第7話 帝都到着

 山を越え、川を越え、10日ほどで帝都の近くまで来た。明日の昼には着きそうだ、とは依頼人のザックさんの言葉だ。


 山で狼に襲われた後にも何度か魔物には遭遇したが、ほとんど問題にはならなかった。レックスとロゼッタさんのおかげだ。戦いになれば、そこらの魔物など2人の前では歯が立たない。

 おかげで、オレとしてはかなり楽な旅だった。


 オレも魔物の早期発見に貢献はしたとは思うが、例えオレがいなくともこの依頼は無事に遂行できたことだろう。レックスだって、その気配を察知する能力はかなりのものだ。オレは情けで同行させてもらったようなもの。


 旅を振り返ってそう思う。相変わらず、2人への醜い嫉妬は胸の内からは消えはしない。


 それでも、この不快感も悪くはないと思う。これを抱えていれば、強くなるという決意が鈍ることもないだろう。帝都に着いたら前に進むだけだ。


 そう考えて目線を上げる。


 馬車の幌に囲まれた空は白い。今日の天候は曇り。太陽は薄い雲越しに存在を主張していた。


 その様子を見ながら首を回す。筋が伸びるような感覚が心地いい。しばらく同じ姿勢でいたせいで、筋肉も緊張していたようだ。


「うおぅ……。首以外も固まってるな……」


 馬車の荷台の上で軽く柔軟をする。小さく唸りながら背中を伸ばしていると、横からゴソゴソと音がした。

 荷物の隙間から、レックスが寝ぼけまなこで起き上がる。


「ふわあぁ……何やってんだ?」


 大きな欠伸をしながら、レックスは眠そうに首元を掻く。


 今回の依頼で最も活躍したレックスだが、今日からは馬車に乗って昼寝を始めた。ここまで帝都に近付けば、基本的に魔物の心配は不要らしい。

 兵士による巡回が行われているから大丈夫だ、とザックさんも言っていた。実際、巡回している兵や見張り台なんかもちらほらと見かけたので、ある程度は安全なのだろう。

 それにここら辺は見晴らしもいいし、異常があれば簡単に気が付くことができる。


「起こして悪いね。ちょっと体をほぐしてた」


「ああ? そりゃあ、馬車の上で本なんて開いてれば体も固まるだろうよ」


 レックスがオレの膝の上を見る。そこには、出発前にヤン爺からもらった本が開いてあった。『龍殺しの剣士の伝説』という題名の本だ。


「というか、よく酔わなかったな。俺の頭は揺れてるぞ」


 寝ている間に三半規管を揺らされたのか、レックスは自分の頭を拳で軽く叩いた。


「乗り物酔いには強くてね。このくらいなら問題ないよ」


「ははっ、羨ましい体質だ。駆け出しの船乗りには嫉妬されそうだな。で、ずっと何を読んでたんだ?」


 聞いてくるレックスに、本を持ち上げて見せる。レックスの赤い目が本の題名をなぞった。「へえ」と、レックスの唇が楽しそうに歪む。


「どこまで読んだ?」


「西の国を救った剣士様が、お姫様からの求婚を断るところまで」


 本の内容は、強さに憧れる少年が英雄になるまでの物語だ。王道の英雄譚と呼ぶべきか。かなり古い話のようで少し読みづらいが、それも文章を読む練習にはちょうどいい。


「レックスも知ってる話?」


 オレの質問に、レックスは少し驚いたように眉を上げた。


「この国の人間なら誰でも知ってる話だ……が、そういえばコーサクはここら辺の出じゃなかったな」


「うん。だから読むのは初めてだ。けっこう面白いね。これが全部本当だったらすごいよ」


 この本は純粋に読み物としても面白い。だけど気になるのは、この話が創作ではなく実際にあったことだと書いてあることだ。主人公が剣の一振りで山を割った、とか書いてあるから、さすがに話を盛っているとは思うけど。


 冗談めかしたオレの言葉に、レックスは軽く喉を鳴らして笑う。


「全部が本当かは知らないが、その剣士サマがいたって証拠はいくつかあるぜ」


「本当に……?」


 真っ二つに割れた山とかどこかにあるんだろうか。


 そんな想像をしたオレの前で、レックスが軽く指を振った。指の軌跡に白く細い線が走る。レックスの使う魔術だ。あの線に触れてしまえば、魔物の硬い骨でも抵抗のないように切れる。


 “斬”属性という珍しい属性。その属性に最上級とも言える適性を持ち、かつ人並外れた魔力を誇る故に、レックスは『斬鬼』と呼ばれて恐れられている。


 遊ぶように宙に斬線を刻みながらレックスが言う。


「剣士サマがいたのは二百年だが三百年だか前だが、その前には俺の魔術は影も形もなかった」


「……そうなの?」


「ああ。龍退治のところは読み終わったんだろ? あそこで“斬の精霊”が生まれたことで、俺は今この魔術を使えてる」


 確かに、龍との戦いの中で新しく精霊が生まれた場面はあった。レックスが言っているのはそのことだろう。


 この世界の魔術というのは、精霊に対価となる魔力を渡してお願いを聞いてもらうことだ。魔術の適性というのは精霊との相性のこと。精霊がいなければ魔術は使えない。


「あれ本当だったんだ……というか、精霊って新しく生まれるんだ」


 なんとなく、精霊の種類は決まっているものだと思ってた。


「新たな理を意思の光が照らすとき、新たな精霊は生を受ける、って村の婆様が言ってたな。まあ、何にだって始まりはあるってヤツだ」


「なるほどなあ……」


 感心するオレをニヤリと笑いながら見て、レックスが話を締めくくる。


「まあ、精霊の誕生なんてのは千年に一度あるかないかって話だ。生きてる間に見えたら幸運だな」


「……そりゃ無理そうだ」


 オレは魔術の適性が一切ないらしいので、新しい精霊と縁が結べたら魔術も使えるようにならないかなあとも思ったが、まあ、そもそも魔力がないから魔術を使うのは無理だ。


 やっぱり、何とか自分用の魔道具を開発するしかないな。


「近道っていうのはないもんだねえ……」


「くははっ、近道なんてのは、通れないくらいに危険で険しいから使われねえんだよ」


 ……いいこと言うね、レックス。





 翌日。拍子抜けするくらいに平穏に、オレ達は帝都へと到着した。


 帝国の中心。皇帝のいる都。ぐるりと巨大な石の壁に囲まれた帝都の中は、まさに都会だ。


 見上げるほどに高い門を潜った先には、うるさいくらいの雑踏があった。こんなにたくさんの人を見るのはいつ以来だろうか。


「はあー……すげえ……」


 こっちの人は髪の色も様々なので、見える景色はカラフルだ。目が疲れそうな光景の中で、落ち着く色の建物たちと行き交う馬車は目に優しい、と思ったら、馬以外が牽いている馬車もあった。なんだあれ。ダチョウ?


 大通りの両側に並ぶ店の先にも、良く分からない商品がたくさんある。見たことのないものばかりだ。思わず口が開いてしまった。


「ははは、いい顔してるな」


「うむ。こうも驚いてくれると、なにやら自慢したくなるな」


 お上りさんのように馬車の隣を歩いていると、レックスとロゼッタさんがオレを見て笑っていた。実際かなり驚いているので言い返す気にもならない。


 2人の言葉に、ザックさんも乗って来る。


「では、代表して私が言おうか。ようこそ帝都へ。ここは龍をも従える帝王のおわす場所。歴戦の城壁に守られた世界の中心。運と力があれば、この都で手に入らないものはないだろう」


 楽しそうに笑うザックさん越しに見る光景は、大仰な言葉も誇張ではなさそうに思えるものだった。





 ザックさんを所属する商会まで送り届け、冒険者ギルドでの諸々の手続きも終えた。これで初めての護衛依頼は完了。オレ達も解散だ。


 ギルドの前の道端で2人と別れの挨拶をする。


「俺は氷龍山脈の近くまで狩りに行ってくる。じゃあなロゼッタ、コーサク。うっかり死ぬなよ」


 一番死にそうな場所に行くレックスが、いつのも自信が浮かぶ笑みでそう言った。人どころか並みの魔物すら寄り付かない魔境も、レックスにとっては散歩道扱いだ。


 それでも、一応言っておくべきだろう。


「レックスも気を付けて。また会えるのを楽しみしてる」


「北の地は魔物よりも環境こそが一番の敵だと聞く。十分に気を付けるといい。また会おう」


 オレとロゼッタさんの挨拶に、レックスはひらりと手を振って去って行く。進む足どりには迷いがなかった。


 その赤い後ろ姿が見えなくなった頃、ロゼッタさんがオレへと向き返った。


「では、私もこれでお別れだ。コーサク。帝都とは言え、治安の悪い場所もある。怪しい場所には近づかず、夜道には気を付けることを勧める」


 ロゼッタさんの視線は、庇護の対象へと向けるものだ。そのか弱い女性か子供のような扱いに、少しだけ心がざわめいた。


 それでもロゼッタさんは完全な善意なので、ささくれた感情は飲み込むしかない。


「分かりました。助言ありがとうございます。ロゼッタさんもお元気で」


「ああ。お互い健康な状態で会えることを祈っている。りにも気を付けるのだぞ。ではまた」


 軽い微笑みを残し、ロゼッタさんも人混みの中へと消えて行った。これで、見知らぬ土地に一人きり、だ。


「……さて、と。宿屋を探すか……」


 冒険者ギルドで聞いた道順を思い出しながら、オレは人混みの中へと踏み出した。



 オレは冒険者の中でも下から数えた方がいいくらいに弱い。いや、もしかしたら一番下かもしれないが、少しくらいは希望を持っていたい。


 弱いということは、稼ぎが少ないということだ。レックスやロゼッタさんが泊まるような宿には泊まれない。

 安くてそれなりに安全だという宿をギルドでいくつか聞いたので、そこを回ってみるつもりだ。


 聞いた道順を頼りに、帝都の街並みの中を歩く。都会だけあって立ち並ぶ建物も立派だ。感心しながらあちこちに目を向けて歩いていると、人混みの中から視線を感じた。


 立派なレンガ造りの店から目を離してみれば、オレを見つめる通行人が何人か。行動を振り返ってみれば、完全に田舎者のそれだ。そういう目で見られたか、と思ったが、どうやら違うらしい。


 すれ違う人達の目の色は、疑いと観察だった。怪しい余所者を探る視線だ。落ち着けば、髪から顔へと視線が移るのが分かる。


 この世界で、オレはオレと同じ黒目黒髪の人と会ったことがない。精霊の加護に髪と目の色が影響を受けるらしいこの世界の住民は、その色も様々だ。顔の造形も、オレの基準では西洋人に近く見える。


 そんな訳でオレはどこにいても目立つし浮くのだが……ここでは特に酷いようだ。もしかしたら、帝都は閉鎖的な場所なのかもしれない。


 見たことのないものを警戒するのは自然なことだ。こっちに来てからそういう視線にも慣れた。だけど、あからさまに不審に見られて、心のダメージがない訳じゃない。


「はあぁ……」


 小さく溜息を吐く。ここで暮らしていくは大変そうだ。確信できる未来予想に気が重い。


「何か食べようかな……」


 空腹だと心が弱る。それに旅の間は質素な食事しかしていない。幸いなことに、通りを一つ外れると屋台が並ぶ場所があるようだ。腹が満ちれば、気の重さもマシになるだろう。


 そう思って、広い通りを横断するように移動する。


 だが、それが悪かったのか、小柄な人物とぶつかってしまった。


「す、すみませ――」


「おっと、ごめんよ!」


 オレの言葉を遮るように謝る声は、随分と高かった。そのまま走っていく後ろ姿を見れば、どうやら子供のようだ。粗末な服と赤茶色の短い髪が少し見えた。


 呆気に取られながら頭にふと思い浮かんだのは、ロゼッタさんが言ったり、という単語だった。


「いやいや、財布はベルトに紐で結んでるし大丈夫――」


 そう思いながら、財布代わりの革袋を入れた上着の内側へと手を伸ばす。


「え」


 間抜けな声が出たのは、そこにあるはずの感触がなかったからだ。慌てて結んだはずの紐を手に取れば、刃物で切られたように綺麗な断面を晒していた。


「うわあ……やられた……」


 犯人が逃げた方向を見てみるが、そこにあるのは人混みだけだ。当然だが犯人の姿は影も形もない。慣れない帝都で、掏りの犯人を捕まえるのはどう考えても無理だろう。


「……どうしよう」


 そんな呟きは、雑踏の中に消えていくだけだった。

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