「睦」~人の縁が拗れゆく~

第六話 手遅れな


「それにしても、貴君はよくあの術式を知っていたね。ずいぶん前に作ったはいいが誰も呼んでくれないから廃棄したものなのに。良ければどこで知ったか教えてくれないかい」


「ああ、山尾先生の家にメモしてあってなぁ。見つけたのはたまたまだ」


「へえ、偶然か。それはもう運命のようなものだね。こうして急いでいる私の足になれているのだから」


「本当に偶然かなぁ!?」


 俺はハンドルを握ったまま鬱憤に叫んだ。助手席に柳楽なぎら紗希さきを乗せた俺のマイカーは現在住宅街を疾走中。柳楽の言う依頼者との待ち合わせまで時間がないのでこうして送っているのだ。


 そんな筋合いは無いと一度は断ったのだが、放課後に俺を待っていたから遅れたと言われればどうにかするしかない。


 だがしかし、自分の車に女子生徒を乗せる(しかも二人きり)とか学校に知られたらどうしよう。悪くて退職に追いやられる。胃が痛い。


「どうしたんだい先生。顔色が悪い――――ああ、なるほど。春高はるたか先生、うら若き乙女と密室にいるからって呼吸をおろそかにしてはいけない。不可抗力なのだから存分に女子の芳香ほうこうぐと良い」


「嗅がねぇよ!」


 どうしてそう俺を変態扱いしたがるんだ。……いや待て。もしやこれは俺の体臭が臭いという遠回しな告発では──!?


 自分じゃ自分の匂いは分からないって聞くし、女子高で教鞭を取るんだから気を使ってるつもりだったんだが。ぬう、分からん。せめて後ろの窓開けておこう。


 俺のささやかな抵抗に、柳楽が楽し気に笑う気配がする。


「でもさっき嗅いでたろう?」


「あ……? あっ! あれはっ、――ふっ、不可抗力だ!」


「はははっ。あ、そこ左です」


「――っと、こっちだったか、了解」


 カーナビはついていないので、隣で地図を開いた柳楽の指示通りに車を走らせる。柳楽の口調が学校で聞き慣れたものと違うためか、こうしていると女子生徒を乗せているという実感は湧かない。おかげで罪悪感が薄まる。バックミラー越しに覗くとすぐ目が合うのでドキリとするが。


「ところでこれは依頼とかじゃないんだけどよ。お前、山尾やまお先生がどこに行ったか知らないか?」


 それは、情報屋を名乗るならそれくらい知っているだろうという挑発だった。俺がコイツを信用していないからこそ相手を試す質問である。どうせ答えは返ってこない、誤魔化して終わりだろうと高をくくってハンドルを回すと、柳楽はなんでもないという風に答えた。


「山尾先生なら死んでいたよ」


「…………どういうことだ」


 あまりに直接的な言葉に、思考が数秒止まってしまった。予想していなかったわけじゃない。けれど、コイツの口からそんなあっさり言われるとは思わなかったのだ。


 赤信号で停車しながら、数日人の帰っていないあの異様な部屋を思い出す。あの異常は、異質は、脳内で簡単に死という単語に結びついてしまう。


 否定したくて説明を求める俺の言葉に、柳楽は無慈悲にもかぶりを振って肩をすくめた。


「言葉通りの意味さ。先生が休んだ日、私も気になって調べたんだがね。彼は最近どうも呪術に傾倒していたらしい。学校の職員室でそれが誤った発動をしてしまった痕跡があった。ほら、山尾先生の消えた四日前からちょうど、職員室のクーラーが故障しているだろう? あれは呪術の余波によるものさ。

 彼の行く先は異界。しかもその奥の奥。生身の人間では生きていられない場所に堕ちてしまった」


「何を言ってんのか分からないんだが」


 異界だ呪術だ、ありもしない物のことばかり言われても納得いかない。しかし柳楽は訂正するつもりはないらしく、さらに説明を続ける。


「簡単に言うと神隠しだがね。創作の題材にもなっているんだ、それくらいは知っているだろう? 異界とは古来より現世とは隔たれたここではない別のどこか。現実と表裏一体だが、普通は交わることはない。山尾先生は偶然、そことの扉を開き、飲み込まれてしまった。……私の予想だと二、三日後に付近の川で異常死体が上がる。私の言葉が信じられないなら、ニュースをよく確認しておくといい」


 どこか虚ろに語って、柳楽は口を閉じた。あれだけ明朗だった語調も心なしか沈んでいる。どうやら彼女にとっても楽しい話ではないらしい。だが、柳楽の話を聞いて俺の内に湧き上がるのは、疑惑だった。


「本当に死体が上がったとして、お前が山尾の死に関わっていないとどうして断言できる」


 死体の在処ありかを知っているのは、死体本人と、死体を作ったものと、その協力者だけだ。知らない者が死体の現れる日を予測できるわけがない。


 とはいえ柳楽は、俺が尋ねたから答えただけだろう。雰囲気からそれだけなのだと分かる。しかし、呪術だとかそういう非科学的な物に対する疑いが、それを語る柳楽にも向いてしまったのだ。


「……死体は人間の手では不可能な加工をされているだろうが、一介の教師に過ぎない先生では確かめようもないか。なら安易には証明できないな。しかし私は本当に関係ないんだよ。私が見つけた時にはもう先生は死んでいたからね。死体だけあっちから引っ張って来ても意味がない。私が疲れるだけだ。だから放置した。そのうち戻ってくるのは分かっているから」


「手遅れだったと。お前にはどうしようもなかったと?」


「うん。こう言ってしまうと私が非人間みたいだが、勘弁してほしい。異界は人の身では正気を保てない世界なんだ。下手に触れるとこっちが発狂しかねない。魂も入ってない死体相手にそんなリスクは背負えない」


 信号が青になり、俺は黙ってアクセルを踏んだ。窓の外には飼い犬と散歩する女性がゆったりとすれ違って行った。……空気を悪くするつもりじゃなかったんだがな。やってしまった。


「責めてはない。ただ、少し疑心暗鬼になってただけだ」


「そうですか。私には私の無実を証明する術がない。疑わしくば罰するといい。けれど少し待ってくれ。この数日中に君は、神や呪術を始めとする神秘の世界を知るだろうから」


「…………」


「……そこは右で」


「わかった」


 ハンドルを回す時ちらと盗み見た柳楽は、眉を悲し気に寄せて、ただ窓の外の変わり映えしない住宅街の景色を眺めていた。


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