第三十二話 地上に残った神々


「それのどこが祝福だって言うんだ!」


 俺は思わず悲鳴のように叫んだ。柳楽の手を振り解こうとするが、彼女は俺から手を離さない。むしろまるで繋ぎ止めるみたいに、ぎゅっと力を籠める。


 逃げられない俺は眉間を悲痛に寄せながら柳楽を見つめる。柳楽の瞳はどんな感情も読み取れない透明な色をしていた。彼女が何を言いたいのか、俺には分からない。


 押し黙った柳楽の代わりに、言葉は彼女の後方から届く。


「祝福さ、少なくとも僕らにとってはね」


 勝政かつまさは腕を組んで俺をせせら笑っている。その表情で、俺は全てを覚った。


「知っていたのか、俺の体質を。最初から? じゃあ、お前が俺と一緒にいたのは」


「僕のためだよ。そうでもなけりゃ、人間嫌いの僕が他人と仲良くなんてするわけないだろ。あの六年間はおいしい思いをさせてもらったよ。案外、僕以外の奴等もそれ目当てだったんじゃない?」


 嘲笑うように吐き出された宣告に、俺は言葉を失った。柳楽は呆然自失になった俺から手を離し、川の方へ歩み出す。片足が半ば川の浅瀬に浸かるほど進んで、勝政かつまさに向き合った。


「……この男の言うことに耳を貸すな、春高先生。貴君に祝福を授けた神は、正しい神ではない。端的に言って狂っている。なあ長正路ちょうしょうじ、君が管理するあの杉岡神社は、いったい何を祀っているんだ?」


「はあ? 柳楽さん、情報屋のくせして何を言ってるの? 調べたらすぐ分かるだろ。地元の神だよ、龍神様とかいうの」


「ああ、そうか。君は見鬼の浄目を持っているわけでも、巫女の血を引いているわけでもなかったね。神の力は利用できても、君のせいで狂いを深めていく神の姿そのものは見えていなかったわけだ」


 ため息と共に柳楽が手を叩く。すると空気を切り裂き鋭く鳴った柏手に呼ばれるようにして、川の水が跳ね上がった。


「なっ!?」


 驚愕の声は勝政のものだ。

 川底で爆弾でも破裂したのではと思うほどの水しぶきが上がる。しかしそれらが俺たちの身体を濡らすことはなかった。


 水は宙に居を構え、巨塊となって矮小な人間たちを見下ろしている。塊の向こうの景色が歪むほどの質量が風船のように柳楽の頭上で揺らめいていた。


 そこから一筋の水流が生まれ、柳楽にすり寄るようにして彼女の周りを周回し始める。


 蛇のような細長い物から、大きく突き出した顎門あぎとが生まれ、先端部の両側からは長い髭を生やし、胴の途中には腕と足を表した。


 徐々に形作られていくその姿は、まさに人智を超えた聖なるもの。伝説に謳われる龍そのものである。


 柳楽がマフラーほどの大きさになった龍を一撫でし、勝政かつまさへ怪しい視線を向けた。


「こちらにおわすは二千年前からこの地を見守る水の神、龍神様である。本来なら君たちが祀らねばならない存在だ。この御方は神にしては珍しく、地元の人間を守護してくれる寛容さを持っていてね。お会いしてすぐ私の意を汲んでくれたよ。

 さて長正路ちょうしょうじ勝政、龍神様は君に大層お怒りだぞ?」


「龍神がお怒り? なんでそんなこと分かるんだ」


「直接聞いたからに決まっているだろう?」


「何言ってんだよ。人間が生み出したものでない、元から世界に存在してた神々と話すなんて、高名な呪術者でも不可能なことをっ」


「はっ、私をただの情報屋とあなどったか。私は現代で唯一、神々とことの葉を交わす権利を持った稀代きだいの巫女なるぞ!」


 柳楽の言葉に呼応するようにして水塊がその周りを飛び回る。


「まさか、本当に……――うわぁ!」


 後ずさり、逃げに転じようとした勝政かつまさの前に水塊が立ちふさがる。勝政かつまさの手足に絡みついた水は、その見た目からは想像できない強度で彼の動きを封じた。バランスを崩した勝政が尻餅をつく。


ほこらを荒したのも君だろう? 人の心が荒れれば、自分の所にもっと依頼が来るようになる。そうしたらもっと自分から不幸を遠ざけることができるから。龍神様はキサマの行いを知っている。だから私を力を発現させる仲介者として、キサマに天罰を与えることになさったのだ。他者を惑わし人死にを出しておいて、自分だけ幸せになろうなど許されると思うな。因果応報、悪因あくいん悪果あっか。全ての悪行は己に還る。世のことわりを思い知るといい!」


 柳楽が手を掲げる。集まった水の弾が得物を狙う怪物のようにうごめきを激しくした。さっきまで細い大蛇ほどの大きさだった龍神が水塊と合体し、それこそ本物の龍と遜色そんしょくない姿へ変貌へんぼうする。


 龍神はその鋭い牙の並ぶ口を開け、勝政目がけて空中を泳ぎ出す。

 ――――まずい。


「まっ、待て!」


「先生危な――――!?」


 考えるより先に身体が動く。俺は気づくと、柳楽と勝政かつまさとの間に飛び出していた。


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