盗った犯人だ。財布、返せよ」
脅かすつもりで声を低くしてみたが、スリの少年は素早く立ち上がって威嚇するようにオレを睨んだ。効果なかったな。
「盗んだ金ならもうねえよ! 全部使った!」
「……は?」
思わず素の声が出た。
「え? いや、ちょっと待てよ。あの財布けっこう金入ってただろ? こんな短い時間で使い切れないだろ」
少年は何故か勝ち誇ったように胸を張る。
「仲間と分けて食いもん買ったらなくなった! 残念だったな!」
……嘘の気配はしない。本当にこの短時間でオレの金はなくなったらしい。言われるまでもなく残念だ。
そして食い物とは、と見てみると、確かに兄弟の間には大きな葉に乗った黒いパンがいくつかあった。
どうやら、金の回収は諦めるしかなさそうだ……。
「なるほどな……」
呟きながら、少年の方へ一歩踏み出す。
「な、なんだよ。やんのか? 俺たちに手を出したら、仲間が黙ってねえからな!」
接近するオレに少年が叫ぶ。残念ながらあまり迫力はない。仲間がどれくらいいるのかは分からないが、この瞬間に飛んで来てくれるものでもないだろう。完全に虚勢だ。
少年から弟の方へと視線を移す。幼い顔には警戒が強く浮かんでいた。入り口に向けられた視線から、戦闘ではなく逃走を考えていることが分かる。
魔力の尽きた兄と、戦う気のない弟。争いになればオレでも勝てる。
まあ、戦うつもりなんてないけど。
「パン一つ寄越せよ」
「はあ!?」
訳が分からない、という顔をする少年の横を抜ける。
「元はオレの金だろ?」
行動に悩む弟の前でパンを一つ手に取った。どうやって作ったのかは知らないが、黒くて硬いパンだ。手のひらサイズだがずっしりと重い。腹持ちはいいだろう。
黒いパンを持ったまま、壁際まで歩いて腰を下ろす。ついでに荷物も下ろした。
「はあ。疲れた」
「いやお前! なに座ってんだよ! 金ねえんだから帰れよ!」
ギャンギャンと少年が吠えてくる。機嫌が悪いらしい。まあ、腹が減って栄養が足りないときは気が短くなるものだ。
「金はもういいよ。どうせこれ以上拘っても無駄だろうし。あと、オレに帰る場所はない。だから少し休憩させてくれ」
「はあ!?」
騒がしい少年から視線を外して、カバンから串焼きの包みを取り出す。宿探しで結局食べる暇がなかったのだ。
「……冷めたな」
串焼きを包む葉は、手に冷たい感触を伝えてくる。
仕方ない。このまま食べるか。冷めたとしても干し肉以外の肉だ。あれよりはマシだろう。
主食のパンもあるし、悪くない食事だ。
いそいそと串焼きの包みを開けると、2つの視線が集中するのを感じた。
顔を上げれば、冷めた串焼きを凝視する顔が2つ。
「…………1本ずつ食う?」
オレの言葉を受けた少年は、非常に難しい顔をした。文句が出そうな表情でオレの顔を見て、それから物欲しそうな表情で串焼きを見る。ぐ、と少年の喉がなった。
「………………食う」
食欲に負けたらしい。少年の後ろで、弟の方が表情を明るくしたのが見えた。
「はいよ。1本ずつな」
少年が警戒するようにじりじりと近づいて来て、串焼きを取ると素早く後退した。兄弟揃って肉を前に目を輝かせている。
「ディ兄、お肉だよ」
「そうだな、リィ。肉だ」
2人の様子を眺めながら、オレも串焼きを手に取る。
「いただきます」
火傷の心配がないので大きくかぶり付く。冷めてはいるが、石みたいな干し肉とは比べ物にならないくらいに柔らかい。
久しぶりの肉の味と脂が体に染みる。
「あ~、ウマ」
オレの呟きに兄弟が反応した。オレを見て、それから自分達の手元の肉を見る。ごくりと喉が鳴ったのが、オレの位置からでも見えた。
2人が同時に串焼きを口に運ぶ。
一口食べて、2人の目が見開かれる。
「ウメー!!」
「んー!!」
色々と言いたいことはあるが……まあ、美味そうに食ってくれるならいいか。
串焼きは美味かったが、パンは不味かった。硬いしなんか酸っぱいし、殻? が歯に引っ掛かるし、顎が疲れるくらい硬い。
いやまあ、それでも食うけど。
この世界に来てから、“好き嫌い”なんて言葉はオレの辞書から消えた。たぶんルヴィの村辺りに落ちていると思う。
人は食わないと死ぬのだ。今のオレなら毒以外ならいける。でも虫は勘弁だ。意外と味は悪くなかった気がするけど――
「それで兄ちゃん何者だよ」
記憶を思い出していたオレに話しかけて来たのは、スリの少年あらためディーンだ。弟の方はリィーンと言うらしい。発音がちょっと難しい。
串焼きをあげたおかげか、“お前”から“兄ちゃん”にランクアップした。
パンを齧りながら答える。
「冒険者だよ。一番下だけどね」
首に掛けた紐を手繰り、模様が描かれた木片を見せる。最下級の木級冒険者がオレの肩書きだ。
「木級ってザコじゃん。それでどうやって俺に追い付いたんだよ。絶対に逃げ切ったと思ったのに」
「それはオレの特技だよ。追跡は得意なんだ」
というか雑魚は心にくる。言い返せないから特に。
木級冒険者なんて世間一般にはゴロツキと同義だ。ひとつ上がって銅級にならないと、まともに冒険者とは扱われない。
オレも早く等級を上げたいが、残念ながらオレの身体能力では活動範囲が限られる。この世界の人間のように、身体強化を使った高速移動はできないのだ。
だからこそ魔道具という存在に望みをかけて帝都まで来た訳だが……その前に泊まる場所だな。
「そういえば今更だけどここってどこ?」
「どこって、貧民街じゃん。知らないで来たのかよ。あぶねえよ兄ちゃん」
ディーンが呆れた顔で言うが、それはここまで逃げてきたお前のせいだ。
「スリなんかする方が危ないと思うけどな。で、この貧民街って、余所者が出入りしても大丈夫なもん?」
「大丈夫……だとは思う。お互いに関わらないのがここの決まりだし」
「なるほどなあ」
不干渉がルールか。それは悪くないかもそれない。
「……兄ちゃん何考えてんの?」
ディーンが不審そうな顔を向けて来る。
「ん~。ところで2人の親は?」
「……とっくに死んだ。俺たちは2人だけだ」
「そうか」
珍しい話ではない。この世界の人間は強いが、危険もまた多い。というか、まともな親がいればスリなんてしないだろう。
生活苦からスリを行う子供がいるとして、悪いのはその子供か。それとも社会か。
少なくともオレは空腹に悩む子供を敵とは思えない。腹が減るのは辛いのだ。
「よしディーン。取引をしよう」
「な、なんだよ」
警戒するようにディーンが腰を浮かす。
「オレをしばらくここで寝泊まりさせて欲しい」
「はあ!?」
驚くディーンに構わず、そのまま言葉を続ける。
「宿泊代として、そうだな……さっきの串焼きを一日4本ずつ渡そう」
「……兄ちゃんいいとこの出だろ。普通に宿屋に泊まれよ」
「宿屋はさっき見た目で断られたところだ。あと、あまり金はない」
ディーンが黙り込む。眉を寄せ、必死に考えているようだ。
「……俺たちなら、寝てる間に兄ちゃんを襲って金を全部奪える。その方が早い」
「よく考えろよ。今のオレから全財産を奪ったところで、少しの間小金が手に入るだけだ。だけどオレを泊めておけば、オレが働いている限り串焼きが手に入る。というか、金を持ったところで、お前らは買い物ができるのか?」
屋台の店主にすらスリの犯人として知られているのに。
「ぐう」
買い物が難しいのが図星だったのか、ディーンが不機嫌そうに唸る。
「ディ兄」
乏しい表情で、弟のリィーンが兄を呼んだ。その声にディーンが肩の力を抜く。
「分かった。兄ちゃんをここに泊めてやる。約束破ったら承知しねえからな!」
「はいよ。取引成立な」
これで宿泊場所は確保だ。野宿とどちらがマシかという選択だろうが……まあ、魔物に襲われるか、人に襲われるかの違いだけだ。
障害物が多い分、たぶんこっちの方が逃げやすい。
「……こんなボロ屋に泊まりたいなんて、兄ちゃんは変な奴だな」
「ボロくても、屋根があって壁があるなら贅沢なもんだよ」
魔物に怯えながら夜の森で過ごすよりは快適だ。
「という訳で、2人ともしばらくよろしく」
「肉くれならかったら追い出すからな!」
「よろしく」
警戒心丸出しでオレを見るディーンと、冷静にオレを観察するリィーンを眺める。
帝都での暮らしは初認から想定外のことばかりだが、まあ無事に生きてるならなんとかなるだろう。
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