11. 幸福への覚悟
「……」
ゆらりゆらりと、甘い
思えば、こんな真面目に自分自身を見つめ直すのは久しぶりだ。
日結花と出会ってから多くの縁に恵まれてきた。だからだろうか、最近は思い詰めることがなかった。
"あの子はどうしているかな"。そんなことを思う。自分の彼女、いや"元"彼女か。
(まだ
年は十九。あと二か月で誕生日を迎えるから、そこでようやく二十歳だ。来年成人式を迎えることを考えると、自分とはよくよく離れているなと改めて思う。年齢だけで見れば、よほど隣に座る
考えるのは日結花のことだ。まさか自分が七歳も離れている年下の女の子と恋仲になるなんてと、今さらながら笑ってしまう。非現実的過ぎる。まあ現実なんだけど、と苦笑がこぼれた。
憧れていた光のすぐ側にいられる。
(光、だったから)
眩い太陽に惹かれて必死に手を伸ばした
何が間違ったのか自分は"光"の側にいられるようになり、居心地の良さに甘えて今日まで生きてきた。そのつけが回ってきたというところか。今の"これ"は自分自身の甘さが招いた結果でしかない。
そう、甘えていた。
日結花が年齢よりも大人びているから、自分を引っ張ってくれるから、前を前をと歩いてくれるから、任せて甘えて後ろをついていくだけだった。
ずっと声者という業界に身を置いているため、日結花の精神年齢はずば抜けている。それこそ郁弥以上と言える。けれど、それは仕事においてだけ。恋愛なんて彼女も未経験であり、初心者もいいところだ。人並みに悩むし、郁弥の行動に一喜一憂する。どこにでもいる普通の恋する女の子でしかない。
それに何より、日結花はまだ十九歳だ。いかに年齢にそぐわない仕事をこなしていても、実際は十九歳の女の子、まだ"子"と付けてもいいくらいの年齢なのだ。
(普通は僕がリードするべきだよね)
目を閉じ、
年下の可愛い彼女に、自分は何をしてきただろうか。知宵に言った通り、何も、だ。何もしていない。
幸せであってほしいとは願っていた。そのために全力を尽くそうとも思っていた。これは彼女に出会ったときから思ってきたことで、今でも微塵も揺るがない強固な想いだと言える。
だが、それ以外にも想いができた。咲澄日結花という女の子を知り、笑顔や感情に触れていくうちに自分にも別の想いが生まれた。単純で明確で、けれど不安定な想い、恋心。
恋をした。
好きになった。
大好きになった。
どうしようもないくらい愛おしくなった。
好意は彼女に伝えたのに、それでも足りないくらいに毎日降り積もっていった。今では心の中の大半が日結花への恋や愛で埋め尽くされているほどだ。
本当は、もっと心を通わせたいと何度も思った。けれど、それはできなかった。言葉一つ、行動一つできなかった。
なぜならそう、藍崎郁弥の本心なんて欲望まみれだから。
僕が彼女と一緒にいたい。他の誰でもない自分が彼女と幸せになりたい。誰よりも、何よりも大好きなあの子と一緒に幸せになりたい。彼女の幸せを願うだけじゃ物足りない。僕自身が彼女の側にいないと嫌だ。二人一緒の幸せじゃないと嫌だ。そのために僕が彼女を幸せにしないといけない。幸せにしたいと――。
「―――」
そこまで思って一瞬思考を止める。
幸せにしたい、一緒に幸せを掴んでほしいと思っているのに、それを現実にすることができていない。どうしてか、そんなことは郁弥自身が一番わかっている。それこそ藍崎郁弥の本質が物語っているじゃないか。単純なことだ。
郁弥は怖かったのだ。あのとき全て話したと、全部吐き出したと、そう思っていたのにまだ残っていた。
多くを忘れて切り捨てて、一人小さく生きてきた自分が日結花のような太陽を幸せにできるか。そう思うと、心が動かなかった。
彼女が幸せだと思うなら、彼女が幸せを選ぶなら、それは楽なことだ。自分は何もしなくて済む。ただ見ているだけ、願うだけ、祈るだけ、待っているだけ。
もしも自分が彼女を幸せにしなければならないとしたら、それはきっと大変なことだ。人間一人の人生を背負わなければならないのだから、重いに決まっている。それが自身の最も大切にする人なら尚更、人生を賭けて臨まなければならない。それはこれまでの覚悟とは桁が違う、本当の意味で全てを賭ける必要があるだろう。
「…はは」
乾いた笑いがこぼれる。
わかっていたことだ。光に誘われてふわふわと漂う自分を脱ぎ捨て、彼女の隣に自分の足で立って歩くことが怖かっただけなのだから。
結局、藍崎郁弥は逃げていたのだ。日結花の想いに甘えて、自身の気持ちと向き合わず、いつまで経っても前に進まない。確かに行動はしていただろう。言葉にもしていただろう。しかし、日結花の人生を背負う覚悟はしていなかった。
(今さら何を言えばいいんだよ)
散々足を引っ張てきた自分が――。
「――そうじゃないだろ」
郁弥がするべきは、日結花の手を引くことだ。
待たせてごめん、好きだ、愛してる。そう伝えてキスの一つでもすればいい。そう難しいことでもない。
「知宵ちゃん」
「何?」
「僕でも、人を幸せにすることはできるかな」
自分に自信がないから。覚悟を決めようとしても、最後の最後で心配が顔を出してしまうから。だから友人に尋ねる。自分を知っている友人に、自分を"友"と言ってくれた人に。
「知らないわよ」
彼女らしい言葉で、いつも通り面倒くさそうに告げる。
「でも、私の知っている藍崎郁弥なら、それくらいやってくれるわね」
けれど、続けた言葉は大きな自信にあふれていた。
自慢げに上がった口角が、彼女の心をはっきりと表していた。
「はは」
郁弥はからりと笑う。
ここまで背中を押されてしまっては、もうやるしかない。藍崎郁弥をよく知る相手に太鼓判を押されてしまったのだ。やる前から諦めていては話にならない。
大事な人一人幸せにするくらい、人生をかけてやればなんとかなるさ。
「知宵ちゃん、ちょっと用が出来た」
一息にミルクティーを飲み干して、くーっと背筋を伸ばす。
ここに来たときの気落ち具合が嘘のように晴れやかな気分だ。
「そう。いってらっしゃい。日結花は"思い出の場所"で待っているそうよ。あなたならわかると聞いているわ」
ふ、っと微笑んだ知宵は最後に伝えるべきことを伝える。
自分にはわからないけれど郁弥と日結花はわかっているのだろうと、知宵はそう思っていた。
「え?え、うん…わかったよ」
「――ん?」
曖昧な顔で頷き出口に向かう郁弥を見て、なんとなく嫌な予感がした。ただ何か言えることもなく、外へ向かう友人を見送る。
「あぁ、そうだ知宵ちゃん」
ドアに手をかける一歩前、郁弥は思い出したかのように振り返って知宵に声をかける。
「何か用?」
つい数秒前に見せていた表情はなく、知宵の瞳に映るのはいつもの柔らかな笑顔。『ルミエ・デュ・ソレイユ』に来たときとは大違いに良い顔を見て、ふっと頬を緩める。
「本当にありがとう。友人って言ってくれて嬉しかった。わざわざ発破かけてくれてありがとうね。これで知宵ちゃんも僕の"恩人"だよ」
「あら、それは光栄ね」
知っているからこそ通じる言葉に二人は笑い合う。
「ふふ、それにさ」
郁弥はそこで一度言葉を止め、朗らかに笑ってから続きを言った。
「久しぶりに遠慮しないで友達と話してるみたいで、めちゃくちゃ楽しかった。ありがとう」
温かい言葉を受けて、ちらりと振り向き友人の顔を見る。心底楽しそうな笑顔を見て、知宵は相好を崩した。言葉を返さず、ひらりと手を振って見送るだけに留めておいた。
「私の方こそ楽しかったわ」
カウンターに向き直ってそっと呟いた言葉が届いたのか届いていないのか、郁弥の明るい笑い声が後ろから聞こえてきた。
友人に見送られ、藍崎郁弥は足を踏み出しドアを引く。
―――からんころん
「あ…」
「はぁ、はぁ……ふぅ、ふぇ」
ドアを開けて外へ出た郁弥を待っていたのは、息を整えながらドアに手をかけようとする日結花の姿だった。
「…はぁぁ」
多くの感情を含んだため息が知宵の口からこぼれ落ちる。そして最後に、どうでもいいけれど、今の日結花の反応可愛かったわね。と。よくわからない部分に落ち着くのであった。
◇◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます