第二十三話 諱を教える意味は
さすがに会話も少なくなりつつ急な坂を上っていく。三十分かけて山道を歩くって言葉では簡単だが、実際やるとすごいキツイな。だって三十分ってあれだぞ、歩く距離二キロ超えだろ? 千メートルの二倍だぞ。息も切れて当然だな。
「大丈夫か
「いや……ちょっと……クソ
「休憩するかい?」
「そこ、車見えてるしな……」
ゾンビみたいな足取りで車に到着する。鍵を開けようとして俺は、重要なことに気づいた。
「柳楽お前、車の運転ができたりしないか」
「ドイツで国際運転免許は取得したが、あいにく期限が切れている。日本の運転免許は持っていない。それがどうかしたかな?」
「いやな……今腕を見たら動かせそうになくてな」
車を迂回してこっちへ来る柳楽に手首を見せる。さっきまでは何ともなかったはずの右手首が、今はどす黒い色に染まっていた。気のせいか膨張して太くなっているようにも見える。
何か痛いなーと思いつつ目を逸らしていたのがいけなかったらしい。せめて固定しておけばよかった。異常に気付いた柳楽が顔を青ざめさせる。
「きっ、救急車!」
「ここ圏外だったぞ」
「未開の地か
「大丈夫かなぁって。さてどうやって帰るかなぁ」
「貴君はのんき過ぎだ! どうみても駄目なやつだろう。私のせい……私のせいだよなそれ」
「これは俺の自業自得だ。……って聞いてないな」
柳楽はパニックになっているようで、丸めた拳に唇に押し当てるようにして思考しながら道を行ったり来たりしている。即死するようなものじゃないから、そんな気にすることでもないだろうに。
もしかしてこの状況だと怪我し慣れている俺のほうがおかしいのか? ああなるほど、車を置いて行くと何時間も歩きになるしな。木陰に遮られているとはいえ日光も強い。最悪熱中症になるかもしれないのか。
柳楽はまだ悩ましげにうろうろしている。
「もうそれしか……ううぅ……でも…………」
「お前は何を唸ってるんだ」
「はっ、話しかけないでくれっ。っぐぅ」
顔を真っ赤にして何やら思い悩んでいる様子だ。かと思えば俺の顔を見てテンパったり苦い顔をしたり。何をそんなに葛藤しているのか。
「なんか知らないが、俺に言いたいことがあるなら正直に言え」
柳楽になら今更なにを言われても平気だ。それはもっともな評価だろうから。そう思って提案したのだが、柳楽の言いたいことはそういうことではないらしい。さらに歯を食いしばったかと思いきや、突然
覚悟が決まったらしい。頬はまだかすかに赤くなっているが、表情は普段の冷静な柳楽のものに戻っている。
「貴君に今から私の
「いみな?」
「簡単に言えば真の名、という意味だ」
「なんだそれ、
もしや偽名か、と勘繰ったが違うらしい。
「それは親から付けてもらった名前だ。私の一族の女には、それとは別に神から
それはゲームで言うところのジョブの付け替えみたいなものだろうか。役職名を付け換えて能力を変えるみたいな? たぶん違うのだろうが。
「神から賜った
なるほど? あれか、魔族に覚醒するみたいなものだろうか。
柳楽が説明の途中にまた顔を赤くしていたのが気になったが、真面目な話みたいなので聴いてないなりに口をつぐむ。
「巫女の力を開放したら、私の身は神に近づく。つまり神の力を使いたい放題だ。雷神だって力を借り受けるだけでなく本物を呼び出せる。その傷もすぐ治せるぞ」
「おおっ、すごいな。さっそくやろう」
雷を呼んで傷も治すなんてすごい! 遠回しな説明じゃ分からなかったが、そう言われるとすごさが分かる。便利だなそれ。実は手首の痛みは相当なものだったから治るならさっさと治したい。
「ぬっ、春高先生はあれですね。女性にモテないタイプだろう。わりと気は利くのにデリカシーとか惜しい所で無いものなコノヤロウぅ」
「どういう意味だ?」
本気で悔しそうに地面を殴る柳楽に問いかけるが、答えてくれない。さっきから何だと言うのだろうか。大きなため息をついた柳楽は、表情を引き締め手ごろな小枝を拾う。
「これが私の
言って彼女が地面に書いたのは、字なのかラクガキなのか判別できない二文字だった。
これでも国語教師なので漢字は得意だが、こんな字は見たことがない。象形文字だろうか。変体仮名までなら辞書片手に読めるが、さすがに象形文字は専門外だぞ。
えーっと、一文字目は……『乃』から角を取ってニョロっとさせたのが二つ並んでいる。部首とつくりで別れてるとこまでは分かるが、なんだこれ。いや、つくりのほうは部首のほうより横棒が多いな。…………分からん。
二文字目はひと固まりだな。上の部分が『天』をデザイン書体にしたような形だ。下は、羊? しかし羊にしては一番下の横棒が足りない。
ふーむ?
「なんて読むんだ」
観念して頭を下げた。しかし返ってきたのは無慈悲な宣告だ。
「残念ながら私には名として発音できないようになっているのだ。自分で解読してくれ」
「ひっ、ヒントを。せめて四択くらいに。ファイナルアンサー!」
「そしたら今度はフィフティ・フィフティって言うつもりだろう。お見通しだぞ。あと私からは教えられないと言っているだろう。私も恥ずかしいのを我慢しているのだから、貴君も大いに悩みたまえよ」
と、そっぽを向かれてしまった。自分の名前教えるのってそんなに恥ずかしいことなのだろうか。ネットで知り合ってお互いハンドルネームしか知らなかった人に本名を告げる時の気恥ずかしさみたいなもんに近いのかもしれないな。
それにしても、読めないものは読めない。二文字だが音が二つとは限らない。可能性は無限にある。神がつけた名前なら、現代風ですらないかもしれない。だってあいつらの名前って無駄に長くて覚えにくいし。大学の講義でも苦労した。日本人の皆がまともに言えるのアマテラスさんくらいじゃないか?
今度は俺が
救世主が現れたのだ。
神社の方からゆっくり降りていった車がバックで戻ってきたかと思うと、左折してきて俺の車の横で減速して止まった。ここを車が通るのは初めてだ。しかもわざわざこっちの脇道に入って停車するとは。
何事かと二人で見上げると、運転席の窓が降りていく。
「やっぱり!
そう言って明るく顔を出したのは、柳楽の元依頼者、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます