9. 身近な友人

「あと二つ大事な話があるのだけれど、いいわね?」

「え、うん。二つか。割と話してくれたと思ったんだけど、まだあるんだね」

「ええ。面倒くさいあなただから色々伝えなくてはならないことが多いのよ」

「う、それは申し訳ない。お手柔らかにお願いします」

「ふふ、任せなさい」


 長々と話しているような気がしている二人だが、まったく疲労を感じさせない楽しさがあるため会話に沈黙はない。

 どちらも友人ひゆか経由でお互いをよく聞いており、遠慮することはない。だからこそ会話が弾む。


「まずは先にあなたのお友達話でもしましょうか」

「え、それ、もう終わったと思うんだけど」

「いえ?終わっていないわよ。あなたを心配して気にかけてくれている人が、少なくとももう一人はいるじゃない」


 言われて郁弥は困惑の表情を浮かべた。

 知宵や正道という自身の繋がりを実感して、それだけでもう十分だったというのに。まだ他にも誰かと繋がりがあるとは考えてすらいなかった。


「それは…いったい誰なんだ…」


 まるでサスペンスドラマのような深刻な顔で呟く。それを見た知宵の脳裏に鍵盤けんばんを激しく叩くピアノの音と多種の楽器による音楽が流れるも、すぐに頭を振って冷静さを取り戻す。


「それはあなたが一番よく知っているのではなくて?」

「…時間もらってもいいかな」

「三十秒なら」

「短いよ!五分はください」

「長いわね。一分」

「全然足りないからね。四分はほしい」

「やはり長いわ。二分」

「うぐ、三分で妥協してくれない?」

「ふむ、いいわ。許してあげましょう」


 等々、そんな話を終えて郁弥は物思いにふける。

 その間知宵は再度おかわりを頼み、隣の友人に一言声をかける。


「お花を摘みに行ってくるわね」

「あ、うん」


 こうしたことも気軽に言えるのは友人ならではね。内心思って頬を緩め、ミニカメラの電源を切り足を動かす。

 お手洗いに向かう途中、店主の白本しらもとと目が合い胸の前でグッと握りこぶしを作った。白本も同じく握りこぶしを作り、郁弥の立ち直り成功を祝い合う。

 そう、もう一人というのは白本のことだった。考えてみれば当然である。白本は郁弥が八胡南はちこみなみに引っ越してからの付き合いになる。年数でいえば、四年と半年ほど。既にそれだけの時間が経っているわけで、白本が郁弥を気にかけるようになったのも当たり前のことと言える。


「…ふぅ」


 そのようなやり取りなどカケラも知らない郁弥は、ホットミルクをちびりと飲んでほっと一息。

 友人との会話が楽しくストレスのないものだとしても、頭には常に日結花のことがちらついている。それでも、知宵の話を最後まで聞くつもりであるのに変わりはない。なぜなら、現状で日結花に対して何をすればいいのか、何ができるのかわからないのだから。

 確かに正道の話でもう一度日結花と話すことを決めた。あの子の気持ちを、あの子の考えを、直接すべて聞こうと思った。


(だけど、聞いてどうする?)


 胸の内で呟く。

 そう、郁弥にはまだわからないのだ。自分のするべきこと、自分にできること、彼女の――日結花のためにやりたいことが見えないのだ。


「…はぁ」


 温かいミルクを口に含み、それからため息を一つ。

 迷路にはまりそうな思考を止め、現実に引き戻す。今考えなければならないことは知宵との話だ。自分のことを心配し、気にかけてくれている人―――。


「ただいま」

「あ、お、おかえり」


 普通に声をかけただけなのにやけに動揺している郁弥を見て、知宵は怪訝な顔をする。

 しかしそれもすぐに納得へ変わり、焦りを含む瞳を見つめながら口を開けた。


「答えを聞かせてもらおうじゃない」


 相手の状況をわかっていても躊躇なく聞くところが知宵である。しかし、こうした知宵は親しい間柄でしか見られないものなので、案外珍しかったりもする。


「や、やはは。まだ三分経ってないと思うんだよねー」

「ふふ、面白いことを言うわね。残念だけれどとっくに過ぎているわ」


 ひらひらと腕時計を見せて言う。実際、知宵が席を立って座るまでに三分以上は経っている。郁弥が考え込んでいたため気づいていなかっただけだ。


「ええと、誰かな。神さま、とか?」

「……はぁ」


 苦し紛れの回答にため息を返す。郁弥の様子からだいたいの回答を予測していたが、実際に言われると気の抜けるものがある。


「もう面倒ね。どうせ思いつかないのだからさっさと伝えるわよ」

「うん」


 しょんぼりする友人を見て知宵は頬を緩める。

 本当にこの"友人"は見ていて飽きない人ね。そんなことを思いながら答えを告げた。


「今ここにいるじゃない。何年目になるかは知らないけれど、少なくとも私と同じかそれより前程度から顔見知りになっていた人がいるでしょう?」

「…あ」


 ふっと考え込んですぐに顔をカウンターへ向ける。そこにはのんびりと棚の整理をしている店主が一人。

 郁弥が知宵と出会ったのはおおよそ三年前。仕事に落ち着きが出てからジョギングを始めたため、カフェの店主である白本よりも遅かった。加えて、カフェでは自身のことを吐露することも多く、アドバイスをもらうことも多かった。それだけ親しくなっていたのだから、"友人"として考えてもおかしくはない。むしろ今までそう捉えてこなかった郁弥がおかしいのだが…それは彼の性質によるものであったためどうしようもないだろう。


「ええと、白本さん」

「はは、なんだい郁弥君」

「僕のこと、心配してくださっていたんですか?」

「…やれやれ。君は相変わらず真っ直ぐだね」


 苦笑する白本とのやり取りを見て、郁弥の隣に座っている知宵はくすりと笑みをこぼした。


「まあ、それが君の良い部分だとは思うがね。答えはイエスさ。これでも君のことを友人だと思っていたんだが、君は違ったかい?」

「いえ、いえ、そうです、よね。…あはは、今まであれだけお世話になっておいて他人だなんて言えるわけありません。白本さん。僕の友人として、これからもよろしくお願いします」

「うむ。こちらこそさ。店のことも君に相談させてもらってきたからね。これからもよろしく頼むよ」

「はいっ」


 短いやり取りではあるが、郁弥と白本にとってはそれで十分だった。これはただ郁弥に気づかせるためだけの会話であり、既にしっかりとした信頼を積み上げてきていた二人にとっては確認のようなものでしかないのだから。

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