黒獣

蔵井部遥

第1話

 日付が変わって数時間経った頃、漸く仕事が一段落したので職場を出た。


 大通りまで5分ほど歩きタクシーを停めようと右手を上げる。何台かが俺が見えないかのように行き過ぎていく。いつもの事だ。手を挙げた俺に緩やかに近づいたタクシーが俺の顔を視認できる距離になった途端にスピードを上げて離れていくようになったのはいつからだろうか。


 程なくして、街頭に照らされた道を獰猛な瞳をギラつかせた黒いネコ科の肉食獣のようにタクシーが近づいてきて、ガラス越しに運転手と目が合った。運転手は一瞬表情を変えたが黒い獣は行き過ぎることなく俺の前で巨体を震わせるようにして停まった。獣は咢を開き、俺はその体内に身体を滑り込ませる。


「どちらまで」


 愛想の悪い運転手が淀んだ声で行き先を問う。これもいつもの事だ。俺を乗せようとするタクシーの運転手は押し並べて生気が無い。生気が無いからこそ俺を乗せるのか。俺は大きな幹線沿いを通り目印となる建物に至るルートを告げる。


「すみません、もう一度お願いします」


 振り返りもせずに運転手が問う。愛想が悪い運転手には慣れているが余りの無愛想さに面食らう。少し不愉快さを声に滲ませて再度ルートを告げる。果たして運転手は聞き取れたのか、ぎこちない手つきでメーターをスタートさせた。


 アスファルト舗装に爪を立てながら走るタクシーの中で俺はいつからタクシーが掴まりにくくなったのかと思い起していた。

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