第261話 三十六計なんとやら

 だが、思い通りにはいかなかったのだ。


 アイリスはまず、首魁であるエルゲンバッハに拳を放った。超ド級の威力を誇るその一撃は、飛び出てきた一人の兵士によって受け止められていた。


「はっ。そうくると思っとったわ」


 やられた。完全に俺の油断と失念が招いた結果だ。

 兵士の中に紛れていたんだ。S級冒険者オー・ルージュが。


「こないだの借り、返させてもらうでぇッ!」


 槍による刺突がアイリスを狙う。

 それを軽くいなしたアイリスは、バックステップで俺の前に戻ってきた。


「あらあら。これは……少々厄介な事態ですわね」


 微笑みに緊張感を湛え、アイリスは視線を巡らせる。

 エルゲンバッハの重たい笑いが響いた。


「ロートス殿。貴殿の能力、手駒、持ち得る方策の全てを、我らは把握しております。無駄なあがきはおすすめしませんな」


「……ほざきやがれ」


 とはいったものの、万事休す以外の何物でもない。

 むこうにルージュがいる以上、アイリスもエレノアも戦力にはならない。


 こうなったら、逃げるしかないな。アイリスにはエレノアとマホさんを連れて脱出してもらう。

 俺はアイリスに目配せをする。アイリスは小さく首肯。これだけで俺の意図は伝わった。


「なぁエルゲンバッハさんよ。ちょっとおかしくないか? あんたの行動」


 時間稼ぎも兼ねて、俺は疑問を口にする。


「なにがですかな?」


「あんた、王国軍人だろ? だったら、ヘッケラー機関とはずぶずぶの関係のはず。それなのに、あんたさっきマホさんに機関の工作員の容疑がかかってると言った。機関の人間なら、あんたらの仲間だろう」


「ふむ。いい質問ですな」


 エルゲンバッハはデカい手で髭をいじる。


「ですが言葉には気をつけて頂きたい。奴らが仲間などと、反吐が出ますゆえ」


 どういうことだ。

 こいつは護国の英雄だ。国の為に動くはずじゃないのか。


「我ら親コルト派からすれば、腐敗した貴族官僚は不倶戴天の仇敵。国王ですら、薄汚い売国奴。貴き者の皮をかぶった寄生虫に他ならぬ。ヘッケラー機関などという陰謀に塗れた狂人らの手先は、みな冥土に送ってやるべきなのだ。いいや機関だけではない。帝国議会や神族会議といった、世界の裏で暗躍する組織はすべて滅ぼす。そのような輩は正義とは程遠い、虫けらにも劣る存在だ」


「えらく過激なことを言うんだな」


「そうですかな? これも愛国心ゆえの思想。正義を重んじるがゆえの行いですぞ」


「正義ね……そんであんたらは、何をしたいんだ?」


「簡単なこと。この国から毒を排除し、清浄なる国家へと作り直す。すでに事は始まっていますぞロートス殿。真に国を想う同志たちが、軍を率いて害虫の駆除に出向いている」


「なんだって?」


「機関とそれに関わる王侯貴族や、帝国の間者、神族の末裔まで」


 つまり、プロジェクト・アルバレスによって生まれた俺やエレノアもか。

 これはいよいよ、やばくなってきたな。


 俺は小さく床を蹴り、アイリスに合図を送る。

 直後、アイリスの姿がかき消えた。エレノアとマホさんもだ。

 エレノアの部屋へと入ったのだろう。部屋の窓から逃げる気だ。


 だが。


「無駄ですな」


 部屋の中から聞こえてくるエレノアの悲鳴。

 急いで部屋に入ると、窓がすべてどす黒い障壁で塞がれていた。

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