第4話 護衛依頼のはじまり

 護衛依頼を受けることで、予想よりも大幅に早く帝都へ行けるようになった。となれば、旅の準備が必要だ。食事は出るらしいが、最低限の保存食を買い込む必要がある。その他にも用途の多い布だったり、大き目の革の水筒だったりと、旅に必要なものは多い。


 そして買い物の他に、別れの挨拶も必要だ。



 いつものように、薄暗い魔道具店の中へと入る。カウンターの後ろでヤン爺が暇そうにしているのもいつも通りだ。


「ヤン爺、おはよう」


「おう。旅の準備は済んだのか?」


「あとは少し買い物をすれば終わりかな」


 元々、まとめる程の荷物は持っていない。買い物さえ済ませれば、いつでも旅立てる軽い身だ。とはいえ、依頼を出した商人は急いでいるらしく、出発はもう明日だ。ここでの挨拶が終われば、そのまま買い出しに行くつもりでいる。


「だからまあ、今日は出発前の顔出しだよ」


 ヤン爺には護衛依頼で帝都に向かうことは伝えてある。ここに来るのも、今日で最後になるはずだ。そのことに少し寂しさを覚えながらも、手に持った小型の木箱をカウンターに載せる。


「……こいつはなんだ?」


 ヤン爺は不審そうに眉を寄せる。怪しい物じゃないよ。


「今までのお礼も兼ねたお土産? 中身は茶葉だよ。けっこう良いやつ」


 一応、文字を教えてもらうための授業料は払っているが、まあ、それはそれだ。金をもらっても、オレのような得体の知れない異邦人を相手にしたくないと考える人がほとんどだったのだから、ヤン爺には恩がある。


 とりあえず、そんな諸々の感謝を込めた贈り物だ。ヤン爺はお酒を飲まないので茶葉にした。オレの財布にはそれなりのダメージが入ったが、必要な出費だろう。


 顔を顰めたまま箱を開けて中を覗いているヤン爺へと、さらに言葉を続ける。


「という訳で、ここに来るのも今日で最後かな。先のことは分からないしね」


「そりゃ冒険者なんてもんは、明日死んでもおかしくねえ稼業だからな」


「はは、そうだね」


 特にオレなんかは簡単に死ぬ立場だな。うん、笑うしかねえ。


「……そこで待ってろ」


 オレの顔を見ていたヤン爺が、少しの沈黙の後に立ち上がった。そのまま店の奥へと消えていく。なんだろうか。


 首を傾げながら待つこと少し。ヤン爺が戻って来た。手に持っているのは……本だな。


「ほらよ。餞別にこれをやる」


「へ? いいの?」


 こっちの世界では本は高価だ。紙は意外と良心的な価格ではあるが、内容は手書きが基本なのだ。そりゃ安くならねえわ。


 それを見た目は古そうとはいえ、タダでもらえると? マジで? 余裕ないから日本人的な遠慮はしないよ?


 困惑と期待を浮かべているだろうオレの顔を見つつ、ヤン爺はいつもの不機嫌そうな顔で話す。


「どうせ読む者もおらん。気にせず持って行け」


「それならありがたく」


 ヤン爺から本を受け取る。表紙は少し掠れていた。題名は、ええと……。


「龍殺しの剣士の伝説?」


「おう、ちゃんと読めたようだな」


 ヤン爺が口の端を上げて言う。


「ヤン爺が教えてくれたし、オレも必死で勉強したからね」


「ふん」


 ここ数ヶ月で、基本的な読み書きは一通り出来るようになった。いや……ちょっと嘘だ。書く方はたまに怪しい。それでもかなり頑張ったものだと自分でも思う。目的意識が強かったのと、あとは他にやることがなかったのも大きいな。


 今のオレの収入では、娯楽に使う金なんてないのだ。それにこの世界にはインターネットもないし、文字の勉強以外に空き時間を潰す手段はなかった。


 狩りと採取で金を稼いで、最低限の食事をして、暇があれば文字の勉強をしてきた。

 うん、修行でもしてんのかってくらい質素な生活をしてるな、オレ。元の世界に戻れたら、修行僧もいけるんじゃないだろうか。


 ……まあ、この世界に来た方法が分からないから、帰る方法も不明なんだけどな。今のところヒントすらない。

 とりあえず、帝都の大図書館に行ったら、そこら辺も調べてみようとは思う。


 さて、ちょっと気分が落ち込んで来た。帰還できるかどうかを考えるのは止めておこう。どうせ考えたって答えは出ない。思考だけがグルグル回って辛くなるだけだ。


 今は、ヤン爺にちゃんとお礼を言うのが最優先だ。


「さてと、オレはそろそろ行くよ」


「おう」


 ヤン爺の返事は軽い。この数ヶ月、ヤン爺にとってはただの気紛れだったかもしれないが、オレはとても助かった。その感謝を言葉にしよう。


「それじゃあ……今までどうも、ありがとうございました」


 背筋を伸ばし、深く頭を下げる。この世界の礼儀には詳しくないオレだけど、せめて心は籠めよう。


「……おう、じゃあな」


 お辞儀をしたまま聞いたヤン爺の声は、いつもより少しだけ優しい気がした。





 そして翌日の早朝。けっこうな重さになった荷物を何とか体に括り付け、オレは依頼の集合場所へと向かって歩いている。集合時間よりかなり早いけど、遅れるよりは良いだろう。


 肩に食い込むベルトを感じながら顔を上げれば、良く晴れた青空が広がっていた。薄い雲が緩やかに流れている。ちょうど良い旅日和だ。


「……まあ、オレとしては曇りの方が嬉しいんだけどね」


 オレが羽織っている外套は黒色だ。森の中では気にならないが、太陽の下ではかなり暑い。曇りで涼しい日くらいがオレとしてちょうどいいところだ。まあ、天気は変えられないので仕方ない。世界はオレの都合を聞くほど優しくはないのだ。


 という訳で暑さは我慢。外套を脱ぐと肩のベルトの食い込みが酷くなるからこのままだ。


 重さと暑さに溜息を吐きながら、外套の裾へ目を向ける。良く見れば色にムラがあるこの外套は、元は茶色だったものだ。使っている内に、返り血やら草の汁やらで斑模様まだらもようになったので黒に染めた。


 出来損ないの迷彩柄みたいなものよりは、黒一色の方がまだマシだ。オレの見た目と相まって、変な恰好をしていると店で門前払いもあり得るのである。というか、何回かあった。


 まあ、向こうの気持ちも分かる。急に見たことのない風貌の奴が、変な恰好で店に現れたのだ。そりゃ警戒もするわ。


「オレは人畜無害……。というかまあ、害を与える力もないんだけどな……」


 冒険者ではあるけど、普通の人どころか、子供にすら腕力勝負で負けるからな。オレより無害な存在はそうそういないはず。産まれたての角兎の方が危ないくらいだと思う。


 うん……弱さ自慢をすると止まらない上に、気分が落ち込んでくるな……。


「む? コーサクか。早いな」


 沈んでいた意識に、涼やかな声が入ってくる。声の方向に振り向けば、いつもの鎧姿で荷物を背負ったロゼッタさんが立っていた。


 周りを見渡せば、もう集合場所のすぐ近くだ。考え事をしている内に随分と進んでいたらしい。ロゼッタさんとはタイミングが合ったようだ。


「ロゼッタさん、おはようございます。ロゼッタさんも早いですね」


「ああ、おはよう。早く集合するのは騎士時代の習慣のようなものだ。騎士が現場に遅れてならないからな。万が一にも遅れた場合には、きつい折檻が待っていたものだ」


「そうなんですか」


 騎士って体育会系なんだろうか。もっとこう、華やかな感じを想像してたけど。旅の最中で機会があったら聞いてみようかな。


 そう考えていると、ロゼッタさんが前方へ視線を向けて目を細めた。視線の先には、一台の馬車が停まっているのが見える。


「商人殿はもう来ているようだ。レックスはまだだが、先に2人で挨拶に行くとしよう」


「そうですね」


 ロゼッタさんと並んで歩く。オレは荷物の重さに少しふらついているが、ロゼッタさんは芯が通ったように真っすぐな姿勢だ。歩くだけでも力量差が分かるな。さすがは元騎士だ。



 2人で馬車に近付くと、荷物の固定を確かめていた男性がこちらに振り向いた。30歳くらいで身綺麗な恰好をしている。この人が依頼を出した商人だろうか。


 軽く観察していると、向こうがにこやかに口を開いた。


「やあ、護衛を受けてくれた冒険者だね。私はザックだ。よろしく頼むよ」


「ロゼッタだ。こちらこそよろしく頼む」


「コーサクです。よろしくお願いします」


 ザックさんはオレを見て、軽く眉を上げた。珍しいものを見た、という表情だ。そうっすね。超希少な生き物っすよ。


「2人ともよろしく。『斬鬼』殿はまだのようだね」


「ああ。もうすぐ来るとは思うが」


 ロゼッタさんが答える。集合時間には余裕があるし、レックスもそのうち来るだろう。そう思っていたら、覚えのある強力な魔力を近くに感じた。


 振り返れば、屋台の料理を食べながらこちらに向かって歩いて来るレックスが見えた。行儀が悪いぞ。


 揃っているオレ達を見て、レックスが軽く跳んで来る。数秒ほど宙に浮いて、オレの横にズザッと着地した。料理をこぼさないのがすごいな。


「よお、思った通り早く集まってたな。あんたが依頼主か。『斬鬼』のレックスだ。よろしくな」


「え、ええ。商人のザックです。よろしくお願いします」


 レックスの異様な服装に、ザックさんも少し引いているようだ。全身真っ赤だもんな。気持ちは分かる。


 まあともあれ、これで全員揃った。初の護衛依頼の始まりだ。気合を入れて行こう。

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