第二十話 あわや
落下中に肺の中の空気を全部吐き出し、息を止めて身体を丸める。そうやって自分の身体を盾にした。腕の中の彼女だけは絶対に守らなくちゃいけない。この時の俺の頭には、それしかなかった。
計ってみれば数秒の滞空時間に過ぎなかっただろう。体感ではその何倍もの間内臓がひっくり返るような浮遊感に耐えていると、ついに地面に到達した。
最後にデカい幹に服を引っかけ、枝のしなりと共に背中から落ちる。衝撃が全身を駆け抜け神経がしびれるのが分かる。痛い。痛いということは生きているということだ。俺はほっとため息をついて腕から力を抜いた。
落下中は大人しくしていた柳楽が、途端にがばっと俺の胸から顔を上げる。
「――――生きているか先生っ!!」
耳が痛いほどの大声だった。顔を青ざめさせて、目には涙が溜まっている。よほど怖かったんだろうな。そのくせ第一声が俺の心配とは、恐れ入る。
「この通りだ。柳楽のほうこそ怪我ないか?」
腕を広げて笑って見せると、柳楽もようやく安心したようだ。強張っていた身体から力が抜け、表情が安堵に緩む。目じりにたまった涙が頬を滑った。その少女らしい表情と普段の様子とのギャップに俺は少し
だが柳楽はすぐに表情を引き締めてしまう。そして俺の上から降りて自分の体を点検し始めた。
「私の方は出血もないな。ああ、ちょっとだけ痛み……が…………。あれっ?」
「どうした?」
自分の足元を見て怪訝そうにしている。俺の人生で何度も見た顔だ。彼女の内に浮かぶ疑問に予測を付けながら尋ねると、案の定柳楽はわけが分からないという顔で首を傾げた。
「いや、枝が刺さって怪我をしたと思ったが、痛みが引いているし、そんな痕もない。勘違いだったか?」
「……そんなにすぐ傷が治るわけないし、ぶつけただけじゃないのか?」
彼女の脇に転がっていた血のついた枝をそっと隠して笑う。
その現象には心当たりがあったが、何となく適当に誤魔化した。柳楽もそれで納得してしまう。
「かもしれないな。落ちている時は貴君にしがみつくので必死だったし。しかし
言う割にはケロッとした顔で俺の身体を見始める。骨折は無し。血も吐いてない。できたのは軽い擦り傷と切り傷だけだ。服の至るところが裂けてしまって公道を歩けない有様になっているが、生きてるだけで儲けものってやつだな。
「こういうピンチには慣れてるんだよ。高校の修学旅行で、京都の三条大橋から落ちたこともあるしな」
「あれでどうやったら落ちるんだ。私は京都出身だが、あの橋から落ちた人間は六歳の時に一度見たきりだぞ」
俺の他にもいるじゃねえか。柳楽が六歳っていうと、今こいつが三年生で十八歳のはずだから十四年前か? 俺が川に落ちた翌年だな。年に一度は誰か落ちる川とかだったら面白いんだが。
「友達とふざけてたら足滑らせたんだよ。頭打ってて何も覚えてないけど――っとぉ、痛ってぇ」
右手を動かそうとして激痛が走った。どうやら手首をやってしまったらしい。動かさないようにして注視するが、傍目からはどうともない。
「すまない、私を庇ったから……」
「あー……軽くひねっただけだ。放っときゃ自然と治る」
心配そうに見上げて来る柳楽に、逆の手を振って笑う。余計な心配はかけたくない。柳楽の頭に付いた葉っぱを取ってやった。
「しっかし、ここはどこだろうな」
崖を見上げながら頭を掻く。俺たちが落ちてきて折れまくった枝々の向こうに、さっきまで居た道がある。校舎を見上げるくらいの高さはあるな。手首のことを差し引いても登れそうにない。
高さもそうだが土が登るのに向いてない。落ちて気づいたが、ちょうど土が柔らかくなってて体重をかけると崩れるようだ。そのおかげで怪我が最小で済んだとも言えるが、そのせいで落ちたとも考えると感謝する気にはなれない。
どうしたもんかと頭を抱える俺とは違い、柳楽は冷静に辺りを見渡し拳を唇に押し当て、ぶつぶつと何事かを呟いている。
「さっき登ってきた道とは違うな。目の前に山道があるから遭難とまではいくまい。ええっと、北があっちで道がそこだから……。うん、三十分ほど歩けば元のルートに戻れそうですよ」
「すげえなお前」
まさかこの辺の地図が頭に入ってんのか。情報屋ってのは
「このくらいは当然さ。まあ情報屋とは必ずしも自身が博識である必要はないのだがね。専門の知識を持つ人々と幅広く繋がりを作り、結果的に誰より早く確かな情報を得る。それが現代の情報屋の在り方さ。私はそこいらの情報屋なんかとは格が違うから、地理程度は把握済みだが……」
胸をそらして先に行ってしまっていた柳楽が言葉の途中で立ち止まる。その視線の先には
その観音扉が開かれて、中の物が散らばっている。
「ははっ、
一人笑い出した柳楽が俺の視線に気づき、少年のような勝気な顔で祠を示した。
「
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