第九話 己が存在


 話を聞き終え、明日また来ることを約束して喜多霧きたぎりのアパートを出た。何やら考え事をしている柳楽なぎらと共に車に乗り込み、シートベルトを締める。


「……それにしても喜多霧きたぎりさん、大きかったな」


「何がだ?」


「何をほうけている。貴君も見ただろう。胸だ!」


「はあっ!?」


 聞き間違えたかと思ったがそうではないらしい。柳楽は架空の胸部をなぞるように、両の手のひらを大きく動かしている。


「男ならあれから目を離せるわけがないだろう。だってあれだぞ、もはや小玉スイカを詰め込んでいるのかと疑うほどの大きさだったのだぞ? 私はどさくさに紛れて触ったから本物だと分かるが」


「触んな、変態かお前は。そして俺にそんな話を振るな」


 反応に困るだろが。しかし必死に迷惑そうな顔を作る俺への配慮ゼロに柳楽は拳を握る。


「あれは何カップだろうな。私がDだから……G? H? もしやもっと上か!」


「何をのたまっとんだ」


 あああクソ。覚えちまったじゃないかよDって意外にデカいな着やせするタイプですかクソぉ。


「失礼。同じ女でも、あれほどの巨峰きょほうとなると少し興奮してね」


「ブドウみたいに言うな」


「安心してくれ、私は同性に恋愛感情を抱いたことはない。下心は皆無だ。恋人持ちの彼女を狙っているわけではないとも」


「お前の趣味嗜好なんぞどうでもいい。つうか今のお前だいぶオヤジ臭いぞ。学校でお前に夢見てる奴らが見たらショックで廃人になるんじゃないか?」


 顔だけは良いんだから。いや、学校だと態度も良いな。「ですわ」はまだしも「ごきげんよう」は言いそうだし。なんで中身こんなんなんだろうか、コイツ。


 柳楽は学校の有象無象など一向に気にしていないらしい。


「夢は夢さ。本人の中でのみ完結しているのだから、私の本性など関係あるまいよ。しかし貴君は少しも興奮しなかったのかね。貧乳のほうが好みかい?」


「違う。……ただ、あまりデカすぎると凶器に見えてくるっていうか」


 身体のラインからはみ出し過ぎて、人体の一部とは思えないのだ。


「なるほどな。確かに女性の胸に詰まっている脂肪は、Gカップだと両胸合わせて二キロ程度だと言われているからな」


「やっぱダンベルじゃねえか」


 そんなんを常日頃から持ち歩いてんのか。少年誌の修行を年中いられてるのと同じだな。そりゃ肩も凝る。


 女の人って苦労してるんだな、と謎の感慨にふけってしまった。

 というより、なぜ俺は女子高生とおっぱい談義をしなくちゃならんのだ?


「それより、お前に訊きたいことが沢山できたぞ」


「ほう、おっぱいより私に興味があるのか。それとも私の胸部に?」


え」


 微塵みじんも、無い。未成年は対象外と何度言わせる。


「冗談だ。そんな恐い顔をするものではないでしょう、クセになってしまうぞ。――分かっている、私のことだろうとも。喜多霧さんの言う通り、私は巫女だ。正確に言うと代々巫女を継いできた家系の末裔まつえいでな。だから肩書としては分かりやすく、巫女を名乗っている。まあ副業のようなものさ」


 巫女……。さっきのオヤジ臭い言動を忘れれば、まあ似合っていると言えなくもない。もともと学校でのコイツは大人しく、聡明な印象が強い。長い黒髪も相まってはかまが似合いそうとは思う。


 だがこうして本性を知ってしまうとどうしてもなぁ。


「神に仕えるとかは、無理があるんじゃないか?」


「なんだその優しく諭すような目は。別にコスプレをするわけではないぞ。役割の問題だ。私は特定の神に仕えているわけではない。神の声を聴き、全てを見通す稀代きだいの巫女だ」


「それは、何か違うのか?」


「きっと、そのうちわかる。それよりこの話は本題とズレるな。次に行こう」


 最初に話ズラしたのはお前だろ。そう思ったが、俺は優しい大人なので指摘しない。


「次ってなんだ?」


「喜多霧さんの抱える問題についてだよ。名を奪われる。その話をした時、貴君は不思議そうな顔をしていただろう。説明は必要かな?」


「そうだな。よく理解したわけじゃない。もう一度頼む」


 柳楽は了解と頷いて話し始めた。


「『名』とは古来より重要な意味があってな。名づけにも一定の作法があり、赤子は名前を持って初めて存在を確立させるのだという地方もあったほどだ。名は己の存在そのものなのだよ」


「名は体を表す、みたいなことか」


 思いついて言ってみる。すると柳楽は優秀な生徒を見るように嬉しげに笑った。


「その通り。だからこそ昔は子供を幼名で呼んだ。まだ弱く幼い者をよくない存在から守るために。だが今は仮名かりなという習慣はない。名乗る名前がそのまま当人のいみなだ。つまり名を奪われるということは、その存在──立場そのものを奪われことに通じる。今も時々だがあるだろう、他人の名をかたってその人に成りすますことが。考え方はそれに近い。今回のものはさらに呪術寄り、いや、呪術ほど体系化されたものではないか。人の強いうらねたみによる呪いだろうな」


「…………」


 呪いという言葉に拒絶感を出しそうになったが、堪えた。あれほどやつれた喜多霧を見て、しかもあの後、彼女が外に出られないのを実際に見せてもらっていた。これで意見を変えない程、俺は大人げなくはないつもりだ。


 続きを促す俺の視線に柳楽はやはり視線で応えて、今しがた出てきたアパートを見上げる。


「名を奪われた喜多霧さんは、世間に自分の存在を認知されない。だから部屋から出ることができないのだ。部屋が彼女の存在を固定し安定させる結界代わりになっている。だから逆に考えて、外にはいるはずだ」


 何が? とは聞かなかった。ここまで説明されれば、さすがに気づく。


 柳楽はアパートから視線を戻し、真剣な眼差しで俺を真っすぐ貫いた。


「今現在どこかに、喜多霧夕子ゆうこかたって過ごしている不埒ふらち者がいる。喜多霧さんから大切な名を奪った犯人はそいつだ。さて春高はるたか先生、貴君は明日受け持ちの授業が無い日だろう? 昼から少しばかり付き合ってはくれないかね」


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