第5話 山中の休息

 護衛依頼の中で再認識したことがある。それは、この世界の馬車は頑丈さに重きが置かれているらしい、ということだ。

 まあ、魔物は出るし、道は平坦じゃないしで、壊れる可能性が高いからだろう。少なくともこの国の馬車は、衝撃を吸収するより固くする方向で進化したようだ。


 そしてその結果、犠牲になったものがある。


「尻がいてえ……」


 犠牲になったのは快適さだ。車輪の振動がダイレクトに尻に来る。荷物の下には布を敷いているようだが、オレは直に板張りの荷台の上だ。乗り心地が悪すぎる。あと馬車の後方のせいか、左右の揺れも酷い。

 オレが乗り物に弱かったら具合が悪くなっているところだ。


 勝手に揺らされる体に溜息を吐きながら空を見上げれば、旅にはピッタリの晴れ模様だった。流れる雲も柔らかそうに見える。


「座布団が欲しい……」


 雲みたいな真っ白な綿がたっぷり詰まったヤツ。まあ、持ってても、オレじゃ持ち運べないだろうけど。余計な荷物を増やさないのは旅の基本だ。座布団は持ち運ぶには邪魔だろう。


 どうしようもない。何事も諦めが肝心だ。せめてもの抵抗に、負担が減るように座る体勢を変えていこう。


 そう考えて腰を浮かせたところで、馬車の後方、流れていく景色の中に真っ赤な色が入って来た。

 馬車と並走しながら周囲を警戒しているレックスだ。オレの様子を見たレックスがニヤリと笑う。


「ははっ、何だケツでも痛めたのか? 走ってた方が楽だぜ?」


「それが出来たら苦労はしないよ。オレの足は馬車に追い付けるほど速くはないんだ。やったらあっという間に置いてかれるね」


 今回は商人の護衛依頼。馬車から先行したり、周囲を動き回って安全を確認するのがレックスの役割だ。

 ロゼッタさんは御者台で商人の護衛と、何かあった場合の馬の制御。


 そしてオレは、馬車の荷台で周囲を広く警戒だ。魔力察知で危険そうなものを見つけた場合には、すぐに2人に声を掛けることになっている。


 そんな訳で、オレは馬車から離れる必要はない。というか、離れた場合の移動手段がないからこの形にさせてもらった。


 普通の地球人は馬と同じ速度では走れないのだ。馬より速く走れるらしいレックスとロゼッタさんの方がおかしいと思う。

 四足歩行相手に走るスピードで勝てるってなんだよ、って感じだ。


「レックスはその勢いで走ってて疲れないの?」


「はははっ。この程度で疲れてたら魔境なんて潜れねえよ。馬車くらいの速度で無駄話ができる暇があるなんて楽過ぎるだろ」


「すごいねえ……」


 魔境。魔力の濃い地域をそう呼ぶらしい。過剰な魔力に適応した巨木が立ち並び、巨躯の魔物が闊歩する。話を聞くだけでもまさに魔境だ。今のオレだと入った瞬間死ぬな。


「そのうち連れて行ってやろうか? ちょうどそろそろ翼竜でも狩りに行こうとかと思ってたところだ」


「……オレがもっと戦えるようになったらね」


「おう、期待してるぜ」


 ……返事を間違った気がする。レックスの目は本気だ。強くなったとしても、そんな危険な場所には行きたくないんだけど。


 訂正しようと思ったところで、レックスが何かに気が付いたように声を上げた。


「おっ、見えてきたな」


「何が?」


 オレが座っているのは馬車の後方。前は積み荷で塞がって見えづらい。


「これから越える山の入り口だ。そろそろ魔物も出て来るだろうから、準備しておけよ」


 レックスは気楽にそう言った。魔物一匹でもオレにとっては死活問題だが、レックスにとっては世間話くらいの感覚らしい。強いっていいね。


 ……いや、弱いのは悲しいと言うべきか。


 心の中で溜息を吐きながら、オレは戦闘に向けて意識を切り替えることした。





 トンネルってすごいもんだったんだなあ、と傾斜がきつくなった馬車の荷台で思う。


 山に入って早1時間ほど。まだまだ山の中腹にすら届いていない。まあ、それも当然だろう。山の道はただ踏み固められただけの土で、雨で変な風に固まったのか凹凸だらけだ。


 そして、ただでさえスピードが出せない状態なのに、さらに道は曲がりくねっている。傾斜が緩やかな場所に道が作られているせいだ。


 馬車で進む関係上、傾斜がきつ過ぎると上れない。下りも同じだ。馬車には基本ブレーキなんかないから、傾斜のきつい下り坂は進めない。


 結果、山の斜面を少しずつ蛇行しながら登るしかない訳だ。時間が掛かるなあ、これ。


 まあ、その間は暇じゃないんだけど。


「レックス、右側に魔物2。中級」


「おう」


 オレの言葉に、レックスが木々の間に消えて行く。


 山に入ってからはオレが魔物を感知し、レックスが確認に行く、その繰り返しだ。


 小さな魔物は基本的に、人が複数いれば襲って来ないので無視。中級の魔物で人を襲いそうなものはレックスが軽く追い払っている。


 上級の魔物には今のところ遭遇していない。山の中のとはいえ、ここは人も通る場所だ。上級の魔物が出れば大騒ぎだろう。


 まあ、元々上級の魔物なんていうものは、魔境にでも潜らなければ会うこともない存在だ。この依頼の間は気にしなくてもいい。


 そもそも上級くらいの魔力量なら、距離があっても先に見つけられる自信がある。まあ、大丈夫だろう。




 傾いた陽が山の向こうに隠れ、進む道も暗くなって来た頃、道の横に小さく拓けた場所が見えた。


 低い草の生えた地面には馬車の轍が刻まれ、焚火の跡もいくつか見える。この山を越える際の休憩場所のようだ。


 様子を観察していると、今回の依頼主、ザックさんが御者台から声を掛けて来た。


「今日はこの場所で野営します」


 オレも否はない。馬車はそれなりの大きさだが、その大半は積み荷で埋まっている。馬車の中で眠れるとすれば、1人くらいのものだろう。当然それはザックさんだ。オレたち冒険者は地面で寝ることになる。


 どうせ野宿をするにしても、地面は平らで柔らかい方がいい。石や枯れ枝だらけの床では体も休まらない。特にオレは、レックスやロゼッタさんに比べて体力が少ないから休息には気を遣う必要がある。


 そんな訳で、ザックさんの言葉に全面的に賛成だ。ここで行けるところまで進むとか言われなく良かった。

 野営の準備は積極的に手伝うとしよう。




 4人で焚火を囲みながら食事を進める。旅の食事が温かいのは良いことだ。それだけでも体は少し回復する。


 食事の席は会話が弾んでいた。というか、依頼人のザックさんが弾ませていた。商人らしく喋るのは得意らしい。

 この世界に来てからしばらく経つが、寡黙な職人はいても、口下手な商人は見たことがない。会話の上手さは、商人にとってもの必須スキルなのだろう。


 まあ、ザックさんの会話の3割くらいは、ロゼッタさんに向けたアピールな気がするけど。


「私が商っている――は、実はあの――亭にも卸しているのですよ」


「ほう、――亭と言えば、格式高いことで有名な宿だ。素晴らしいことだな」


「ええ、ええ、いくらかは苦労はしましたが――」


 ロゼッタさんは美人だもんなあ、と思いながらザックさんの会話を聞く。2人が話す内容には知らない名詞も多い。オレもまだまだ勉強が必要だ。


 山を越えればある程度魔物の心配も減るだろうし、道中の雑談で聞いてみようと考えつつ、自分で作ったシチューもどきを口に運ぶ。


 うん、温かい食事はいいものだ。


 ……まあ、美味しいか美味しくないかで言えば、ぶっちゃけそんなに美味しくはないけど。


 微妙な表情を浮かべているだろうオレを見て、隣に座るレックスが面白がるように笑う。


「山の中で食うもんにしては美味いぜ」


 レックスの発言に、ザックさんとロゼッタさんも同意してくれた。


「ああ、かなり美味いと思うね。野草が良い味をしている。あの短時間でこれだけの野草を集めるとは、中々の採取の腕だ」


「うむ。干し肉だけのスープより余程美味しいな」


「……そう言ってくれると嬉しいですよ」


 そう言って、もう一口シチューもどきを啜る。やっぱり……あまり美味しくはない。


 この即席シチューもどきの作り方は簡単だ。火にかけた鍋に干し肉を放り込んで戻し、適当に切った野草を投入、あとは硬いパンをガリガリ削って入れ、軽くトロミを付けたら出来上がり。


 干し肉がしょっぱいから追加の塩すらいらない。色々と省きまくった料理だが、これでも贅沢だというのがこの世界の旅の事情だ。


 旅の食事は基本的に不味い。それは旅をする者なら当然の認識となっている。実に寂しいことだ。


 いつ死ぬかもしれない冒険者という職業で、もし最後の食事が干し肉だけだったら、死んでも死にきれない気がする。

 遺言で、『最期くらいは美味しいご飯が食べたか、った……』とか言いたくない。


 ……将来お金持ちになったらキッチンカーみたいな物でも作ろう。食事はいつでも美味しい方がいい。


 そう決めて、オレは残りのシチューもどきを掻き込んだ。

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