第十三話 成り代わった女


 十八時を過ぎた頃、野島は女を駅まで送って帰って行った。なんちゅう健全なお付き合いかと思ったが、柳楽なぎらによれば、野島も無意識に違和感を覚えているのだろうということである。


 まあそうだよな。本当の好みから真逆の人間とは、あまり長時間いっしょに居たいとは思わないだろう。


 柳楽が女の買った切符を確認し、車で先回りする。有料駐車場に車を預けると女が駅から出てきた。


 そこから先は尾行だった。柳楽と共に女の跡をつける。一人だったらきっと通報されていただろうが、今は柳楽と一緒なので安心だ。


 コイツと一緒に居て安心するなんて、この二日間で随分慣れてしまったものだ。


 女もまたアパート暮らしだった。住んでいるのは一階だ。女が鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだところで柳楽が茂みから飛び出した。


「こんばんは、お嬢さん。少々お話をいいかな?」


 玄関に上がり閉めようとしていた扉の隙間に、柳楽が足を滑り込ませる。女は柳楽を胡乱うろんな目つきで見返した。なんだコイツはと言いたげである。


 しかし、後から来た俺を見て顔色を変える。少女一人だと思えば男が来たのだ。身の危険を感じたらしくドアノブを握る手に力を込めた。


 強く足を挟まれても柳楽は引き下がる様子がない。手の力も使って扉をこじ開けながら、女の顔を見て言い放った。


喜多霧きたぎり夕子ゆうこの件で話が聞きたい」


 その言葉は女にとって衝撃だったらしい。顔が青ざめ一瞬力が抜ける。それを見逃す柳楽ではなかった。女を奥に突き飛ばし、自身も素早く中に入る。俺も静観してばかりはいられない。閉まりかけたドアに身体を押し込んだ。


 背後で扉の閉まる音が聴こえ、部屋の明かりがつく。女は奥に逃げ込んだようだ。柳楽と共に靴を脱いで中に入る。


 物が乱雑に置かれた雑多な部屋だった。喜多霧の部屋とはやはり印象が違う。女は部屋の真ん中で、両手に収まるくらいの木箱を抱えてこちらを睨みつけていた。


「なんなのよアンタたち。あの女に言われて来たの? 人の家にまで上がり込んで。通報するわよっ」


 女は髪の毛を振り乱し怯えたようにスマホを掲げるが、柳楽は冷笑を浮かべて取りあわない。


「なるほど、呪いの核はその中というわけか」


「なっ――――!」


 柳楽の貫くような視線に反応して、女は身体に隠すように上半身を捻り、箱を抱きかかえる。


「なんで、何を、アンタらなんなのよお」


「答える義理はないな。ただ、私達は君のあやまちを知っている。君はなぜ喜多霧さんから名を奪った。そんな方法どこで知った?」


「なんでそこまで知って――」


「いいから言ってみたまえ」


 落ち着かせようというのか、柳楽は両腕を開いて女を迎合する体勢になる。だが女は柳楽の行為を嘲笑うかのように吐き捨てた。


「だって邪魔だったのよあの女。野島君を先に好きになったのはあたしだったのに。あたしの方が仲が良かったのに。あの女ばかり良い目見て。だから奪ってやったの。良い気味だわ! そういえばもうずっと見てないわね。ショックで寝込んででもいるのかしら!」


 唾を散らして女はせせら笑う。醜い。そう思った。野島がこいつを選ばなかったのは当然だ。喜多霧と比べてこいつは、人としての格が二つは下だろう。隣の柳楽も思う所があるのか、その端正な顔をしかめている。


 そして同時に気付く。この女は、喜多霧が今どういう状況にあるのか知らないのだ。


 女は俺たちの態度が気に障ったようだ。唇を戦慄わななかせ、視線で人を殺さんとするように睨みつけてくる。


「もう後戻りなんかできないんだ……。そうだ、だから私の幸せを奪うやつは、みんな消してやる!!」


 そして女は、俺たちに襲い掛かった。手に持った木箱で柳楽に殴りかかろうとする。俺はとっさに前に出て女の腕を掴んだ。


「やめないか!」

「うるさい黙れ! 男がしゃしゃり出てくんなあああ!!」


 身長は女のほうが低いのに鬼みたいな形相で怒鳴られると威圧感が何倍にも感じる。加えて女性の細腕からは考えられない力で俺を押し返そうとしてきた。


「あああああ!」

「なっ!?」


 絶叫に気圧された瞬間、隙をつかれて押し飛ばされる。

 背後にあったローテーブルに膝を強打しもんどりを打った。嘘だろ!? これでも三階の高さから落下しても生き残れる受け身を会得するのに柔道を五年習ってたんだぞ!? あんな細身で大の男を吹き飛ばすなんざどこにそんな力がっ。


「大丈夫か春高先生」


「気をつけろ柳楽、あいつゴリラだぞっ」


 中腰で俺を覗き込む柳楽に悲鳴まじりの忠告を飛ばす。しかし柳楽は涼しい顔で俺を下がらせた。


「野生動物ではなかろう。だが……ああ駄目だね、怒りに呼応した呪術が彼女を飲み込み始めている。呪詛にまかれて正気も失っているな。これではこちらの言葉が届かない」


 女は肩で息をしながら俺たちを睨みつけている。まるで鬼だ。その口から漏れるのは言葉ではなく唸り声ばかり。

 俺にその呪詛とやらはもう見えない。だが、この女が正気を失っているというのには同意だった。理性ある人間にあんな表情ができるわけがない。


「仕方がない、あの邪魔な呪詛を剥がすか。春高先生、少し離れていたまえ」


「何をするんだっ!?」


「少々荒療治を」


 言って口を薄く開き、また呼気で言葉をつむぐ。


「頭に大雷オホイカヅチ、胸に火雷ホノイカヅチ、腹に黒雷クロイカヅチほと析雷サクイカヅチ黄泉津ヨモツ大神オホカミに鳴りし雷神が内四柱よ、けがれ払いて焼き尽くせ!」


 柳楽が鋭く両手を合わせ音を鳴らす。すると室内だというのに稲妻いなずまが走った。

 轟音と共に鳴った光が女に直撃する。


「がっああ!?」


 雷に撃たれた女の悲鳴が起こる。

 目の前で起こった超常的な現象に、俺は馬鹿みたいに口を半開きにすることしかできない。柳楽は肩にかかった長い黒髪をわずらわし気に払って、女を一瞥いちべつした。


黄泉よみの雷神は激しかろう。安心しろ、焼いたのは呪詛のみ。これで少しは話ができるかな?」


 よく見れば確かに、女は雷に撃たれたというのに焼けてもいなければ焦げもない。女自身も傷一つない事実に呆然としているようだ。しかし柳楽の声に我に返ったのか、また俺たちを睨みつける。


 その眼には混乱と、行き場のない怒りとが悲し気に渦巻いていた。


「なっ、あ、なんなのよ……。私は、私はただ―—!!」


「っまた―———!」


 悲痛さを交えて女が柳楽に掴みかかろうとする。俺は急いで身を起こし間に入った。腕を掴んで動きを抑える。そこにさっきみたいな力はない。腕力も女性のものだ。しかしとにかく暴れるので組み伏せるまでには至らない。


「……春高はるたか先生、放していいですよ」


 歯を食いしばって女を押さえていると、後ろからそう声がした。怒りを抑えた低い声だ。どうするのか分からなかったが柳楽を信じて手を離し、横に避ける。俺という支えを失った女が前のめりにふらついた所に、柳楽が回し蹴りを叩き込んだ。


「なっ!?」


 唖然あぜんだった。柳楽のきれいな足が顔面に吸い込まれていく。まともに蹴りを喰らった女が吹き飛んだ。


 箪笥たんすに激突した女は何が起こったのか分からず混乱した様子で顔を上げる。


 そこには、こめかみに青筋を浮かべた柳楽の姿があった。


 柳楽が女の胸倉をつかむ。怒りを爆発させるように眉間のしわを深めた。その眼光は相対する者の背筋を凍らせてもまだ足りない。


 誤解していた。ずっと飄々ひょうひょうとした態度を取っているから、彼女に仕事以上の感情はないのだと。


 だがそうではなかった。


 柳楽紗希は俺が思うよりずっと、この女の所業に激昂していたのだ。


「名とは人がこの世に生を受けて初めて与えられるたっとたまわり物だ。貴様のような人間が、私欲で他者から奪っていい道理はない!」


 普段の彼女からは想像もできない怒声だった。その一喝で女は戦意を喪失したようだ。身体から力が抜け、呆けた顔で涙を流し始める。柳楽も彼女にこれ以上用はないらしく、汚らわしい物でも払うように女の胸元を手放した。


 その隙に俺は女の落とした木箱を拾い上げる。小さな箱だ。何が入っているのかと見ていると、柳楽が「開けてみたまえ」と力なく許可を出す。


 俺は好奇心もあって、止めればいいのに素直に蓋を取ってしまった。


「うげっ、これは……」


 そこに入っていたのは俗に言うわら人形だった。人形は至るところを斬りつけられ、数えるのも胸糞悪くなる本数の短い釘が刺してあった。人が人を呪う道具として知られている分、視覚的にも刺激が強い。


 藁人形の下には数枚のお札が敷いてあった。俺の知っている神社のお札もある。山尾の部屋でも見たものばかりだ。流行はやっているのだろうか。


「そっちが喜多霧さんというわけだろう」


 柳楽の方を見ると、女が待っているバッグから人形を取り出すところだった。それはこっちみたいに雑なわらではない。フェルトに綿を詰めて作った人形だ。


 その頭には二枚の紙切れが縫い付けられている。下の一枚には女のものと思われる名前が。その上の一枚には、『喜多霧夕子』と書かれていた。


「なるほど。人形を本人に見立てて名を付け換えたわけか。胸糞悪いな」


 吐き捨てるように言い、俺の持つ藁人形も受け取ってテーブルの上に置く。例の小瓶を取り出して中身を全て人形の上に振りかけた。


火産霊ホムスビほむらよ」


 柳楽が何事か呟き手をかざすと人形に火がついた。恨みによって作られた人形が一瞬で焼け朽ちてゆく。


 火は燃え広がることはなかった。人形の消失とともに掻き消える。それを見届け、柳楽はまた女を一瞥いちべつした。


「ふん。この私がわざわざ黄泉よみの雷神の力を借り受け炎を招いたのだ。しばしこの部屋には黄泉よみの国の瘴気しょうきが出るだろうが、知ったことではないな。下劣げれつな性根に相応しい見目みめと成り果てろ」


 胸の憤りを吐き出すようにそこまで言って、ふとこう付け加えた。


「私がたったこれだけで貴様を見逃すのは、喜多霧さんが犯人を罰する意思はないと言っていたからだ。その意味をよく考えるがいい」


 その瞳には、いまだ怒りが燃え盛っている。名を奪うという行為がよほど気に入らなかったらしい。


 眉間にしわを寄せる少女の横で俺は秘かに、柳楽の逆鱗げきりんには触れないよう気を付けようと心に誓うのだった。


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