第二十一話 荒ぶる御霊


 とりあえずほこらを綺麗にするのだと指示され、俺は痛みの無い方の手で扉の建てつけを直していた。木陰で周りが木ばかりなので、太陽が遮られて涼しい。しかし中腰での作業は体の色んな筋が悲鳴を上げてしまう。何度か立ち上がって背伸びをする。


 その間にも柳楽は祠の中身を復元していた。ある程度見た目が復旧すると、柳楽は昔話を始める。


「この辺りは、合併前には小さな村があったらしくてね。名を湯上ゆがみ村という。室町の飢饉ききんのときに村人が暴走して地主の屋敷を襲ったことがある以外は平和な村だ。その飢饉の時は双方けっこうな死人を出したらしい。どちらかが全滅するまで徹底抗戦かと思われたその時、一人の勇敢な男の口利きで彼らは矛を収め、村は平穏を取り戻したそうだ。その男は村人から後世に英雄として語り継がれ、どこかにまつられたという」


「じゃあこれはその英雄の?」


 にしては地味だが。それともこういうものなのだろか。俺の予想に柳楽が首をふる。


「いいや、男は英雄と呼ばれはしても平民の出だ。都に名が届くほどではないから、そう盛大に祀られているわけじゃない。もはや地元の者にも忘れ去られて、今では男を祀る場所は誰も知らないのさ」


 柳楽もどうやら身を入れてその場所を探そうとしたことはないらしい。地元の人間が忘れてしまうのも仕方ない、時の流れの運命だろう。人の感謝なんか、本来は数年ともたないものだから。


 ではこの祠はなんなのか。柳楽はその問いに答える。


「ここは争いで死んだ者達のほうを鎮めるために作られた祠だよ。日本ではなぜか、権力を持っていたり高貴な人間の怨霊ほど強いたたりを引き起こすとされている。ここの規模が小さいのは、彼らがたいした身分でもなかったからだ」


「それは大学の講義でやったな。だから武士をひきいて親皇を名乗ったたいらの将門まさかどの首は空を飛ぶほど強力な悪霊になったって。今も将門の墓を移そうとすると事故が多発して手が出せないとか」


 古典の講師が将門ファンで、耳にタコができるほど聴かされたからよく覚えている。身分の高い人間の霊は時に天候すら操る。そんなことを言っていた。


「そうだ。逆に庶民がどれだけ死のうと屁でもないということだな。しかし地元の民にとってはそうじゃない。恨みを持って死んだ魂は生きている人間にを害を成すと考えられた。だからこそ、こうやってまとめて祀ってある」


「その祠がぐちゃぐちゃになってたから、その瘴気しょうきってのが出てたのか。ならこれで解決か?」


 元の姿を知らないが、とりあえず祠は片付いた。道具がないからこれ以上は手が付けられない。しかし柳楽は首を振り、祠から離れる。


「それだけじゃ足りない。一度荒ぶった魂を鎮めるには、それ相応の手続きをせねば。しかし今回は楽器も道具も無いからな。バッグは車の中だし……この身一つでなんとかしなくては。本来は、荒ぶる魂を鎮めるには祭りが効果的だ。御神楽みかぐら――神に捧げる舞――にも鎮魂に用いる種類があってね。後はヤシロを建てたりお札を貼ったり」


「それは……あの血を撒いとくだけじゃ駄目なのか」


「血とは不浄でありけがれでもある。私の場合は術を強制的に発動させるのに使っているだけだ。ここで撒いたら変なモノまで起こしてしまう」


 変なモノってなんだろう。いや聴かないほうが良い気がする。ここはスルーだ。一度帰って道具を持って来ればとも言ったのだが、もう一度ここまで来るのは面倒だと一蹴された。確かにこの辺は車も入れそうにない。また崖下りをするのは嫌だしな。


「なに、瘴気を出すだけで意識も無い低級の荒魂あらみたまなら、祭など催すこともない。すぐ片が付く。そうだな……舞による魂鎮ちんこんをお見せしようか。そうと決まれば貴君は煙草たばこでも吸っていたまえ」


「また煙草か」


 生徒の前じゃあんまり呑みたくはないんだけどな。ほら副流煙とか身体に良くないっていうし。PTAが怖いんだよ。


「私の舞は強烈だ。引き寄せてしまいかねない。衣装も道具もないからそれほど大惨事にはなるまいが。気休めでも煙を立てておくだけで効果はある」


 ニヤリと笑うその表情がちょっと怖くて、俺は大人しく煙草を咥えた。利き手と逆でライターを付けようとして失敗する。うまく力が入っていないらしい。


 見かねた柳楽が代わりに火をつけてくれる。そして俺の周りに、五本ほど木の棒を刺して行った。ちょうど円の真ん中に俺が居る形だ。


「おい、何で囲われてんだ俺は」


「気休め、気休め。そこから出てくれるなよ」


 そう念押しして、柳楽は祠の前に立ち呼吸を整える。顔には大きな葉っぱをくりぬいて、髪留めにしていたリボンを通して作った仮面をつけている。化粧の代わりだと言っていたが詳しい説明は聞いていない。


 ただ顔が上半分隠れて、口元を引き結んでいると急に雰囲気が変わる。心なしか周囲の空気もしんと静まり返っているようだった。


 静寂に息を呑む。柳楽がだらりと垂らした腕を鋭く振った。暫時ざんじ俺は、ありもしないのに鈴が鳴ったような幻聴を聴いたのだった。


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