第七話 すがる思い


 辿り着いたのは一軒のアパートだった。もちろん山尾の所とは違う。二階建てで部屋数は各階五つほど。山尾のアパートや俺の住むマンションより新しくて、手入れが行き届いている印象がある。家賃いくらなんだろう。


「今回の依頼者はここの203号室に住む女性、喜多霧きたぎり夕子ゆうこさんだ。独身で一人暮らしだそうですよ」


「余計な情報――でもないか。一人暮らしの女性の部屋に男が行って大丈夫なのか? 車で待っていようか」


「一人で帰ろうという発想が出ない貴君は良い人だな。その心配はないとも、恐らく、そんな余裕は彼女にないだろうから」


「は?」


 意味深なことを言って、柳楽なぎらは先に行ってしまう。俺も車にロックをかけて後に続く。そして階段に向かう途中で飛んできたを避けると、思い切り何かに足をぶつけた。


「っぉ……」

「何をやっているのだね、貴君は」


「きっ、気にするな。初見の場所だとだいたいこうだ」


「むしろ気になって仕方がないぞ。そんな苦悶の表情を浮かべられると……たかぶってしまうやもしれん」


「何がだっ!?」


 柳楽の視線に悪寒を感じつつ足元を見ると、爪先をぶつけたのはたまたま置きっぱなしになっていた道具箱だった。管理人がどこかの修理でもしていたのか、蓋が半開きでスパナが顔を覗かせている。


 俺は逆の足でそれを端っこに移動させた。そのままの位置に置いていると、帰りにまたぶつけそうだったからだ。







 203号室は女性らしい様相だった。玄関横にはプランターが置かれ、アルミの格子に守られた窓には虫よけグッズと共に熊のストラップが下がっている。ただ、プランターの土が干上がって、何かの葉っぱが枯れかけているのだけが気にかかった。


「表札も合っている。ここで間違いないな。貴君のおかげで時間通りについた。ありがとう春高はるたか先生」


「いや制服姿で先生って言うの止めてくんね。どこにPTAが居るかわからないご時世なのよ?」


「では兄上と呼ぼう」


「それはそれで逮捕案件だな」


 などと言い合いをしつつ、しげしげと玄関を観察していた柳楽は脈絡も無くインターホンを押した。ペンポーンと気の抜けた電子音が鳴る。


 数秒待つと、返事があった。スピーカーから接続のための雑音ノイズと共に声が聴こえてくる。


『…………はい』


 暗い声だった。今にも消え入りそうな胸の痛くなる声だ。男の存在など気に掛ける余裕はない。柳楽の言葉は正しかったようだ。


 当の柳楽は変わらぬ調子で少年のような笑みを作り、カメラを覗き込む。


喜多霧きたぎり夕子ゆうこさんだね。私は情報屋『禁断の果実』の者だ。ご連絡を頂き参上した」


『…………鍵、開いています。上がってください』


 そう告げてやり取りは切れた。柳楽と顔を見合わせ、どちらからともなく扉を開ける。鍵は本当にかかっていなかった。このご時世に物騒なものだ。それとも、そんなこと気にならないほど追い詰められているのか。


 玄関で靴を脱ぎ、中へ上がる。2DKらしい造りで、玄関の印象同様オシャレでスッキリしていた。靴は一足だけ行儀よく並び、その横には小型犬でも飼っているのかリードが下げられていた。


 女性の部屋としてイメージできる範囲の、目立った異常のない家だ。ただ電気が点いていないことと――パンパンに膨らんだゴミ袋が多いのが気にかかる。一番大きい町指定のゴミ袋が三つ、キッチンに並んでいる。中はインスタント食品の空ばかりだ。この辺りは三日前と今日が燃えるごみの日だったはずだが。出し忘れたのか?


 生ゴミの匂いはしないから、清潔は保っているようで安心した。


 玄関で待っていても出迎えはない。早くも奥のふすまを滑らせる柳楽の背に続いた。


 その一室も整頓されているようだったが、空気は重苦しかった。


 ベッドの上に体育座りをした女性が一人存在する。横には茶色いプードルが主人を心配するように座っていた。


 彼女が喜多霧きたぎり夕子ゆうこで間違いないだろう。喜多霧きたぎりは組んだ腕の隙間から、血走った眼で俺達を観察するよう盗み見ている。


「初めまして喜多霧きたぎり夕子ゆうこさん。私は情報屋の柳楽なぎらさ――――」


「あなたが私を助けてくれるの……?」


 柳楽が自己紹介を終える前に、喜多霧きたぎりが弾かれるように起き上がって柳楽にしがみ付いた。


「本当に来たっ。そうなんですよね? サイトに書いてあったもん。どんな不思議な現象でも必ず力になって情報をくれる巫女だって! ねえ! お願いです。もうあなたしかいないんです。どうか教えて下さい、どうか…………私を助けて」


 その剣幕にさすがの柳楽も驚いたらしく、目を丸くした。だがすぐに表情を微笑みに変えて、眼に涙を溜める女性の肩に優しく自身の手を乗せる。


「安心したまえ。私の宣伝文句に嘘偽りはない。ほら、深呼吸して。話を聞かせてくれ」


 柳楽が女性の肩を叩く。それで喜多霧は落ち着いたようだった。柳楽のスカートを掴む手は離さないものの、肩から力が抜け表情からも毒気が抜けた。正気に戻った、と言えるかもしれない。


 喜多霧きたぎりはしばらく視線を彷徨さまよわせ、やがて怯えるような瞳で切り出した。


「私、この部屋から一歩も出ることができないんです。まるで、透明な壁に阻まれるみたいに」


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