第四十一話 絶体絶命のチャンス


 俺の強がりを砕こうというのか、英雄が動き始めた。俺を視界に捉えて近づいて来る。一歩が重い。振動が地面を伝ってこっちにまで届く。気分は怪獣映画の通行人だ。


 俺は柳楽から距離をとり、英雄を中心に弧を描くようにすり足で移動した。彼の何かを刺激してしまいそうで足音を立てるのもはばかられる。英雄がそれを目で追う。


 柳楽の血を摂取してからずっと頭痛がしていた。身体が重い。なんだか、周りの動きが遅く見える。やめときゃよかったという思考が浮かぶが、高揚で恐怖が麻痺まひしたのか、逃げようとは欠片も思わない。


 英雄が半身をずらして俺の姿を正面に捉えた。この辺でいいだろう。俺が足を止めた途端に英雄が鉤爪を掲げて構える。あ、あれはマズイ。直撃で即死だ。


「おわっ」


 斜め上から鋭利な凶器が振り下ろされた。口の端から情けない悲鳴を洩らしながら横に跳んでなんとか爪を避ける。


 足がもつれて倒れてしまったので砂利と共に砂埃が上がった。すぐ立ち上がって体勢を立て直す。うぅ、口に砂が入ってじゃりじゃりする。


 焦りが胸の内に膨らむが、俺は深呼吸して気持ちを落ち着かせた。大丈夫だ。時は来る。ほら、次。


 右、左、もう一回右。繰り出される斬撃をすんででかわし続ける。俺の必死で無様な動きに英雄は自分が虚仮こけにされているとでも思ったのか、しびれを切らして拳を握った。


 空気を凪いだ右腕が取って返してくる。俺をぎ払おうとしているのだろう。爪がこっちを向いてないのを見た俺は、これだと直感し身体から力を抜いた。そのまま後ろに倒れるように腕の直撃を受ける。


「がはっ!?」


 ダンプカーにかれた時より酷い衝撃が身体を走る。肺から空気が無くなり足が宙に浮く。ガードした腕から嫌な鈍い音がして、気づくと俺は後方に吹き飛んでいた。


 勢い余って木の幹にぶつかり地面に落ちる。砂利が地味に痛い。内臓がどこかやられたのか、自分の呼気こきが鉄臭かった。全身に電撃が走ったみたいな痛みに意識が遠のき倒れそうになる。


 だが、まだだ。俺はまだ生きている。柳楽のような瀕死ひんしにはほど遠い。


 これじゃたぶん


 英雄がまた腕を薙ぐ。咄嗟とっさに伏せると爪が頭上を通過していく。俺は這うようにして飛び上がり本殿の方へ駆けようとした。だが英雄は得物を逃がそうとはしない。またその凶器を生やした腕を振るう。


 思い切り地面に伏せたが回避行動は十分じゃなかった。爪が俺の背中を舐めていく。ほんの先っちょが触れただけなのに、服が盛大に破れ肉を削って鮮血が散った。


「春高先生ー!」


 柳楽が俺を呼ぶ。そっちを見ると、彼女は上体を起こしていた。悲痛な顔で俺に手を伸ばしかけていたが、自分の状態に気づいたようでぎょっと目を見開く。


 傷口が大きかったからここからでも十分見える。柳楽の身体から傷がえていく。それも手足の浅い切り傷だけじゃない、腹部に開いた穴も小さく収縮していくじゃないか。


 とても信じられない現象だ。

 だが俺は、その様子をみてニヤリと笑った。


 昔から不思議なことがあったのだ。学友が皆、変なことを言う。いわく、俺の傍にいると怪我の治りが異常に早い、と。


 ずっとどういうことか分からなかった。ただの気のせいだろうとも思っていた。だが、柳楽に俺の体質の真相を聞いて分かった。俺が傷つく分、他者の傷が癒えていたのだ。


 俺は厳密には不幸体質じゃない。俺が不幸を産んでるんじゃない。周囲の不幸を俺が喰っているのだ。そして場には幸運だけが残される。だからみんな幸せなことが起きる。


 じゃあ怪我はどうだろうか。そりゃ幸運とは言えない。一部の性癖がアレな方々を除いて、怪我して嬉しがる奴はいない。だから、幸運は怪我の治癒を早め、当人の不幸を消そうとする。いや、俺が怪我という不運を引き受けていると考えてもいい。


 じゃあ、死にそうな怪我は? そりゃ不幸だ。不幸というのが軽く感じるくらいの不運だ。だったら、俺が場の不運を全て喰らい尽くすほど不幸な目に遭えば、今死にかけてるやつはどうなる? 苦しみから開放され幸せになるため即死か? それとも死なない程度にまで怪我が治るか。どっちなのかは、本当に賭けだった。


 特に今、俺の目の前にいるのは俺に祝福を与えた張本人だ。そしてここは祝福を授けられた場所そのもの。


 柳楽だって俺がここに来ることを進めなかった。それはこの不運体質が増幅されてしまいかねないから。


 つまり、他者の傷を請け負う割合も増えるのだとしたら……死にかけの者すら救うことができるんじゃないか?


 俺はその賭けに勝った。全治までとはいかないようだが、柳楽の怪我は見える端から治癒されていく。


 これで彼女は少なくとも一命を取り留めただろう。後は彼女がここから逃げられるくらいに回復すれば俺もどうにか離脱できるはずだ。


 そんな奇跡を成す方法を、俺はもう知っていた。


 突き刺すような一撃を転がって避けて、俺は口を開いた。英雄は砕けた石畳に腕をとられてしばし動きを止めている。これ幸いにと、俺は大きく息を吸って柳楽を見つめた。


 彼女の血を摂取したからなのか、あの時はどんなに頭を捻っても分からなかったことが今はすんなりと分かってしまう。


「――――さっさと逃げろ、!!」


 湧き上がる確証と共に叫ぶ。それはあの時に柳楽紗希さきが地面に書いた彼女のいみな。巫女たる彼女の存在そのものを示す名前だった。


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