第二十八話 それは大切な思い出


 片手で米をとぎながら隣の柳楽の手際を覗き見る。料理の腕前は普通と言っていたわりに、野菜を切るのが早い。てきぱきとジャガイモの芽を取ってぶつ切りにしてしまった。


 そうして手を動かしながらヘタクソな鼻歌を歌い始める。絶妙に外れる音色を聴いていられず、俺は話題をひねり出した。


「そういやお前、なんで情報屋なんてやってんだ? しかも『禁断の果実』って」


 唐突な質問にも柳楽は驚く素振りがなく、下ごしらえを続けながらにこやかに微笑む。


「なにか変かな?」


「いや、禁断の果実って言われて一番に思い浮かべるのって、旧約聖書の知恵の果実だろ? イブが蛇にそそのかされて楽園エデンを追放される原因になった。でもお前はどっちかっつうと神社とかそっち系じゃねえか」


 日本の宗教には詳しくないが、神社って神道系だろ。それがキリスト教と繋がるとは思えない。それとも俺が無知だからその関連性に見当がつかないだけなのか。そうも思ったが、柳楽は当たり前みたいに笑ってニンジンのへたを切り落とした。


「だからだよ」


「……すまん、意味が分からない」


「簡単な話さ。名称で所属や系統がバレてしまっては、何かあった時に危険だ。しかし名称から仕事内容が推測できたほうが顧客は安心する。だからあえて、自身と関係ない名前を知恵の木から拝借したわけさ」


 確かに、説明されれば単純な話だった。柳楽の言う『危険』という部分に眉をしかめてしまったが、彼女の表情は楽しそうだ。奥沢おくざわ日菜美ひなみの時も余裕そうだったし、柳楽は意外と歴戦の猛者だったりするのかもしれない。


 それより、したわけ、って言葉に合わせて包丁をくるっと回すの止めてくれ。刃先が俺の耳元ギリギリで通っていったぞ。キッチン狭いんだから気を付けて!


 水の量を確認して炊飯器のスイッチを押す。ピーかぺーか分からない返答の音に俺が頷くと、野菜を切り終えた柳楽はまな板たちを洗い始めた。洗いながら先の問いの、もう一つに言及する。


「なぜ情報屋をやっているかという問いには……そうだな。私にとってそれが一番合理的だからだ。きっかけは六歳の時、私が川に落としたヌイグルミを拾ってくれた人がいてな。本人は川に落ちたついでと言っていたが……。とにかくその場では十分なお礼ができなくてね。私は今度会った時に礼をしようと、また出会えるまじないを彼にかけた」


「おっ、おう」


 俺は一先ずできることがなくなって椅子に腰かけた。

 なんか柳楽が怖い。この話って、前に聞いた三条大橋から落ちた奴のことだよな。もし一年時期がずれてたら、柳楽と出会っていたのは俺だったかも……なんて、そんな奇跡はさすがに無いか。


「しかし小学生になってもまだ再会できない。おかしいと思って調べたら、母がまじないを勝手に消してしまっていた。『柳楽家は神に仕える一族。血を絶やすことも異物を混ぜることも許されません。殿方との逢瀬おうせなどもってのほか。貴女には血筋の立派な婚約者がいるのに何を考えているのですか!』というのが母の言い分だ」


 急に口調が変わってドキリとしたが、柳楽の母親の真似らしい。喋り方が柳楽の数倍はキツイ。柳楽の母とは会ったことないけど、すっごい似てるんだろうな。


 柳楽はまた調子を元に戻してため息をつく。


「私は恋愛というものにうとい。結婚観も、母に近い合理的なものだ。そこは否定しない。しかし当時の私は六歳だぞ? もちろん逢瀬おうせなどとは考えていなかったし、ただ礼がしたかっただけだ。なのに勘違いで邪魔されて、自分の論法を押し付けられてはさすがの私もブチギレる。なので中学卒業と同時に家を飛び出してやった。婚約も一方的に破棄してな」


 包丁の刃を掲げて浮かべるのは凄惨せいさんな笑みだ。わぁ柳楽さんがまた悪い顔してるぅ。やっぱりコイツ怒らせちゃいけない人間だ。しかも根に持つタイプ。末恐ろしい。


「んで、それがどうして情報屋になるんだ」


 肝心のその話が無かった。と思ったらここからが本題だったらしい。柳楽は解凍した肉のパックをレンジから出してラップを剥がそうと格闘を始める。


「情報屋の仕事は小学生の時から始めていてな。貴君が私を呼ぶのに使った陣はその頃の物だよ。情報屋は両親にバレず効率的に金を稼げて、しかも動き回る必要がない、私の力でできる仕事だ。それに私は神が嫌いだからな。奴等が救わない人間を、私が奴等の力を使って救ってやろうと、傲慢ごうまんにも思ったのが最初だ」


 意外と不器用なのか、ラップを下から剥がすのを諦め包丁でいてしまう。柳楽の話はそれで終わりらしい。また絶妙に音程のずれた鼻歌を奏で始める。


 一方の俺は確かに最初の疑問は解消されたが、心に引っかかったしこりができていた。

 自宅のキッチンに立つ柳楽生徒を眺める背徳感のせいか、つい零した呟きは、自分で思ったよりも大きかった。


「まだ、その男を探してるのか」


 柳楽が家を出るきっかけとなった男。柳楽のヌイグルミを拾ったという男。柳楽にしては具体的な説明がなかったから、もしかしたら彼女も男のことを詳しくは覚えていないのかもしれない。なにせもう十年以上経っている。しかも六歳の時のことなら忘れていて当然だ。それでも、未だに彼女の中に居座るその男のことが、俺はどうしても気になった。


 なんだろう、このずっと成長を見守ってきた親戚のおじさんみたいな複雑な心境は。教師のさがだろうか。


 俺の声を拾った柳楽がゆっくり振り返る。その目元はおだやかに、口元にはうっすらと優しい笑みが浮かんでいた。


「いいや。もう出会えた。礼はまだだが、そのうちするよ」


「…………そうか」


 やっと絞り出して、背もたれに顔をうずめ表情を隠す。

 なんだろうなぁ、この釈然しゃくぜんとしない感じ。柳楽が思い出のきみと出会えていたことは喜ばしいことのはずなのに。


 それもこれも、柳楽の言い方が悪い。礼はそのうちって、今も連絡を取りあっているのか。たった一度の礼をするために? 俺の家に平気で上がり込んできたことも含めてもう少し危機管理というものをだな。ここは大人として注意すべき所なのでは――などと、否定の言葉ばかりがむくむく湧き出してくる。駄目だ、一度落ち着こう。


 肉の処理を終えた柳楽は鍋に水を入れ始めた。大きい鍋なので両手で抱えている。俺は立ち上がって水道の調節役を引き受けた。水を止めて柳楽が鍋を火にかける。すると今度は柳楽から質問してきた。


春高はるたか先生はどうして教師に? 結局一般企業に就職したようだが、大学では教職課程を専攻していただろう? なぜ教員免許を取ったのだ?」


 その辺の経歴はしっかり調べていたらしい。予想できていたことだ。俺も、自分の意思の無さに辟易へきえきするくらいなのだから、柳楽が俺のふらふらした経歴を不審に思ってもおかしくはない。


 とはいえ、改めて聞かれると恥ずかしいな。


「……まあ、あれだ。俺は周りに助けられることが多いからな。何か人に返せることと思ってたんだが、俺はこんな体質だろ? でも『知識』なら運に左右されずに役立てるんじゃないかってな。勉強は人並み以上にやってたし、それを後輩に伝えていくのは素晴らしいことだって、進路に悩んでた時に思ったんだ」


 言っててさらに恥ずかしくなってきた。我ながら青臭い理由だ。顔が赤くなってる気がするのだが、柳楽はそれを揶揄からかいもせず、むしろ我が意を得たりと満面の笑みで俺の背中を叩いて来る。


「なんだなんだ、同士だったか。私も、確固たる知識は神の気まぐれにさえ影響されない最強の武器だと思っている。それを活用する意義もまたしかりさ。気が合うじゃないか」


「……さいですか」


 あんま嬉しそうに言うなよ。なんか照れるだろうが。そう口の中だけで文句を洩らして、俺は柳楽から顔をそむけるのだった。


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