第6話 山中の群れ
山の天気は変わりやすい、というのはどこの世界でも同じなようだ。
馬車の荷台から見える空は重そうな灰色をしている。雨こそ降っていないが、昼間だというのに薄暗いほどだった。木々の間の闇も濃い。
馬車もさらに速度を落とさざるを得ず、嫌な空模様だった。
そして、この機会を狙っていたのか、厄介なお客さんに出会ってしまった。
「……囲まれた。魔力量は中級の下。数は……20ちょっと」
馬車から距離をとって探るように走り回る何か。その情報を味方へと告げる。
オレの報告への返事は、馬車の上から降って来た。器用に馬車の上に立っているレックスだ。
「ああ、こっちでも見えた。灰色狼の群れだな。悪くない動きだ。きっと群れの主は強い奴だぜ」
レックスの楽しそうな声には救われる。この狼相手では、オレは一対一でも勝てないだろうから。
「ふむ。灰色狼が20と少しか……。戦って負けることはないが、さすがに数に差があるな」
ガチャガチャと鎧の着装音を鳴らしながら、ロゼッタさんも会話に入って来る。2人とも頼もしい限りだ。
残る1人、ザックさんはオレの言葉に反応しない。というか、暴走しそうな馬を宥めるのに忙しく、話す余裕がないようだ。
「さあて、どうする? 全部狩るか。それともこのまま逃げ切るか」
狼は歪な輪を作って馬車を囲んでいる。いつ襲って来てもおかしくない雰囲気だ。
「ふむ……レックス、短時間で全て狩ることは可能か?」
「周りの木ごと輪切りにしていいなら一瞬だぜ」
ロゼッタさんの問いにレックスは軽く答える。相変わらず凄まじい強さだ。
「それならば却下だ。山道を倒木で塞いでしまっては、片付ける間に新たな魔物が現れてしまう」
まあ確かに。今通っているのは、山の中で唯一と言っていい道だ。倒れた木をそのままにしておく訳にはいかないだろう。
「なら、俺が地道に一匹ずつ潰してくるか?」
「いや、その場合は馬車の守りが私だけとなる。さすがに二桁の狼に襲われては、全てを無傷で守り切ることは難しい」
ロゼッタさんが言う守る対象は、依頼人のザックさん、馬車と馬。……そしてオレだ。
役に立たない悔しさに、いつの間にか唇を噛んでいた。
「それじゃあこのまま逃げ切りか?」
「ああ。このまま進み、襲ってきたものだけを討つ。私が右側。レックスは左を頼む」
「おう」
レックスとロゼッタさんが同時に馬車から飛び降りた。レックスの着地は軽く、ロゼッタさんは鎧の重量で重い着地音を響かせる。
馬車は少しだけスピードを上げた。2人はそれに並走する。
狼たちは、相変わらずオレ達を窺うように走っていた。
捕食対象として狙わる、というプレッシャーに晒されながらも、ザックさんの馬は健気に走った。山道は下り坂に入り、見下ろす先には木々の疎らな平地が見える。
山道の終わりは近い。待ち望んでいた出口だ。だが、待っていたのはオレ達だけではなかったらしい。
馬車の速度がガクリと落ちる。
何事かと荷台から顔を出せば、下り坂の先には急なカーブがあった。このままの速度では曲がり切れないと判断したザックさんが、馬車の速度を緩めたらしい。
そう気が付いた瞬間に、狼たちの輪が急激に縮まるのが分かった。背中を駆け上がる寒気と共に叫ぶ。
「狼が、来る!!」
返事はなかったが、2人が反応したのは見えた。馬車を背にするように、レックスとロゼッタさんが構える。
次の瞬間に、狼たちが薄闇の中から飛び出して来た。
純粋な殺気の籠った瞳。剥き出しの牙。内臓に響くような唸り声。それらが2人に襲い掛かる。
瞬きをする間に血が舞った。
土が赤黒く濡れていく。
だがそれは全て敵の、狼たちのものだった。
「くはっ。いい動きだが、狙った相手が悪かったなあ」
レックスの前で、狼たちは綺麗な断面を晒す。
「ふっ……」
倒れ伏す狼たちの前で、ロゼッタさんは短い呼気と共に剣の血を払う。
圧倒的、という言葉が相応しいだろう。オレの動体視力では、2人の動きが追えなかった。その強さに、後続の狼たちの動きも止まる。
2人と狼たちが睨み合う。じりじりと、怒りと殺気の混じった視線がオレまで届いた。その時間は長かったのか、短かったのか。停滞を破ったのは、山中に響きそうな遠吠えだった。
ウオオオォォォォン……!
それは撤退の合図だったのだろう。狼たちの視線が一つずつ消え。オレの察知範囲から遠ざかって行った。
危機が去ったことに安堵の息を吐こうとして、自分の体が強張っていたことに気が付いた。戦ってもいないのに、体な一人前に緊張していたらしい。
「はあ……」
溜息は安堵より悔しさの割合が多い。
強くなると決めたのに、オレは未だに守られるだけの存在だ。
戦いを終えて悠々と戻ってくるレックスとロゼッタさんが、その強さが、ただただ羨ましくて仕方なかった。
山を無事に降り、オレ達は川の近くで休憩することにした。来た道へと視線を向ければ、先程まで下っていた山が見えた。狼たちもここまでは追って来ないだろう。
思い出してしまった狼たちの瞳に背中を軽く震わせつつ、馬の世話をするザックさんのところへと川で汲んだ水を持っていく。
「ザックさん。水を汲んで来ました」
「ああ、悪いね。助かるよ。ほら、水が来たぞ。落ち着いて飲めよ」
ザックさんが話し掛けているのは馬車を牽いていた2頭の馬だ。長い時間狼に追い掛けられていた馬たちは、危機が去った今でも落ち着かなそうにぶるぶると鳴いている。少し可哀そうなほどだ。
「やれやれ。これではしばらく進むのは無理そうだ」
溜息混じりに言いながら、ザックさんはオレを見る。
「うちの馬たちも、普段はもう少し勇敢なんだがね。さすがに灰色狼の群れの怖さは堪えたらしい」
ザックさんは苦笑しながら肩をすくめる。
「ザックさんの馬が勇敢なのは、ここまで走って来た事実が証明していますよ」
この馬たちが暴走していたら、馬車の転倒に巻き込まれてオレは死んでいたかもしれない。
「普段は、というと、いつもはあの山で灰色狼とは遭遇しないんですか?」
オレの質問に、ザックさんは少しだけ声を落とした。大っぴらには話せない、という雰囲気だ。
「灰色狼そのものは昔からいたんだがね……あの規模の群れが増えたのは最近さ。本来なら、街や都市を繋ぐ主要な道は、領主が兵士を出して魔物を狩るんだが……」
濁した言葉は言わなくても分かる。
「最近は狩られていない、と……」
ザックさんは眉を寄せ、困り顔で頷いた。実際、品物を運ぶ商人としてはかなり困っているのだろう。
「ああ……数年前に代替わりした領主様が、無類の美術品好きのようでね。兵士を動かす金すら使って、壺やら像やらを買い漁っているという話だよ。噂では、そのせいで魔物に襲われて滅んだ村すらあるらしい」
ザックさんの最後の台詞に、オレはどんな顔をしたのだろうか。ザックさんは、驚いたようにオレを見て、慌てて続けた。
「ま、まあ、領主がしっかりしている場所でだって、魔物に襲われた村なんて話は普通にある。ただの噂話の一つだよ」
「そうですか……。ありがとうございます。水、もう少し汲んで来ますね」
「あ、ああ。よろしく」
空になった木製の桶を手に、ザックさんに背を向けて川へと歩く。
心の中に渦巻く感情がなんなのか、自分でもよく分からない。ルヴィの村が滅んだ原因が、あの優しい人達が亡くなった原因が領主だとするならば、オレはどうするべきだろうか。
「……どうする? 何もできないだろ」
誰かを守るのには力が要る。誰かを害するのにも力が要る。弱いオレには、復讐に溺れる資格すらない。
苛立ちと怒りと、嫉妬の熱が内臓を焼いているようだ。
「早く……強くならないとな……」
赤くなり始めた空は、誓いの炎と似た色合いをしていた。
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