第十六話 拝啓母上様


 俺は昔から運が悪かった。


 外出すれば雨が降り、近道すれば工事中。映画を見に行こうとすると電車が止まり、好きになった人は必ずイケメンと結ばれる。自販機で炭酸飲料を買えば空高く噴射し、楽しみにしていた料理は品切れで、遠出をすれば臨時休業日。高校のときは就学旅行で橋から落ちるという大事故までやらかした。


 俺としては勘弁してほしいのだが、周りからすれば愉快に見えるらしく、こんな人生を送りながらも友達は多いほうだった。なにより不幸な目に遭うのは俺だけだ。友人を巻き込むことはほぼ稀で、あっても笑えるような範囲のことだった。


 学生の時は、周りが率先して怪我の手当てとかしてくれてたな。


『春高がまた怪我したぞー!』


『保険委員呼んでこ――あっ、嶋津しまずさんと長正路ちょうしょうじ良いところに〜! ちょっといい?』


『ん? あー……また春高君か〜。もう私たち春高君の専属保険委員みたいになってるよ。そろそろお給料請求したいくらい』


『……柘弦つづる君、今度は何したの』


『いや、今回は僕のせい。僕と一緒に階段から落ちてジャーマンスープレックスになった』


『それでよく擦り傷で済んだね』


 ――そうやって、むしろ周りが笑い話にしてくれるから救われていた節もある。


 幼い頃から骨を折りまくったおかげか身体は丈夫で、必死に受け身を練習したので今のところ死ぬほどの不運に見舞われたことはない。それでも、自分の努力と無関係な所で失敗が積み重なるのは、いい気分ではなかった。


 例えこの体質をそういうものだと諦めていたとしても、治せるものなら治してしまいたい。それは偽らざる本音だ。だから俺は、あの時くだらないと思いつつも魔法陣に血を塗ったのだろう。


 そのおかげで柳楽なぎら|紗希《さきの素顔を知れたのは幸運に思う。本音を言ってしまえば、素の柳楽と話すのはけっこう楽しいものだった。


「と考えていた時が俺にもあった」


「突然何を言い出すんだ貴君は。ちょっと不意をついて同席したまでではないか」


 日を跨いで土曜日。朝から出かけようとすると、柳楽が駐車場で俺を出待ちしていた。無地の紙袋をげた手をひらひら振ってくる。


 今日の柳楽は落ち着いたシャツに線の出るパンツを履いている。すらっとした体形をしているから、そういうシンプルなデザインが良く似合う。


 紅いひもで髪をまとめてポニーテールにしているのも珍しくて良い。あんなので髪がまとまるのかと思えば、ゴムの上に結ぶ飾り紐のようだ。歩くたびに紅が揺れて鮮やかだ。


 それが目の前で褒めて欲しそうにくるくる回るから、眼福だったり目の毒だったりする。言葉にしたら余計に意識してしまいそうだ。ほれほれと感想を求める柳楽を適当にやり過ごし、俺は抵抗を諦め車を出発させたのだった。


「それで何しに来たんだよ。今日は午前いっぱい用事があるから相手できないって言っただろ」


「交際五年目のアベックみたいなあしらい方はやめたまえ」


 アベックって……。それ死語ってこのまえ話題になってたぞ。なんでJKが知ってんだ。情報屋ってのは古い言い回しも扱ってんのか。俺ですら世代ギリギリ外れてるのに。


「要件は先に告げた通りだ。貴君からの依頼に関わる」


「俺の不運体質を治す方法を調べてくれ、か」


「うん、貴君の不運は紛れもない事実のようだ。幸不幸は神の領分。私におあつらえ向きの依頼だとも。しかし情報が足りない。見た限り呪いの類でもないようだし、その体質の原因が分からないんだ。だから、貴君の人生を知る者に直接話を聞きたかった」


「ついて来てもお前の知りたいことは分からないと思うぞ」


「どういうことだい?」


「調べてないのか」


 てっきり俺の事どころか三親等以内の身内の恥まで把握されてると思ってたんだが。意外だ。


「何か誤解されているようだな。依頼人に関しては、基本的に危ない臭いがしない限り周辺の人物のことまでは調べないからな? せいぜい関係性の定義くらいだ。その辺りは人付き合いのエチケットだよ。私が情報を重視するのは武器にするためだ。取り扱いを間違えれば相手を傷つけるだけ、無闇に調べればいいという問題でもない」


 その代わりに本人のことはしっかり調べ上げるということか。柳楽の方針に納得がいった。


「ところで何処どこに向かっているのだ?」


 舗装ほそうのボロい山道に入ったことで柳楽が首を傾げる。そう言いつつも大して気にしていない素振りだ。行先の見当くらいはついているということか。


「もう見えてきたぞ」


 山道に入って五分、自宅から車を走らせること二十分ほどで、真っ白い建物が姿を現した。四階建ての病院にも似た建築物。広い駐車場を持ち、隣接する中庭ではエプロンを付けた朗らかな女性が車いすを押していた。


「有料老人ホーム『ひのもと』か」


 看板を読み上げる柳楽に沈黙の肯定を返し、車を停める。並んでエントランスに入り受付を済ませると、柳楽が俺の袖を引いた。見ると例の紙袋を俺に差し出している。中にはゼリーの詰め合わせが入っていた。


「心ばかりだが」


 なんだ、やっぱり知っていたんじゃないか。


「ご丁寧にどーも」


 首だけの会釈で笑い三階の一室の前に立つ。毎週来ているのに、この扉を開けるにはいつも覚悟が必要だ。深呼吸をし、口角を上げたままの表情で顔を固定する。


 ノックを三度、中から「はあーぃ」と聴こえ、俺は扉をスライドさせた。


 部屋はビジネスホテルくらいの広さだ。ベッドと簡単な棚が備え付けられており、窓際には木製の椅子が一つあった。


 その椅子には一人の老女が座っている。小柄で痩せており、髪は一面真っ白だ。ぼんやりした顔で折り紙を折っていた老女が俺たちの入室に気づいて顔を上げる。


「誰かなーぁ?」


 緩慢かんまんに問われる。だが言うほど気にしていないようで、返事を待たずに手元の折り紙に目を落とした。


 俺はそれに曖昧に笑い、隣の柳楽にこっそり老女を紹介する。


春高はるたか津根つね。今年で七十三歳になる。十年前からここでお世話になっててな。もう息子の顔も忘れてるが、正真正銘、俺の母だ」


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