第2話 魔道具と精霊語
兎に追い掛けられた翌日。オレは街の魔道具屋へ向かった。年季を感じさせる扉を開ければ、薄暗い店内が迎えてくる。カウンターの向こうでは、店主であるヤン爺が暇そうに魔道具を磨いていた。
「おはよう、ヤン爺」
ヤン爺はオレに文字を教えてくれる先生でもある。授業料は、まあ、たぶん良心的な範囲だろう。
「……その黒い恰好は何とかならんのか。店ん中じゃ見え難くてしょうがねえ」
「仕方ないじゃん。どうせ血だらけになるなら、黒い方が洗うの楽だし」
そもそも、店の中を明るくすればいいと思うよ。
ヤン爺に言われた通り、オレの恰好は全体的に黒い。所々微妙に濃さが違うのは、血に濡れた跡だ。
オレの収入では、服を買うのも一苦労だ。血痕が残ったからと言って、服を買い替えたりは出来ないのである。その点、黒い服はいい。血の跡が目立たないからな。冷静に考えると血染めの服というのは縁起が悪過ぎる気がするが……まあ、仕方ない。ない袖は振れないのだ。
「はあ……まあいい。ほらよ。今日はこれを貸してやる」
そう言って、ヤン爺は何かを差し出して来た。腕を伸ばして受け取る。
「……魔核?」
オレの手のひらに乗っているのは、赤い宝石のようなものだ。ちょうど昨日の角兎の魔核と同じくらい。こっちの方が、角が取れて綺麗だ。
「魔核じゃなくて魔石だ。正確には魔道具だがな」
魔物から採取できるのが魔核。魔核を人が使えるように加工したのが魔石だ。そして、魔石に魔術式を刻めば魔道具になる、らしい。
「ちょっと魔力を籠めてみろ」
ヤン爺にそう言われた。まさかの無茶ぶりだ。
「いや、無理だよ。オレ、魔力持ってないし」
こっちの人は臓器の一つとして魔核を持っているらしいが、残念ながらオレにはそんな謎器官なんてない。当然、籠める魔力も持ってない。
魔力の充填された魔石があれば、そっちから魔力を供給できるらしいけど。オレが魔道具を使うには、その方法で魔力を籠めるしかないな。
「あ~……そうだったな。魔力を持たない者なんぞ、お前以外にはおらんから忘れとった。どれ、よこせ」
素直に魔道具を返す。この世界の人は魔力がなくなると死ぬらしいからな。魔力を持たない人はいないだろう。
魔道具を受け取ったヤン爺が、魔道具へと魔力を籠めた。すると、魔道具が白く光り出す。
「おお~……」
薄暗い店内では光がよく見えた。人が持つエネルギーで、道具が動く。オレにとっては未だに不思議な光景だ。
その光に下から照らされて不気味な顔になったヤン爺が、解説を始めてくれた。
「この魔道具に刻まれているのは、簡単に言えば『光の精霊の指定』と『籠められた魔力の分だけ光る』ことだ。簡単な部類の魔道具になるな」
そう言ってヤン爺は光を消し、再びオレに魔道具を渡してきた。受け取った魔道具を、薄闇の中で覗き込む。今ヤン爺が言った魔術式が、この魔道具には刻まれているらしい。
「……魔術式って、どこに刻まれてるの?」
オレが見る限り、滑らかな赤い石には傷一つない。魔道具の作り方ってよく知らないんだよな。
「刻まれているのは外側ではなく、中だ。見たいなら魔石を“開く”といい」
……開く? 何を?
疑問符を浮かべているだろうオレに向かって、ヤン爺が追加で説明を重ねる。
「魔石に集中しろ。魔力を追って内側へ意識を向ければいい」
アバウトだなあ……。
「う~ん、やってみる」
手に持った魔石へと意識を集中する。赤い宝石のような魔石の内側へ、魔力の感覚を伸ばしていく。
そして――
「うおっ!?」
急に何かが見えた。現実ではない。オレの意識の中に何かが浮かぶ。目を閉じると、よりはっきりと脳裏に見えた。球体状の空間の中に、様々な文字が浮かんでいる。
「出来たようだな。それが魔石を“開く”ってことだ。魔道具職人は、その状態で魔術式を刻んでいく。ああ、変に弄るなよ。文字が変わったら壊れるからな」
弁償はきついので、魔石から意識を戻した。吊り上げられるように、球体状の空間から引き戻される。見える景色が元に戻った。
個人的にはかなりの不思議体験だったが、ヤン爺は普通の顔だ。そのまま説明を続ける。
「魔術式ってのは、言ってしまえば精霊への依頼文だ。魔力を渡すから“これ”をやってくれっていうな。作る上での決まり事は無数にあるが、まあ、魔石に魔術式を刻めば魔道具だ」
「なるほどー……」
解説は非常に助かる。オレは自力で魔道具を作ることを目指しているのだ。
魔力がないオレには、身体強化も魔術も使えない。出来るのは小さな魔物を討伐できる程度の魔力干渉と、魔力の察知のみ。自力では戦闘力がほとんどない。
それでも、オレは強くなりたい。誰かを守れる強さが欲しい。ただ失うのはもう御免だ。
だから、オレには道具が要る。地球の歴史を想えば、人が身一つで強くなる意味など無いはずだ。道具を使った総合的な力こそが、人の強みだろう。オレは自分を補うための魔道具を作る必要がある。
今日ヤン爺に見せてもらった魔道具は、その一歩目だ。だけど……。
「……ヤン爺。魔道具の中の文字、全然読めなかったんだけど……。もしかして普段使う文字と別なの……?」
最近頑張ってこの世界の文字を覚えてるはずなのに、知ってる文字なかったんだけど。
「ん? ああ、言ってなかったか。魔道具に刻まれてるのは精霊語だ。精霊に頼むんだから、精霊に伝わらんと意味がないだろう?」
それはつまり、オレは異世界に来て、さらにもう一言語覚えないといけないと……?
「……ちなみに、精霊語ってどうやって覚えればいいの? ヤン爺が教えてくれる?」
「あ~……さすがに俺にも無理だな。俺の本職は売ることだけだ。普通は魔道具職人に弟子入りするもんだが、お前さんには厳しいだろうな」
まあ、オレはどっから見ても異邦人だ。雇ってくれる場所があるなら、冒険者なんてやってない。
「魔道具を作れるくらいに精霊語を覚えるとなると、帝都の大図書館に行って調べるしかないと思うぞ」
この世界、図書館なんてあったんだ。
「そっかー。帝都かー」
……旅費がねえよ。
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