第十二話 呪いの正体


 十五分ほど車で待機していると、頭上で硬い物が車体を叩く音がした。出てみると写真をくわえたカラスだった。どうやら野島を見つけたらしい。


 こうして俺は、カラスに先導されて車を運転するという世にも珍しい経験をすることとなった。


 横で柳楽なぎらが「どうだい、私の力は」とふんぞり返っていたが、道じゃない所で急に旋回する鳥についていく俺としてはそっちにまで反応を返せないので黙っていて欲しかった。


 無駄に迷いながらやっとたどり着いたのは、近所のショッピングモールだった。スーパーとアパレルショップ、それと数種類の専門店が入った、中規模の複合施設だ。俺もたまに買い物に来る。


 なるほど。このあたりでデートなら手ごろな場所だな。


「ここか。ありがとうカラス君。君たちの貢献は計り知れない。感謝する」


「それはいいが、その写真めっちゃくちばしの型付いてっけどいいのか?」


 借り物の写真にはカラスのくちばしに沿って穴とくぼみができていた。俺に言われて初めて気づいたらしい柳楽は、写真を確認して、しばし目をつむる。心中の葛藤が透けて見えるようだ。脳内で問答を終えた柳楽はいっそすがすがしい笑顔で俺を振り返る。


「なに、今件を解決すればこの程度は水に流してくれるだろう。喜多霧きたぎりさんはあれほどたわわな胸部の持ち主だ。ふところも広いに違いない」


「やっぱお前の中身エロオヤジだろ」


 屋上駐車場に車を停め、エレベーターで下に降りる。平日なので人は少ない。買い物中の主婦ばかりなので男女のカップルは探しやすそうだ。


 とはいえ二階建てのそれなりに広い敷地。夕暮れも近いからいつ野島たちが帰ってしまうともしれない。今日中に事を終わらせるには、早く見つけなくては。


「さて、若い男女が行くところとなると、どの辺りであろうな?」


「三十過ぎたおっさんに訊くな。お前のほうが歳は近いだろ」


「いやなに、私の感性は一般的なものと少しズレていてな。ゲームセンターより古書店に興奮する性質たちの人間には、恋人同士の行先など想像もつかない。……早く見つけねば喜多霧さんの精神に限界が来てしまうというのに」


 マイペースに見えて柳楽も焦っているのだ。適当に施設内を散策するがそれらしい人物は見つからない。最初からここにはいないんじゃないかとすら思えて来る。カラスが野島を見間違えたとか。


「見つからないな。どうしたものか……」


 柳楽の顔に焦燥が浮かぶ。俺も周りを見渡すが見つからない。それにしても、平日なのに子供がいるな。小学校に上がる前の奴らか。親の静止も聞かずに走り回って……なんでこっちに来るんだおい。


 六歳くらいの男児がよそ見をしながらこっちに駆け寄ってくる。避けようと思ったが、俺が退けると後ろの柱に子どもがぶつかりかねない。受け止めるしかないだようだ。


 俺は仕方なく、まっすぐ俺の腹に駆け込んでくる男児の肩を掴んで止めようとし――


「あっ」

「ごおぉっ!?」


 直前で前のめりに倒れた男児の頭部が俺の下腹部に衝突した。脳髄にまで衝撃が駆け抜け視界がチカチカとまたたく。謝罪も無しに走り去っていくクソガキを明滅する世界で見送って、俺はその場にくずおれた。


「……春高はるたか先生、貴君はお茶目属性かドジっ子属性をひけらかす趣味でもあるのかね」


「……んなもん…………ねえ、よ」


 あるわけねえだろそんな属性。あと話しかけんな喋ると響く。


 しかしいつまでも倒れ込んではいられない星の下にあるらしい。柳楽が息を呑む気配がする。なんとか顔を上げると、丁度エスカレーターを上がってくる若い男女のカップルが見えた。


「あれで間違いない、追うぞ」

「えっ、待ってむりぉぉおおお」


 腕を引っ張り上げられ無理矢理に歩かされる。見ようによっては俺の腕に柳楽が抱き着いているようにも見えるだろう。今がまだ学校の時間帯でよかった。知り合いに見られてたら通報されてる。


 距離が近いと文句を言う余裕もないまま野島たちを追いかける。野島の隣には、確かに一人の女がいた。


 歳は喜多霧と同じくらいだろう。髪が長く明るい茶色に染め、人をねめつけるような目つきをしている。薄い唇には濃いルージュがひかれ、けばけばしい印象だ。喜多霧とはタイプが違う。胸部の圧力も微々たるものだ。


 周りの奴は本当にあれを喜多霧と認識してるのか?


 仲睦まじいのに何かちぐはぐなその姿に、柳楽は俺と違う感想を抱いたのだろうか。眉のあたりを歪めて、皮肉げに嘲笑を洩らす。


「ははっ、あれは酷いな」


「何がだ?」


「ああ貴君には見えていないのだったな。見てみるか? 一度くらい構わんだろう」


 柳楽はスカートから小さな小瓶を取り出した。中には赤い液体が入っている。柳楽はそれを指に少量取り、俺の額に塗りつけ、唇を動かさず呼気だけでなにやら呟いた。


「使人見鬼之術――我、この者に見鬼けんきを分け与えん」


 直後、俺の視界に変化が生じた。野島の隣にいる女の周りに轟轟ごうごうと渦巻く真っ黒いすすけた闇のようなものが見える。


 あんなものは初めて見た。確かにそこにあるのに、全く奥行きが掴めない。『不吉』を物質にするとあんな感じだろうか。それが流体のように女の周りを漂っている。


「なんだよあれっ……キモっ」


 背筋に寒気が走って鳥肌を立てる。柳楽が俺の額を拭うと、あの闇が見えなくなった。どうやら俺にあれが見えたのは赤い液体と柳楽のおかげらしい。


「あれは呪い、あふれ出た呪詛じゅそだよ。学問や一つの技術として体系づけられた呪術を学んだならば、あの無駄な呪詛も方向づけられ対象へ向かう。しかし彼女が使ったのはそんなものではないらしい。素人が怨念だけで人を呪ったのだ、効率化などされていない。余分な呪詛は絡み付きいずれ本人を傷つける」


 軽蔑と悲哀を織り交ぜ語る柳楽の表情に、さっきとはまた種類の違う悪寒が俺を襲った。


「人を呪わば穴二つ。貴君も訊いたことがあるだろう? 他者を追い落とすのに便利と使えば、破滅するのは自分自身なのだよ」


 それこそが呪いの正体なのだと、柳楽は毒づく。その顔が、言葉が、俺にはどうも恐ろしくてたまらない。


「ところで、さっきの赤い液体はなんだ?」


 冷や汗を掻いてしまったので、そう話を逸らした。すると柳楽はこともなげに言う。


「あれは私の血だよ。神に愛された女の新鮮な血液だ。あらゆる術の触媒となるのさ。ちなみに、舐めたらそこらにいる八百万やおよろずの低級神くらい安易に見えてしまうだろうから気を付けたまえ」


 そんなもの人に塗りつけるなという文句は、たぶん通じなさそうだったから。そっと心の中に仕舞うことにした。


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