第2話

 3年前、俺は今の職場に転職した。給料は上がったが激務であり収益に対するプレッシャーで俺は追い詰められていた。プロジェクトが炎上して徹夜が続いたある日、帰宅したらマンションの裏で発情期の猫が嬌声を上げていた。部屋に入りスーツを脱いで部屋着に着替えシャワーも浴びずにベッドに潜りん込んだ耳に猫の声が張り付く。普段なら無視できるような声量だが疲労でささくれ立った耳が一度音を拾ってしまうと、赤ん坊が泣くような声が神経に障り続けた。布団を頭からかぶり耳を塞いでも微かに鳴き声は聞こえる。無視しようとすればするほど、思いとは裏腹に耳は無意識に声を探してしまっていた。神経を掻き毟る声、声、声。


 疲労と苛立ちで混濁する頭で意を決して俺は立ち上がる。部屋着のままコンビニ向かいペットフードを買い、その足でマンションの裏に向かい嬌声の主を探す。


 いた。暗闇の中から俺を嘲笑うかのように見つめる双眸。俺は腰を落としてさっき買ったペットフードを開封し闇の中から声の主が出てくるのを待つ。程なくして一匹の茶虎の猫が闇の中からこちらへ近寄ってくる。幾分警戒はしているものの、恐らく近所の迷惑な人間が餌付けでもしているのだろう、人間には慣れた様子で距離を詰めてくる。俺は辛抱強く目線を落としたまま猫を待つ。


 ミャア


 猫は甘えるような声で俺が持つペットフードを強請る。俺がゆっくりと足元にペットフードを置くとおずおずと近づいてくる。猫が差し出したペットフードを食べ始めたところでそっと顎の下に手を入れる。くすぐったいような顔をして猫は俺に甘えてくる。猫が十分に警戒を解いたところで俺はそっと猫を抱きかかえる。頭を撫でながらマンションから程近いドブ川に向かい、 そして、


 俺は猫を水の涸れた川底に叩きつけた。


 液体の入った革袋を地面に叩きつけるような湿った鈍い音と短い闇を引き裂くような悲鳴を発して、数秒前まで猫だった革袋は川底に横たわっていた。苛立ち、興奮、疲労がないまぜになった頭で俺は奇妙な興奮を覚えていた。


 それからの俺は激務で神経が昂り眠れなくなる度に猫を殺した。食うために家畜を殺すのと、眠るために猫を殺すのと何が違うのかと自分に言い訳していたのもほんの僅かな期間でしかなかった。近隣で噂にならないように俺は積極的に猫を殺すために家から離れた場所まで出かけるようになった。猫をおびき寄せ殺すことに手慣れてきた頃だろうか、俺がタクシーを拾いにくくなったのは。


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