第二十二話 舞う


 柳楽が動き出した途端、世界が一瞬にして澄み渡ったような気がした。


 視界は木の葉の隙間から差し込む太陽の光で目映いほどにキラキラと輝き、柳楽の一挙一動に合わせて脳の中で鈴や太鼓や笛が鳴る。それが四方から反響するように響いてくるのだ。本当は楽器なんて一つも鳴っていないはずなのに。


 柳楽の舞は決して激しい動きじゃない。なのにこんなにも胸に迫る。


 なぜこうも動きが伸びやかなのか。指先の先まで意識が行き届き、流動と停止の別がはっきりしている。まるで柳楽の四肢に付けられた糸を、天から誰かが操るようだ。それくらい動きは鮮麗されていた。


 俺だったら確実に体のどこかを痛めるだろう挙動を、柳楽は当たり前のように舞う。


「綺麗だ……」


 気がつくと、そう呟いていた。言ってはいけないことを言ってしまった気がしてハッとする。それで視線が柳楽から離れて、異変を感じた。辺りを見渡す。風も無いのに木々がざわめいている。鳥の声もしなくなっていた。


 柳楽は刺さった枝に囲まれた場所から出るなと言っていた。出ようと思っても体が拒否する。見えなくても、感じなくても、外には何かが集まっている。そう漠然ばくぜんと思う他なかった。


 柳楽がまたくるりと回転する。葉の隙間から見える瞳は俺を映してはいない。葉を留めている赤いリボンが揺れて、軌跡を残すようだった。


 その動きはやはり綺麗だ。和服ではなくただの私服なのに、その袖の動きまで舞の一部のようだ。服装は関係ない。場所も大きな舞台である必要はない。ただ柳楽がそこにあるだけで、もう完成された舞だった。


 どれほどの時間が経ったのか。柳楽をずっと目で追っていた俺には長い時間のように思える。


 柳楽が軽く膝をつき、祠に向かって頭を下げる。顔を上げたときにはもう舞の動きではなかった。それで終わりのようだ。消えていた周囲の自然音が戻ってくる。


 鳥がさえずり、木々が微風にゆれる。虫の羽音がどこかから聴こえてくる中を、柳楽が俺のもとに向かって歩いてくる。


 上手い言葉が見つからず放心している俺に、仮面を脱いだ柳楽が微笑んで手を伸ばした。


「さて、ここはもう大丈夫だ。車に戻ろう」


「…………もういいのか」


 もう少し見ていたい気がして、その手を取れない。目の前にいる柳楽が、どこか遠くに感じていた。


「貴君には見えないだろうが、御霊みたまは眠りについたよ。呪詛が撒き散らされることはない。それより気になることがあってな」


 俺の気など知らずにもう話を進めてしまう。俺は仕方なく柳楽の手を借りず一人で立ち、彼女の先導する方へ歩き出した。


「気になること?」


「ああ。貴君も見ただろう、あの祠を。あれは自然に荒れたのではない。人の手で、わざと御霊を怒らせるように荒らされていた」


「子供のイタズラにしては気に障る荒れ方だったのはそのせいか」


 ただ物をばら撒いていただけではなかった。悪意によって物を壊した感があったのだ。外にあるべきものを中へ、中にあるべきものを外へ。そういう統一されたちぐはぐさがあった。


 感じるのは、執念にも似た人の悪意だ。


「私はあれに何らかの意図を感じた。祠を壊すこと自体が目的とは思えなかったのだよ。犯人の目的はなんなのだろうか」


「さっき言ってた、人を粗暴にさせるとかじゃないのか」


「それは知識がある人間でなくては思いつきもしないがね。そうだとしても、理由が分からないのだよ。人がすさんでいくのを見るのが好きな異常者か? さっき鳥に訊いてみたが、そんな不審な人間を見たものはいなかった」


「カラスだけじゃなくて、そのへんの鳥とも話せるのか」


「猫や犬とも話せるよ。相手の知能に合わせた意思疎通程度だがね。昆虫や魚とは言葉を交わせないし。中途半端な力だよ」


「十分すごいだろ」


 俺なんか人間の、しかも日本人としか会話できないんだぞ。Siriとも会話がかみ合わない時あるし。むしろ人ともそう長く喋ることがない。若者と何を話せばいいのかわからなくてすぐ会話が途切れるんだ。


 言ってて悲しくなってきたな。


 そうして謎を残したまま俺たちは祠を後にした。もとの車道に戻ったのは、柳楽の言うとおりそれから三十分が経過してのことだった。


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