第二十六話 運命のつり合い


「崖から落ちたって? それにしては綺麗に捻挫ねんざしましたね。これなら全治一週間かからないっすよ」


「はぁ、ありがとうございます?」


 医者に捻挫を褒められた。骨折で綺麗な折れ方というのはよく耳にするが、捻挫にも良い捻挫と悪い捻挫があるのだろうか。


 痛み止めを貰って、手首にサポーターをはめる。手首は色の割には大したことはなかったらしい。仕事を休まなくてすむことに安堵して病院を出る。喜多霧は俺たちを病院まで送って帰っていった。


 俺の車は途中で俺のアパートへ寄って、奥沢おくざわに置いて来てもらった。どうせ今日はもう運転できそうにないので、ありがたい。奥沢も文句一つ言わず付き合ってくれたから、意外と良いやつなのかもしれない。喜多霧の笑顔に負けたうえ、柳楽が怖かっただけという可能性もあるが。


「そういや、柳楽はどこだ……?」


 先に帰ってもよかったのに、待っていると言って聞かなかった。診察の間になにやら電話を済ませると言っていたが……。


 いた。柱の陰になっている。黒髪をポニーテールにした後姿が見えた。


 近づくとまだ通話中らしく、スマホ片手に遠くを見つめている。


「うん、それでよろしく頼むよ。こっちも進展があったら報告する。それじゃあまた」


 柳楽はいつもより数段柔らかい表情で通話を切った。柱を廻って正面に立った俺に気づいて、すまないそっちは大丈夫だったかいと悩まし気に眉を八の字にする。


「ああ、ただの捻挫ねんざだったよ。お前は心配し過ぎだ。ところで誰と話してたんだ? やけに楽しそうだったが」


 通話相手を尋ねるなどマナー違反だが、柳楽があまりに微笑ましそうだったので気になって訊いてしまった。


 柳楽は疎むことなく、軽く答えた。


「杉岡神社のことで、呪術に詳しい子に相談していたんだ。私は生憎、は門外漢でね。私と違ってあの子は呪術の体現者だ。何か分かったら連絡をくれるらしい。間延びした口調の面白い子でね、話してるとこっちまでなごんでくる」


「友達か?」


「まさか。お互い相手を利用する時に連絡するだけの間柄だよ。彼女にも相応の立場があるからね。私としても彼女自身は気に入っているから交友関係を持つのはやぶさかじゃない。けれど彼女の後見人とはそりが合わなくてね。……だからあまり近づきたくはないのさ」


 後半になって柳楽の顔が苦々しいものに変わる。その後見人という人物のことがよほど嫌いらしい。確かに友達の保護者が苦手なタイプだと、友達とも疎遠になったりするからな。気持ちは分かる。俺も何度かそういうことがあった。特に社会に出るまでは、何かと保護者が出てくるし。


「それに、彼女は遠方に住んでいてね。実際に会ったのも一度きりだ。友人になれるほど互いを知る時間はなかった」


「……そうかい」


 柳楽の表情は、きっと本人が思っているよりもずっと残念そうにしているのだが、俺が口出しすることでもないだろう。人間関係の在り方なんて人それぞれだ。俺なんかは簡単に諦めてしまうが、柳楽はまだ若い。大人しく諦める性分でもないだろう。諦めずに胸の内に感情を持ち続けていれば、そのうち機会ができる。連絡先を知っているならなおさら。


「そうだ春高先生、訊きたいことがあったんだ。帰る前にちょっといいかい?」


 タクシー代がもったいないので公共バスの時間を調べていると、柳楽はまだ帰らずに俺の前に立っていた。


「貴君の周囲で、不幸な目に遭った人物はいるかな」


 こいつにしては随分ずいぶん曖昧あいまいな訊き方だった。俺は意味を取りかねて訊き返す。


「不幸? 俺の……友人とかでってことか?」


「うん。交通事故に遭ったとか、重い病気にかかったとか。家族の仕事が上手くいかなかったとか些細ささいなことでもいい。何かないかな」


 どこか懇願するようにも聞こえる口ぶりに俺は気圧されながらも記憶を探ってみる。大学の頃から遡って、高校、中学、小学校……。


「なかったな。驚くくらい平和だったぞ。学生の時もみんな無事に就職していったし、その後も悪い噂は聞かないな」


 結婚式には何度か呼ばれたが、葬式なんかは噂も聴かない。おかげで社会人一年目で買った喪服が一度も袖を通されず、クローゼットの中で腐っている。


 思い返せば、怪我をしたり事故に遭ったりするのは俺だけだった。俺がそんなんだから、周囲の奴らは自分のことを余計に注意するのだろうとは思っていたが。俺と関係ないところ、例えば家庭仲が悪いとかいう話も聴いたことがない。


 正直にありのままを伝えると、柳楽はそうかと呟いて拳を握り、それを口元にくっつけるポーズで考え込んでしまった。その様子は、自分の中に渦巻く疑惑と確信のつり合いを必死に取っているように見えた。


「…………やはり、貴君のその体質はただ不幸というだけでは説明が付かない。何か違和感がある。もう少し調べさせてくれ」


 鋭い瞳で深淵を探求するかのごとく宣言する彼女は、身の内に鮮烈さを宿し外面を悠然ゆうぜんで着飾っている。相反する態度が調和し、どこか神秘的だ。


 俺は場違いにもその様を、“美しい”とそう思った。まるで神々の住まう雄大で致命的な自然の有様と同じだと、柳楽だったら渋面をつくるだろう感想を抱いたのだった。



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