第三十四話 受刑


「さてお二人さん。旧交を温めたところで、本題といこうか」


 勝政を立ち上がらせた途端、柳楽が俺たちの顔をひょいと覗き込んできた。その横には蛇みたいな龍神が浮かんでいる。やべえ、途中からすっかり忘れてた。

 狼狽ろうばいする俺と対称的に、勝政は落ち着きを払って柳楽へ身体を向ける。


「いいよ、準備はできてる。他の人の前ならいざ知らず、今は柘弦つづる君の前だからね。この期に及んで抵抗なんて無様は見せられない。どんな罰でも受けるよ」

「お前っ、そんなこと言ったらあれだぞ。頭に雷落とされるぞ」


「貴君は私をなんだと思っているのかね」


 むっとした顔で柳楽が頬を膨らませる。なんだとって、そりゃ怒ったらヤバイ奴だと認識してますがいかがですかね。


「そうイジメてくれるな。さすがの私も反省したとも。余計な私怨で場をこじらせたりはしない」


「本当かぁ?」


柘弦つづる君、しつこいよ。僕は準備万端なんだ。せっかく覚悟を決めてるんだから邪魔をしないでくれ」


 なぜか庇ったはずの勝政に怒られた。なんて理不尽なんだ。怠クソつらいぞ。


 その後、柳楽にも邪魔と言われたので二人から離れた。低い堤防に腰を下ろして様子を見守る。


 勝政は柳楽の前に膝をついて、こうべを垂れている。頭を深く下げているから、まるで斬首を待つ罪人のように見えた。


「龍神様も納得してくれたよ。これが、貴方が背負うべき罰だ」


 柳楽が勝政の正面に立つと、龍神が口から何かを吐き出した。それは真っ黒い球体だった。手の平で包みきれないサイズ、軟式のテニスボールくらいか。漂うすすを水でコーティングして球にしているような見た目だ。


 俺は、水の中をうごめくその煤に見覚えがあった。


「あれって……」


「ああ、ここまで凝縮させたらさすがに春高先生にも見えるかな。そうだ、これは瘴気―—呪詛だよ」


 だいぶ離れてるのに柳楽が俺の呟きを拾う。掲げて見せた水の球の中には、確かにあの時見た真っ黒い霧が詰め込まれていた。


「これは長正路ちょうしょうじ氏のせいでこの町に発生した呪詛の全てだ。正しい責任をと言うのなら、これを処理するのが彼の役目だろう」


「それ、どうするんだ」


「こうするんだよ柘弦つづる君」


 勝政かつまさが横合いから柳楽の持つ水の球を受け取った。そしてそのまま口の中に放り込む。水の球は波打ち輪郭を変えながら、勝政の口内に収まってしまった。


「ぅぐっ」


「何やってんだお前っ、絶対マズイだろ、早くゲーってしろ、ゲェーって!」


「ゲロ前提ではないか」


 慌てて駆け寄るも時すでに遅し。勝政は水の球を飲み込んだ後だった。


「げほっ。っはぁ、言うほど不味くはなかったよ。水の味しかしなかった、ごほっ」


「そっちのマズイじゃなくて……これどうなるんだよ」


 勝政は咳き込みながらも笑顔を見せる。しかしそれで安心はできなかった。


 奥沢おくざわの時だって、呪詛は放って置くと本人を傷つけると言っていた。じゃあ、あんな濃度の呪詛を体内に入れてしまったらどうなるか。最悪の想像ばかりが浮かんでくる。


「そう心配することでもない」


 俺の肩を叩くのは柳楽だ。


「呪詛は龍神の加護がついた水に包まれている。今すぐ長正路ちょうしょうじ氏を傷つけるわけじゃない」


「そう。僕が今後、自分の意思で誰かを傷つけた時、相手が誰であろうと加護が消えて、呪詛が全身に広がる。そういう罰だ」


 説明を継いだ勝政かつまさはよろめきながら立ち上がった。身の内に収まった異物を確認するように胸を撫で、口の端に皮肉を称えて目元をゆるませる。


「そしたらたぶん、この身は一瞬で朽ち果てる。これが僕の背負う責任だよ」







「納得していない顔だね」


 勝政の帰った河川敷で、堤防に腰かける俺に柳楽がそう呼びかけた。差し出された缶コーヒーを受け取って、表面に浮かぶ水滴を親指で拭う。柳楽が隣に腰かけるのを待って俺は口を開いた。


「俺のことはいい。勝政かつまさが納得してんのにこれ以上口を挟むのはただのエゴだ」


「貴君は大人なのだな」


「このひげ面がガキに見えるか?」


「いや、ふと思ってな。先生の叱責しっせきで自分の未熟さを思い知らされましたよ。私が貴君と同じ立場になった時、果たしてああも冷静でいられるか。いや、そもそも私なら、私を利用した人間を許すことはできないな」


 柳楽はコーヒーをあおりながら感心するように言う。だが俺は、缶を両手で包んだままかぶりを振った。


「んな褒められることでもねえよ。俺は基本が諦めで生きてるからな。それ以上絶望することってあんま無いんだよ。だから些細なことで喜べて、ほとんどの悲しみを飲み込める」


 本当にそれだけなのだ。そうやって自分から先に期待や希望を潰して、現実の厳しさに耐えているだけだ。


 俺の体質は特殊だが、そうでなくても人が人を利用する場面なんて珍しくも無い。それを当たり前だと割り切って、当然なのだと己に言い聞かせて、大人は人間関係を続けていく。幼子が思うほどこの世界を純粋なままで生きていくのは簡単じゃないのだ。


 そうやって虚無に人生を浪費していく。いつか何かが起きて世界はより良い方向へ向かうんじゃないかって、そんな胸の奥底に沈めた期待を捨てきれずに。


「その生きかたは、むなしくはないのかい?」


 静かな問いかけだった。だから俺も、静かに笑って答える。


「寂しいよ。けど、傷つくよりマシなんだ。でも最近は楽しいぜ? 振り回してくれるやつがいるからな。珍しい体験ばっかで目が回りそうだ」


 ニッと笑ってみせると、柳楽は苦笑して髪をかき上げた。今日の柳楽は制服姿のままだから、これはあれだな。並んで座ってると通報されるかもしれん。まあ、そうなっても柳楽が上手いこと誤魔化してくれそうだから大丈夫だろう。


 自分を安堵させて缶コーヒーのタブを開けると、思った通りプシッと勢いよく飛沫が飛んだ。ほらな、心構えをしておけば驚くこともない。にしても、なんでコーヒーのくせにこんな勢いがあるんだ。炭酸入ってるわけじゃないのに。温度差で膨張でもしているのだろうか。


 柳楽が差し出してくれるハンカチをありがたく使わせてもらう。それを返す時に、訊きたいと思っていたことを尋ねてしまうことにした。


「お前のことだから俺の体質の原因、もう何か察しがついてるんじゃないか?」


 さっきも何か知っている口ぶりだったし、そうじゃないかと思ったのだ。柳楽は胸の内を整理するように一つため息をつき、缶のプルタブをいじりながら俺を見上げる。


「そうだね、隠してもしょうがない。……三十年ほど前の杉岡神社。そこが全ての始まりだと私はにらんでいる」


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