第3話

「…ですか?」


 意識を呼び戻すように声が聞こえてきて、俺は咄嗟に後部座席の窓の外から運転席の方に視線を向ける。


「お客さん、西の方の人ですか?」


 運転手が陰鬱な声で再度問いかけてくる。


「はい、兵庫の出身です」


 東京に住み始めて10年以上経つが、やはりイントネーションは抜けないのか、会ったばかりの人間にも何度か西日本出身で問われることがあった。それにしても凡そ会話を好みそうにないと思われる無愛想な運転手が俺に話しかけてきたことに少々面食らった。


「私も兵庫の出身なんですよ」


 だからか。深夜の変化のない道すがら、目的地までまだ時間がかかるため場を持たせるために話しかけてきたのか。放っておいてくれれば良いのに。俺は特に返事もせずに再び後部座席の窓の向こうにぼんやりと視線を送った。


「お客さん、動物は好きですか?」


 構わず運転手は話し続ける。


「私は猫が好きでしてね。とは言っても今は独り身で不規則な仕事をしてるんで飼ってないんですけどね。東京の大きめの公園なんかだと野良が棲みついてるんでたまに餌をやったりとか」


 迷惑な話だ。こういう人間がいるから俺が猫を。こいつに俺が趣味として猫を殺していることを伝えたらどんな反応示すのか。黒いサディスティックな考えが泡のように心の澱みから浮き上がってくる。


「前は飼っていたんですか?」


 余計な言葉が口をついて出ないように儀礼的に返す。


「ええ、飼っていました。前と言っても随分前ですけどね。中学生の頃でしょうか。あれは飼ってたと言えるのかな」

「へー、それはどういった話なんですか?」

「私の実家は母子家庭で、まあそれなりに貧乏でしてね。母親は働き通しであんまり私に構ってもくれないもんで小汚い恰好をしてまして。そんなだから友達もいなくてずーっと一人ぼっちだったんですよ。」


 陰鬱そうな運転手の雰囲気通りのしみったれた話。俺は曖昧に相槌を打って先を促す。


「ま、そんな生活の中で中学2年の春先だったかな。偶々近くの公園でやることもなくて時間を潰しているとどこからともなく鳴き声がしてきたんですよ。気になって公園をあちこち探していると茶虎の子猫が一匹死にそうになってまして。親猫は生み捨てたのか周りにおらず、他の兄弟達はカラスにでも持って行かれたのか、そいつ一匹だけで。」


 運転手はくぐもった声で続ける。


「可哀想だから持って帰りたいけど、母子家庭で誰も面倒見られないし、金銭的にも余裕がない。それで私は猫を持って帰るのを諦めたよんね。」


 ふと窓の外を見ると随分暗い。


「飼うのは諦めたとはいえ、今にも死にそうな子猫なので、中学生なりにできることをしたろうと思って。ほんで、家からお袋にバレんようにちょっとずつ自分の食事を余らせては公園に持っていてあげてたんよ」


 公園の片隅で子猫を育てている貧しい家庭の中学生の姿がまざまざと頭に浮かぶ。


「そんなのを3週間ぐらい続けた頃やったかな。見つかったらあかんやつに見つかってもうて」



 

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